第40話 それぞれの道
出立の日は朝から雪がチラチラと舞う曇り空だった。高地の天候は変わりやすいので昼には吹雪くかもしれない。
魔人解放より三日経った王都タルタロスはどうにか落ち着きを取り戻して、住民は一刻も早い復興を目指してがむしゃらに働いていた。そうしなければ待っているのは凍死しかない。だから誰もが必死だった。
半壊した城も今は幾らか形が戻っていた。瓦礫は魔導騎士の理力によって撤去、使えそうな建材を再利用して風雪を防ぐ程度には外壁も築き直してあった。外見は不格好だが寒さを防げるだけまだマシだ。
その城の正門前には一つの首が槍に刺さったまま放置してあった。横の立て看板にはこのように書かれている。
『この者。城に封印してあった怪物を呼び覚ました上、王の首を刎ねた大罪人にて、拷問の末処刑した。名はタナトス。以後この名を口にするのを禁じる』
首は両目を抉られ、鼻を削がれ、耳を斬り落とし、歯の大半が折られて唇も千切れていた。髭と骨格から若い男のように見えるが、それしか分からないほどに損壊していた。悲惨な最期を遂げて晒された男の首。だが通りすがる民衆は彼に一片の慈悲と憐れみを抱く事は無い。自らの生活を完膚なきまでに破壊した元凶に恨みと憎しみを抱き、老若男女を問わず、誰もが唾を吐いて首を辱めた。そうでもしなければ皆、憎悪を抑え切れなかった。
首は冬の間は腐敗が進まない。やがて春が来て肉が腐り落ち、蛆が湧いて鴉に啄まれて、骨になるまでずっと民の憎しみを受ける事になる。その後、粉々に砕かれてゴミとして地に撒かれてようやく彼は解放されるのだ。
さて今回の騒動の一部を担ったヤト達とヘファイスティオンはと言えば都の郊外にいた。全員が冬用の外套を纏い、食糧テントその他の大荷物を背負っている。それとクロチビと番の青ドラゴン、旅装束のオットー、そしてもう一人はフードを深く被って顔を隠している。
「やれやれ、王の暗殺犯を国外追放処分か。実質無罪放免じゃん」
カイルが呆れたように呟いた。あくまで雇い主のタナトスから頼まれただけだったが、それでも王の暗殺に手を貸した事実は消えない。普通の国なら連座で拷問の末に処刑が当たり前なのに、何もせず国の外に出て行けと言うだけで済ますのだから大甘の裁可だ。一応建前は自らの罪を恥じて、進んで封印を解いた怪物を討伐した後、仮王プロテシラに慈悲を乞うたという筋書きらしい。
実際問題、多少弱くても古竜を単騎で殺せる自分達を捕らえて殺せる人材が居ないのだから放置するしかないのは確かだ。後は面子を損なわないように色々と理屈をこねくり回して、とりあえず周囲が納得する理由さえあれば何とかなるのが政治というものだ。
それでも失った物の大きさに比べれば温いという以外の言葉が見つからない。何せ今後は血縁による出生以外で魔導騎士は生まれない。王に忠誠を誓う代わりに魔導の力を与える御恩と奉公の関係は永遠に失われてしまった。このため王家の権威は大きく低下して、今やタルタス王家は他の貴族と大差の無い地位に成り下がった。普通そこまでやったら損得勘定度外視で何が何でも殺すぐらいの事はすると思うが、プロテシラは思いの他冷静に対処している。これなら意外と王家はしぶとく権勢を保てるかもしれない。
それに―――カイルはフードを被った人物に目を向けた。
「まさか最大の下手人を殺さずに生かすなんてね」
「まあ…な。兄者達が甘いのもあるが、すぐに殺すより死ぬまでこき使う方が利になると思ったんだろうよ」
男はフードの奥で薄く笑いを見せた。彼は処刑されたはずのタナトスだった。
なぜ処刑されたはずの男が生きていたかと言えば、本人の言う通り殺すよりは死ぬまでこき使うために生かしたのが真相だった。
ドラゴンと魔人を掃討した後、二人の王子は混乱に乗じてすぐさまタナトスを確保して人目に曝さないようにした。そして表向きは処刑したことにして、瓦礫になった街で似たような容姿の死体を手に入れて、激しい拷問を受けたように顔を潰して犯人として首を晒した。元からタナトスは覆面をしていたので誰も顔を知らなかった。だからどんな顔だろうがこれが犯人と言えばそれで済んでしまう。
そうまでして王子達がタナトスを生かした理由は兄弟の情ではなく、切実な問題を解決させることを求められたからだ。
一つは≪タルタス自由同盟≫による各地の反乱機運の扇動をタナトスの命令で止めさせた後に解体する事。もう一つは魔導の力が失われて権威が大きく削がれた求心力の落ちた王家に、解体した自由同盟の構成員を帰属させて戦力化する事。
一つ目はなかなかに難しいが不可能ではない。既に魔導の力は長くて三世代、あるいは百年以内に消え去る事は確定している。厳しい身分制度を保証していた一番大きな重石が取り除かれたのを知れば、あとは何もせずとも待っていれば嫌でも変革は起きる。問題は現支配者階級の力が低下したと知った被差別階級の亜人達が苛烈な復讐を仕掛けて来る事。それを未然に防ぐためには先んじて自由同盟を解体して組織的な反乱を起こさないようにする必要がある。個人的な恨みから凶行に及ぶのはどうにもならないが、集団的な反乱は大いに困る。それもこれも長きに渡る怨みの蓄積が原因で、歴代の王の責任と言えばそれまでだが、出来れば穏便に事を納めたいと虫が良い事を考えるのが王冠を持つ者だ。
そこで二つ目の問題が関わってくる。解体して行き場の無い≪タルタス自由同盟≫の者達を逆に王家が取り込んで、低下した権威を補う武力として利用しようと考えた。普通最も敵愾心を持った輩を集団で取り込もうとは思わない。しかしプロテシラはその最も困難な奇手を選択した。
理由は大きく分けて二つ。一つは敵を取り込むことで敵を減らしつつ戦力を増強する事。もう一つは魔導を失い権威の弱体化を知られる前に自ら差別階級を撤廃する事で王家の器量を見せつけて亜人全体を牽制と懐柔する事にある。当然すぐに平民や貴族が新たな価値観を受け入れる筈が無い。だからこそ相対的に王家の求心力が上がるとも言えた。
王家にとって最も恐ろしいのは亜人、平民、貴族が結託して自分達を何もかも消し去ってしまう事。なら団結させずにバラバラにしてしまえばいい。亜人を優遇する事で戦力化しつつ、平民の憎しみを肩代わりさせて仲違いさせる。貴族は元から敵に近い間柄で、いずれ蹴落とし合う仲になるので関係無い。
「というのが仮王の方針で、無茶振りされて死ぬほどこき使われる未来しかないのが俺だ」
「ただの自業自得じゃねーか。むしろよくその程度で許してくれたと思うぞ」
オットーの辛辣な意見にタナトス以外の全員が頷く。それでも代わりの首を用意して死を偽装して生きている事を許されているのだから文句を言う方がおかしいのだ。
「ではせっかく拾った命なんですから精々使い込んでから死にましょう」
「おう、そうさせてもらうよ。それとこれは魔人と戦ってくれた分の報酬だ。足りるか分からんが受け取ってくれ」
タナトスは懐からパンパンに詰まった革袋を取り出して、全員に一つずつ渡した。袋の大きさはヤト達四人の方が大きく、オットーとヘファイスティオンは四人のより小さい。
早速カイルが紐を説いて中身を見ると、中には色とりどりの宝石が大量に入っていた。親指の爪ほどの大きさのルビーを一つ摘まんで角度を変えながら品質を確かめる。
「いいね!命を賭けて働いた甲斐があったよ」
カイルはホクホクの笑みで宝石を握りしめた。これ一つでも平民が一年働いた稼ぎはある。それが三十近くは袋に入っている。先王暗殺前に貰った報酬を足せば半年以上命懸けで戦っただけの価値はあった。
他の五人も量は違えど同じものを貰っていたが、財産には無頓着だったので中を確認だけして懐に押し込んだり、番や主人に渡して終わりだ。
「そろそろ僕達は行くとします。タナトスさんにはもう会う事は無いですが、精々納得のいく余生を送ってください」
「ああ、そうさせてもらう。――――――お前達のおかげで俺の魂はようやく自由になれた。本当にありがとう」
タナトスはヤト達に深々と頭を下げた。
彼は今までずっと他人の都合で生かされていたのを疎ましく感じていても、それを途中で投げ出す事が出来なかったのだろう。生まれ落ちた時より親に死を望まれ、助けた女からは復讐を願われ、育ての親には娘の復讐の道具として育てられた。勿論彼自身の憎しみと復讐心はあっただだろう。不当な差別にも憤りを感じたからこそ彼の心を感じた亜人達も進んで付いて来た。だがそれも全てが己の意思から始めた事ではない。どこかに他人に押し付けられた役割と感情があった。
真に役割を終わらせなければ自分は一生他人のために生きる呪いに動かされ続ける。その呪縛を破る手助けをしてくれたヤト達に心から感謝していた。これでようやく己の人生を歩けると思うと感無量だった。
そして彼は満ち足りた顔で都の方に歩いて行った。
「じゃあ俺達も行くとするか!」
ヘファイスティオンは口笛を吹いて自分のドラゴンを呼ぶ。オットーも騎獣のヒッポグリフを呼んだ。二人はまず国を出て南に行くと言っていた。
「そうだ、オットーに約束通りこれを返しておきますね」
ヤトは荷物から二振りのフォトンエッジを出してオットーに渡す。元は彼の持っていた得物だ。
「おいちょっと待てよ。俺はまだあんたに一太刀入れてないぞ!」
「でも僕の顔に良いのを一発入れたじゃないですか。剣士にとって剣だけが攻撃手段とは限りませんよ」
その言葉にオットーは反論する気を失う。確かに剣術とは剣だけを攻撃手段にするわけではない。時に密着した状態で当身を食らわせたり、柄頭で殴る事も技の一つとして取り入れる流派は数多くある。
あの時多少油断していたがそれでもオットーがヤトの顔に拳を叩き込んだのは紛れもない事実。それを無かった事にする気はない。
オットーは渡された二振りの剣を力強く握り締めて炎刃を生み出す。不安定に揺らめく炎をじっと見て不意に涙が零れた。
予期せず負けた相手に一泡吹かせて、自らの力量で大事な剣を取り返した。この事実は戦場でどんな相手を倒した事より、己が以前より強くなった証として魂を揺さぶった。
彼はようやく騎士の誇りを取り戻して一端の騎士になれたのだ。
「まったく泣く奴があるか!お前はこれからもっと強くなってヤトに再戦を挑むんだろうが!!泣いてる暇なんぞ無いからな!」
「……お、おうっ!!」
涙をぬぐったオットーは既に騎士の顔に戻っていた。そして二人の騎士はヤトと再戦の約束をして南へと旅立った。
あっという間に小さくなる騎影を見送った四人。次は自分達の番だった。ただ、その前にもう一つの別れを済ませなければならない。
クシナは寂しそうに鳴く岩竜のクロチビの顔を撫でて言葉をかける。
「汝も番が出来て一人前のオスになったんだ。そんな情けない声を出すんじゃない」
「GUUU……」
厳しい言葉だったがクロチビは何度か頷いて顔を離した。彼は天に向かって咆哮を上げた後、番の青ドラゴンと共に北へと飛び去った。
クシナは二頭の竜が見えなくなるまで見守ってから一つ溜息を吐いた。
「まったく、甘ったれた奴め」
そう言った後、彼女は服を脱いで本来の古竜の姿に戻る。三人は彼女の背に乗り、異邦人たちは舞い散る雪の空へと高く昇った。
冬の北国の空はかなり冷える。カイルは防寒着を着込んで寒さに震えながらタルタスでの日々を振り返った。
「聞いた通りのひどい国だったね。もう二度と行きたくないよ」
「僕はそれなりに充実した日々でしたよ。あの二人との再戦が待ち遠しいです」
カイルは兄貴分の喜びに満ちた言葉に白い息を盛大に吐く。予想していた回答だったから少しばかり呆れただけで何も言わない。だから話をクシナやロスタに向ける。
「儂はチーズは美味かったが今度は水気のある果実と魚が食いたいな」
クシナはタルタスの多種多様なチーズを好んだものの濃い味には些か飽きていた。だから今度は瑞々しい果実や新鮮な魚が食べたいと言った。この辺りはまだ大きな川が無いから魚は難しく、今は冬なので果実は干した物しか手に入らない。もうしばらく我慢してもらうしかない。彼女は食べるのは好きだが我儘ではないので、無いと言われれば納得してある所まで待ってくれるだろう。
そしてロスタは何やら物思いに耽っている模様。主人が何を考えているのか尋ねると、彼女は珍しくおずおずと身の内を明かしてくれた。
「私はこの国の魔導騎士のように魔人を材料に造られたのではないかと考えていました。あるいは私を造ったアークマスターはこの国の魔技と関わりがあるのではないかと推測致します」
ロスタはこの国に来る前から時々己の起源を思考していた。フロイドが語った魔人の知識、エルフの村で感じた不思議な感覚。そしてタルタスに来てフォトンエッジに触れ、さらに先日封印された魔人を見て以降、より強く己を考え続けていた。
「可能性はあると思います。フォトンエッジを扱えるのも貴女の中に魔人の力が宿っていれば使えるのも道理です」
ヤトはロスタの考えを肯定する。フォトンエッジを扱うには魔族から摘出した力――魔導が不可欠だ。ゴーレムの魔法的動力としても上質な源泉になるだろう。となればロスタを造った主は魔人の利用法を自力で編み出したか、誰かに教えられたかだ。
そして世に出回っているゴーレムに魔人の血肉や力が用いられていると今まで聞かない事実と、タルタスの実情が秘匿され続けた事を鑑みるに何かしらの繋がりがあった可能性はあると思われる。
とはいえロスタを造った者は既にこの世に居ないはず。真相を知る術は無い。しいて言えば製造技術を継承した者がどこかにいれば、その人物に問うてみるのも良いだろう。勿論簡単に見つかるとは言えないのだが。
そこまでの分析をヤトが口にすると今度はカイルがロスタに提案した。
「意外と古い遺跡を探せばロスタみたいなゴーレムがまた見つかるかもしれないし、旅のついでに探してみようか?」
「よろしいのですか?」
「あんまり厄介事にならない限りはいいよ。僕は遺跡探索好きだし」
カイルはこれぐらいは普段からよく働いてくれる人形への褒美と思って了承した。主人の気遣いにロスタは自然と頭を下げた。
「ではカイルの故郷を目指すついでに遺跡かゴーレムの情報があれば調べましょうか」
「異議なーし!」
男二人は新たな指針を示し、竜は魔の住む国の寒空を東へと翔けた。
第四章 了
これにて「東人剣遊奇譚」第四章はおしまいです。続きの第五章ですが書き溜めた分が無くなったのとネタ切れしているので、申し訳ありませんがしばらく更新が出来ません。
作品はまだまだ続きますが読者の皆さんの声援と評価が多ければ多いほど励みになりますのでどうかこれからも応援よろしくお願いします。
それでは気長にお待ちください。




