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東人剣遊奇譚  作者: 卯月
第五章 砂塵の女神
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第14話 神との契約



「そろそろお開きにしましょうか」


 ミトラが不意に錫杖を逆さまにして砂地に円を描くと光の輪が出来て、狗面を纏めて吸い込んでしまった。

 唐突に戦が終わり、まだ両の足で立っている神官達はあからさまに安堵して、警戒心も無しにその場に座り込んだ。

 神官達の中で五体満足の者は五~六人しかいない。残りは満身創痍で地に伏して、辛うじて息をしているような重傷者ばかりだった。

 神官が不甲斐ないのではない。ミトラの呼んだ兵力の桁が違い過ぎただけだ。

 何しろあの後に彼女は何度も狗面や、顔の無い奇怪なミイラのような異形の人型を呼び寄せていた。その数は合計で軽く千は超えている。

 半分以上はクシナの炎でこの世から消滅していたが、それでも十倍を超える物量差に抗うのは相当に困難だ。

 むしろ一人の死者も出していないのが不思議なぐらいだ。おそらくミトラが村のしきたりを遵守して死人を出さないように気を遣ったのだろう。

 ドロシー達は幸運にもあちこち傷だらけだったが、三人ともどうにか立っていられた。

 神官達のリーダーだったミレーヌも体中ボロボロでも剣を手放さず、ドロシーに肩を借りてまだ意識を保っている。

 ミトラが兵を引いても彼女達は決して自分達を勝利者とは思ってなかった。大多数に嬲られて、相手の気まぐれで生かされているだけの敗者だと分かっていた。

 そのミトラも意外と負傷しているので完全な勝者とは言い難い。

 彼女の法衣の半分は焼けてボロボロ。日のもとに晒された白い肌は火傷は無いものの煤まみれ。艶のある黒髪はあちこち炎で炙られて無惨に縮れてしまった。

 妙齢の美女をここまでボロボロにした元凶のクシナは無傷だったが、明らかに不機嫌そうに口をとがらせている。


「ヤトが汝を嫌がるのがよく分かった」


 両者を見ればどちらが優位だったかすぐに分かったが、クシナは己が何度炎を当てても傷一つ負わせられなかったミトラにうんざりしていた。


「つれないわね。でも貴女が程々に燃やしたから余興も少しは盛り上がったわ」


 形ばかりの礼を示しても、クシナはその程度で心を動かす事は無い。

 代わりに無事だったカイルとロスタが礼を言うと、打って変わって笑顔で応えた。

 二人が本来の仲間のクシナと合流して最後の一人のヤトにもう終わったと大声で告げて、アジーダとのじゃれ合いを終わらせた。

 殺し合いはしなかったが、戦えて満足したヤトはアジーダに一礼して嫁と仲間のもとに行く。

 アジーダは己が身体能力で大きく上回っていても、卓越した技量で始終いいようにあしらってくれたヤトを憎むどころか、どこか憧れや目標にするような目でじっと見ていた。

 結局のところこの中で明確な敗者はミレーヌ達だけだった。彼女は息も絶え絶えながら未だ闘志は失われておらず、憎しみを込めた瞳でミトラを射抜き、弱弱しく吠えかかる。


「………ハァハァ……我々に情けをかけたつもりか死霊使い。私を生かしておけば……きっと後悔するぞ…ゲホッゲホ」


「やめなさいミレーヌ。最初から私達なんて相手にならなかったのよ」


 肩を借りたドロシーに諭されてミレーヌは悔しさのあまり涙を流して唇を噛み締めた。

 悔しさでいっぱいの彼女とて負けた原因が何なのかは分かっていた。

 単純に自分達の力が足りなかった。しかも今回は外部協力者を加えても、一矢報いる事さえ叶わなかった。まさに完敗と言うに相応しい敗北だった。


「……くっ殺せ。邪悪な者に命乞いなどしない」


 ミレーヌは毅然とした態度で死を望んだ。それを見たカイルはなぜか心が高揚した。

 そしてミトラはただただ嘲笑い、地に伏せる神官達に杖を向けた。

 すると傷付いた者達の傷が見る見るうちに癒えてしまった。

 ミレーヌも小さな傷は数多くあるが、命に関わるような傷は全て何事も無かったかのように消えてしまった。

 ついでにミトラは自分の服と髪を元通りに直した。


「死人を生き返らせるのだから生者を治すぐらいわけないわ」


「貴様ぁ!一体どういうつもりだ」


「勝者は敗者の命を好きにしていいのだから好きにしたまでよ。貴女達は観客として儀式の終わりを見ておきなさい」


 ミトラにまったく脅威と見做されておらず、子ども扱いされた神官達は怒りに震える。同時に自分達が決して勝てない相手と身に染みて理解したため、多くは反抗心を叩き折られた。

 ミレーヌは内心、自分達を見下すミトラを殺したかったが、隙を突いて祭具を奪い取ろうと考えて、表向きは勝者に従う態度を見せた。

 ヤト達は元々村を守る約定があり、かつ表向きは神官達に協力してミトラ達と戦ったので特に悪感情を向けられずに神殿まで同行した。



 神殿の儀式の盛り上がりは最高潮に達していた。

 村人は思い思いの相手と踊り、好きに歌い、楽器を鳴らし、自由に酒を飲んだ。

 儀式台のミートは全身で豊穣神への感謝を雄弁に語り、神事を司るサロインが祝詞を高らかに謳い上げる。

 祝詞の一部を聞いた神官の一部は困惑した。彼等は魔人族が邪神崇拝の儀式をしているとだけ聞いてこんな砂漠までやって来た。それなのに今聞いた神への奉りの言葉は邪神ではなく、法の神と同じ陣営に属する善神への感謝の言葉だ。

 話が違うと何人も声が上がった。それでも頑迷な者は所詮魔人であって、討伐するだけだと頑なに己の信仰を妄信していた。

 ミレーヌもここには居ない上司からの説明と食い違う点に気付いて、精神的に頼っていたドロシーに無言で視線を向けた。


「上の連中にはよくあることよ。何も知らない敬虔な信徒を良いように扱き使って、神殿と自分の権威を高めようって筋書き」


「そんな……ドロシーさんは知ってて私に何も教えてくれなかったんですか!?」


「実際に見ていないのに私の言葉を信じたと思う?」


 ミレーヌは言葉に詰まった。そんな事は無いと言いたかったが、今は自分自身すら信じる事が出来ない。

 神官達がそれぞれ自分の信仰と教義に思い悩んでいる間に儀式は滞りなく終わった。

 村人たちはいつの間にか盗賊が側にいた事に気付いて恐れる。


「大丈夫。彼等は自らの無力さを嫌というほどに知って何も出来ないわ。いっそ暑い砂漠で喉が渇いているからお酒でも飲ませてあげましょう」


 ミトラの冗談混じりの言葉で村人の間に笑いが生まれた。

 そして本当に村人の一人が樽に入った秘蔵の酒を杯に注い神官の一人に勧める。

 神官の男は断りたかった。だがここで断ると男として負けたような気がして嫌だった。だからちっぽけな誇りを優先して思い切って酒を飲み干した。

 これを皮切りに村人は酒や御馳走を神官達に分けて、自分達も好きに飲み食いし始めた。

 祭事の後に宴会というのは古今どの場所であっても変わらない。

 なし崩しに始まった宴会に付き合わされる神官達はヤケクソ気味に酒を呷って何もかも忘れる事を選んだ。

 サロイン一家は儀式が宴会に早変わりしても気にしない。今回は神官も混じっているが宴会になるのは毎度のことだ。何か困ればミトラ達が何とかしてくれるという安心感もある。

 あとは正午までに祭具を岩山の奥に再度納めて施錠すればそれで終わりだ。


「さあミート。杯を運ぼうか」


 ミートは父に言われるままに銀の杯を手にする。その顔に何か思いつめたような鬼気迫るものを感じた母のフィレがどうしたのか聞くと、娘はただ一言謝罪した後に持っていた儀礼用の短剣で自らの胸を刺した。


「ミート!?何を―――――」


 両親の悲痛な叫びを無視して、ミートは胸から抜いた短剣に付いた血を杯に落とした。


「ぐぅ……『愛と憎しみの女神』よ。この……身を捧げる…代わりに……ハァハァ…怨敵を討つ……力を……お貸……ください」


 その瞬間、空気が一変して灼熱の砂漠から一気に熱が消え失せたような怖気がミトラ以外の全員を襲った。



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