第12話 招かれざる客人
舞の場に鈴の音が鳴る。音の正体はミートの服に無数に取り付けられた鈴の音だ。
彼女は全身をすっぽりと覆う村の女達の服と異なり、肩、胸元、腹、背中、手足も曝け出す、褐色の肌を大胆に晒した服とは呼べない下着のような純白の薄衣を纏っていた。
髪は後ろで二房に結い、艶やかでしっとりとした光沢は香油を塗っている。
あるいは場末の酒場で春を売るような踊り子と見紛うような姿だったが、決定的に異なるのはその神聖さだ。
年頃の娘が肌を晒しても村の男達は誰一人として劣情を抱かない。
それは性よりも聖を感じ取って畏れ敬う想いを抱いたからだ。
その想いこそミートが豊穣神に仕える巫女として村人達に認められた証拠と言えた。
隣には一枚の長い白布を巻き付けて法衣としたサロインが、娘に向けられた視線に満足そうに頷いている。
「……おほんッ!皆、集まったようだな。―――今日この日、十年の時を経て再び祭事を執り行えるのを嬉しく思う」
サロインが大仰に両手を広げて宣言したと同時に村人から拍手が起こる。拍手は前もって指示してあっても祭りが楽しみだったのは事実だ。
「――――我々はこの砂漠で生き続けている。叩き付ける風と身を焦がす太陽は厳しく容易く我々の命を奪う過酷な世界だ。――――しかし豊穣の神は日々を生きる糧を与えてくれる。その恵みに今日は感謝で返すのだ」
宣言の後、村人達はそれぞれ持ち寄った野菜や締めた家畜を皿に乗せて供え物として、舞の場の手前に設えた儀式台の上に置く。
ミソジは狩人として昨日獲った大きな砂エイを供物にしていた。
供物を一瞥したサロインは満足そうに頷き、娘と共に奥の岩山へと向かう。
男達は用意してある楽器の点検を始めて音を確かめる。
「あそこの岩山の中に『豊穣神』の祭具を納めてあってな。十年に一度の今日の夜明けから正午までしか開かないように細工がしてあるんだ」
ヤトの横に来たアジーダが頼んでいないのに解説する。
彼の弁ではおまけに鍵がかかっていて、解錠の方法はサロインの一族しか知らないらしい。
道理で今まで『法と秩序の神』の神官団が指をくわえて見ているわけだ。
十年に一度の決まった日に特定の者にしか取り出せず、砂漠という劣悪な環境となれば勝手が違って神殿が支援する神官とて十全に戦えない。
おまけに信仰の拠り所になる祭具の管理を一手に引き受けるとなればサロインの家は村で永続的に権力を維持し続けられる。あの家の先祖は上手く立ち回ったわけだ。
「小賢しい奴が得をするのはどこでも同じさ。まあ、そんな家が嫌で娘の一人は家出したんだが」
「娘?」
「ミートの姉さ。俺も何度か会っているが数年前に家を出て行ったよ」
「砂漠暮らしに飽きたのか?」
クシナの率直な意見にアジーダが微かに笑いつつ、そんなところだと頷いた。
「大昔に人間やエルフにボロ負けした魔人族は歴史の片隅に追いやられてここみたいな住みにくい辺境に追いやられた。ミートの姉はそんな生活が嫌で広い世界に憧れてた」
「それで村を出て行ったと?」
確かローゼがそんな事を言っていたような覚えがある。あの時は母のミソジにきつく叱責を受けて黙った。
この村では出奔した者の事を口にするのはある種のタブーなのだろう。
アジーダがその娘の事を話していると周囲から非難めいた視線が突き刺さる。それで止めに入らないのは彼が村の者ではないからか。
「あわよくば自分達に苦難を押し付けた者達に一泡吹かせたかったのかもしれないな。当人が今どうしているか知らないから確かめようがないが」
意味ありげな含み笑いを作る。ヤトにはその笑いの意味が分からない。
さらにアジーダが何か口にしようとしたものの、それを遮るようにサロイン親子が戻ってきた。
ミートの両の掌には小さな杯が恭しく乗っていた。村人たちは杯を見て感嘆の声を上げる。察するにあの杯が祭具というわけか。
杯は銀製で掌に収まる程度の小さな物だ。細かい装飾が施されて磨き上げられているが、金細工や宝石などを散りばめて贅を凝らした造りではない。
部外者のヤトから見ると神事に用いる祭具としては貧相に思えるものの、言い方を変えれば静謐ないし清浄さの顕れとも言える。
ミートは杯を儀式台の最上位へと安置する。
そして舞の場の中心に立ち、おもむろに長い手を広げてその場で螺旋を描くように踊り始めた。
男達は彼女の動きに合わせるように太鼓を叩き、円の金属を打ち鳴らし、動物の腱の弦を弾く。女達もそれぞれに踊り、歌う。
神への捧げものと同時に自らも楽しむ、そんな素朴な祭りこそ村には相応しい。
髪を翻し、鈴の音を纏うミートの肌から無数の汗の雫が飛び、高く昇り始めた陽光を妖しく照り返した。
男達の演奏、女達の歌、巫女の鈴の音と足音。それら全てが一体となって神への供物に相応しい舞となった。
ヤトはこの手の祭事は飽きるほどに見た事がある。それどころか実家でうんざりするぐらい参加した。
共同体の団結を促すには良い手だが、実家のはもはや神への感謝や敬いは無く形骸と化した式典のようになっていた。
しかしこの村は未だ神への畏敬の念を忘れていない。素朴で拙く荒々しいが、それだけに偽りの無い心が透けて見えた。
あの神官団の女も同様に純粋な信仰で村を襲っていると思うと滑稽というか哀れというべきか。どちらにせよ踊っているのに気付いていない阿呆の類だ。
―――――東を見れば砂埃を巻き上げて近づく一団が見えた。その阿呆が懲りずに来たようだ。
「招かれざる客が来たようです」
「あらあら、また来たの。懲りない子供達ね。それじゃあ私はゆっくり見ているから相手はお願いね」
「何を言っているんですか。僕達だけに働かせずに貴女もちゃんと働いてください」
「はいはい。仕方がないわね」
ヤトにせっ突かれたミトラは渋々と言った風体で迎撃に出る。
アジーダとクシナも彼女に続いて神官盗賊団の方に向かった。
村人達は祭りを命を賭けて祭りを守ってくれる四人に神と同等の感謝を込めて頭を下げた。
四人は盗賊の向かって来る東に歩きながらどう迎え撃つか意見を出し合う。四人と言っても実際はヤトとアジーダが方針を決めるだけだが。
相手はラクダに乗っていて機動力は中々のものだ。何より数が多く、分散されたら四人では対処がしづらい。
おまけにこちらは不殺どころか流血すら禁じられている酷い縛りの中で戦わねばならない。四人だけなら何とかなっても戦えない村人を抱えての防衛戦では著しく不利だ。
―――――そう、まともに戦えばの話だ。
四人と盗賊団の相対距離が縮まり、互いの顔が視認できる距離まで近づいた。
すると唐突に両者の中間点で砂塵を巻き上げる竜巻が発生して全員を巻き込んだ。
急な視界不良に神官達は慌てて手綱を操ってラクダの速度を落とす。
さらに脈絡もなく砂面から刺々しい葉を持つ灌木やサボテンがせり上がった。停止しきれなかった十騎ばかりのラクダが次々とぶつかって面白いように転がる。
「あれはエルフの小僧の手妻かッ!」
「なるほどこういう手でいきますか」
ヤトはカイルが植物の精に頼んで急成長させて障壁を作ったとすぐに気付いた。アジーダもかつて同じような手法でカイルに後れを取ったのを思い出して叫ぶ。
これなら神官達をラクダから安全に引きずり下ろせる。柔らかいサボテンにぶつかった程度ならラクダも大した怪我はあるまい。
後方で安全にラクダを止めた二十四~五騎の神官達は味方を救うべく、騎から降りて臨戦態勢を取った。よく見ると最後尾でカイルとロスタが手を振っている。
砂嵐が止み、ヤト達と神官団は対峙する。
そこでヤトは脈絡も無く近くに居たミトラの法衣を掴んで神官団へと放り投げた。
「はっ?」
アジーダは間の抜けた声を出してヤトの行為を見過ごしてしまった。
放り投げられたミトラは空中で我に返って、危なげなく地に降り立った。そしてどういうことか説明を求めようとしたがその前に一団の中に居たドロシーが大声で叫んだ。
「その女は死霊魔法の使い手だよ!!外法の使い手を許すなっ!!」
たった一言で神官達の雰囲気が一変する。彼等の中で魔人の儀式から目の前のミトラに第一の優先順位が繰り上がった。




