第32話 心地良い戦
開戦の合図を担った鬼達はそのまま勝負を続行した。
二人は引き絞った弦から放たれた矢の如き速さで王子の死体から自らの得物を回収。そのまま亜人兵の列の隙間を縫って、後ろにいたコカトリスの首をそれぞれ刎ねた。さらにヤトは近くに居た燃える尾を持つ蜥蜴≪サラマンダー≫を二体纏めて気功剣で八つに解体した。ヘファイスティオンも負けじとユニコーンに跨った女の魔導騎士を騎獣ごとトライデントで叩き潰した。
「騎獣と魔導騎士は個別計算で良いか?」
「どうぞどうぞ」
ヤトもケチ臭いことは言わずに快諾しつつ、後ろから飛び掛かったガルムの口に翠刀を振り向かずに刺し込み、左右に割る。現在ヤトが十点先行。
幻獣は基本的に頭が良い。その頭の良さで否が応でも自分達は殺すのではなく殺される獲物と理解した。死への恐怖から半狂乱になった幻獣達はそれでも生きるために咆哮を上げて殺戮鬼共に襲い掛かった。
鬼が前線で幻獣と戯れてイドネス軍の足を止めている間、シノン軍は前以外の三方から襲い掛かるディオメス王子の伏兵の対処に追われていた。総大将の王子が死んだが、イドネスと違って戦の指揮は部下に任せていたので指揮系統の混乱は無い。
命からがら逃げて来たシノンは多少の時間使い物にならなかったが、すぐさま平静を取り戻して全体の指揮を執っている。ディオメスの伏兵は数こそ少ないが半包囲を形成して効率的に兵を動かしていた。おかげでシノン軍は数は多くとも大半の兵は接敵する事すらままならず、ちくちくと兵を消耗していた。
前線のタナトス旗下の兵達は機動力に勝る敵騎馬兵の攻撃をよく防いでいた。これは兵士の多くが元剣闘奴隷として対騎兵戦法を知っていたおかげだ。突撃する騎馬に恐れず踏み止まって、盾を幾重にも構えて壁として耐えつつ槍で穴だらけにする。熟練の勇士に相応しい戦いだった。
正面の敵亜人兵にはクシナがドラゴン達と共に対処していた。ドラゴン達は死んだ目で身体に纏わりつく亜人を埃を払うかのように散らす。敵兵の多くは怪我に呻くが、ドラゴンを相手に考えれば死者は驚くほど少ない。
「おーいチビ共、もう少し優しく払ってやれ」
クロチビの上から暢気に命令していたのはクシナだった。旦那が友達と敵陣の中で遊んでいるので仕方なくこの場を受け持って亜人兵士の相手をしている。タナトスからの頼みで可能な限り敵兵を殺さないよう、ドラゴン達に加減するように命令するのはクシナしか出来ない役目だ。
カイルはタナトスが乗るドラゴンに相乗りして高所から絶え間なく矢を浴びせ続けた。エンシェントエルフの族長ダズオールから餞別に譲られた長弓から放たれた矢が騎馬兵の兜の隙間から眼窩を貫いた。
「おのれ小癪な―――がっ!!」
隣で指揮をしていた鶏冠付き兜の指揮官も同様に兜のスリットから矢が生えて落馬した。
指揮官がやられた事で浮足立った一部の騎馬隊にも矢の雨が降り注ぎ、馬もろとも毛虫のようになった。
手柄首を落とした喜びを感じる間もなく、カイルはひたすら弓の弦を引き続ける。若い騎兵、中年の騎兵、女騎兵。射殺した相手がどこの生まれでどんな身分かなど分かりはしない。ただ分かっているのは、この矢の一本一本が敵に刺されば、それだけ味方の兵士の命を救う。それだけは信じていた。
「矢筒ッ!!」
空になった矢筒を捨てて、下に居た狼人兵から矢の詰まった新しい筒を受け取る。既に騎馬兵を二十は射殺したが、敵は中々減らない。
時折騎馬兵が矢を撃ち返すが、それは護衛のロスタが悉く切り払ってくれるので安心して弓を引けた。あるいは矢を手づかみして渡してくれるので、そのまま相手に返してやった。きっと喜んであの世に行ってくれるはず。
弓を引く合間にちらりと前線を見れば、敵陣で暴れ回っている鬼のコンビが目に入る。既に幻獣の半分を挽肉に変えていた。どちらも目を輝かせて子供のように声に出さずとも笑いながら敵を斬り続けている。
「うわっ……」
戦場という死と破壊の蔓延する場にあってなお、清爽な笑みを浮かべる戦鬼共がこの上なく凶々しく見えたカイルは思わず身震いした。味方でさえ震えが来るのだから敵にとっては正真正銘、地獄の鬼に見える事だろう。会談中に総大将を殺す横紙破りに憤慨して上がった士気も、肉片がばら撒かれるたびにすっかり萎えていた。
そこに追い打ちのようにどこからともなく剣やら槍が轟音を立てて飛んできて、遥か遠くの後衛にいる兵士を数人纏めて串刺しにしていた。発射元は指示だけで暇を持て余していたクシナだ。彼女は亜人の奴隷兵士が落とした武器を拾って、ドラゴンの上から投げて的当て遊戯に興じていた。
届くはずの無い距離からの投擲も、古竜の膂力をもってすればただの石槍が攻城兵器並の威力と飛距離を発揮する。悪鬼共のようにいずれ来る脅威は身構える事ぐらいは出来るが、どこからか飛来して死者を積み上げていく投擲は後方に居ても対処すら難しく、さらに兵士の士気を挫いた。
「知ってたけど冗談みたいな存在だなぁ」
「お前も俺から見たら似たり寄ったりだぞ」
タナトスは戦場で暢気に呆れていたカイルにツッコミを入れた。魔導騎士の力以外は突出した才覚を持たないタナトスから見たら、高速で移動する騎兵の兜の僅かな隙間を矢で貫くような神技を連発するカイルの技量とて羨望に値すると思っている。今も話しながら二本の矢を同時に射って、二騎を仕留めた。おかげで罠に嵌ってもどうにか勝って生き残れそうなのだから用心棒様々である。
「ふーん――――で、指揮官から見て戦には勝てそう?」
「敵に伏兵以上の隠し玉が無ければ勢いで何とか押し切れるはず」
「あると思う?とっておき」
「あったらとっくに出してるよ」
つまりそういうことだ。もしディオメスの伏兵以外に切り札があれば幻獣が全滅して、悪鬼共に後衛にまで食い込まれるまで手をこまねいている理由が無い。
どうにか勝ちが見えてきたが、こういう時に警戒しなければならないのが指揮官への狙い撃ちだ。どうしても高い場所を見下ろす必要のある指揮官を排除出来れば指揮を乱せる。今もドラゴンの上にいる自分達を狙って何本もの矢が撃ち込まれている。ここはロスタが全て切り払ってくれるので安全だが、シノン王子が死んでしまっては、せっかく相手の王子二人を殺したのも無駄になる。
後ろを見ればシノンは軍の中央で近習の盾に囲まれてがっちり守られていた。あれなら矢も届かないだろうし、よしんば届いても周りの兵が身代わりになってでも守るだろう。
攻撃してくる騎馬兵も堅実な防御と反撃で段々数が減っている。見張りが居なくなれば戦わされている奴隷亜人兵も支配から解かれて徐々に逃亡していた。それが敵軍全体に伝播して、他の兵も命惜しさに逃げている。
勝ち戦をひっくり返されるのは最初から五分で戦うより士気を折られやすい。勝って日暮れには美酒を味わうはずが、逆に命を失う恐怖に囚われて容易に足が竦み、一歩後ずさりすれば、次は逃げの一手を選んでしまう。戦は数や戦術も大事だが、徴集兵が多い場合は何よりも士気と統率が物を言う。イドネスとディオメスの軍はその両方を保てなかったが故に負けるのだ。
兵は段々と減り始めていたが、敵本陣を構成する本来大将を警護する魔導騎士や近習兵は、未だ踏み止まって主君の仇の悪鬼共の首を獲ろうと刃を向ける。
既に返り血で肩を並べる赤鬼と同じぐらい赤く染まったヤトは一番手前の女騎士に斬りかかり、鍔迫り合いに持ち込んでから左手の鬼灯の短剣を鎧の隙間の腋に刺して心臓を貫く。
「これで二十」
「俺は二十三だ」
隣のヘファイスティオンは三叉槍の連続突きで騎士を二人纏めて穴だらけにした。
負けじとヤトも気功の刃を飛ばして騎士の腕を切断。呆けたところを近づき翠刀で首を飛ばした。これで差は二。
そこに一人の魔導騎士が躍り出てヘファイスティオンに炎刃を振り下ろした。しかし赤鬼は奇襲にも冷静に対応して、揺らめく陽炎の剣を槍で難なく受け止めた。騎士はヤトにも聞こえるぐらい大きな舌打ちをした。
「おい副団長!あんたシノンに寝返ったのかっ!!」
長剣のフォトンエッジを向けた巨漢の獣人がいきり立つ。体格はヘファイスティオンと同程度。風に靡く立派な鬣と猫科の風貌、鎧に覆われていない二の腕には黄色と黒の縞模様。虎と獅子と人の特徴を併せ持った異質にして、ある種の均衡を保った美に目を惹かれた。
ただし粗野な貌にはヘファイスティオンへの怒りが溢れんばかりに満ちていた。
「おうそうだぞメレアグロス。こっちの方が面白そうだからセンチュリオンも辞めた。退職届は出してないがな。で、お前は寝返った俺とやるか?」
「………やってやろうじゃねーか!!てめえの首掲げて王都に凱旋だ!!」
牙を剥いて獣人メレアグロスがヘファイスティオンに強襲する。技巧も何もないただ激情に任せた力任せの長剣が三叉槍とぶつかり合う。鍔迫り合いにより互いの筋肉が震え、得物がギチギチと悲鳴を上げて軋んだ。同時に二人は得物から左手を離して示し合わせたように理力を行使。ぶつかり合う二つの理力が反発力を生んで、互いに弾かれた。
またも先に仕掛けたのはメレアグロス。今度は理力で枯草を大量に巻き上げて目くらましにして、側面に回り込んで斬りかかった。
勝負はつかずとも一太刀は入ると確信した攻撃は逆に茶のカーテンを貫いて飛来した白い突起に阻まれて、メレアグロスの頬に浅い切傷を付けた。流れる血が毛皮を赤く染める。
突起は射出したヘファイスティオンの指の爪だ。
「お前、俺の異能を忘れてたのか?訓練なら俺から十本に二本は取れたのに情けない奴め」
目眩ましを逆に利用されて、かすり傷とはいえ先に血を流したメレアグロスは怒りに全身の毛を逆立てて、幾重にもフェイントを織り交ぜた殺し技を繰り出すが、そのどれもが怒りと殺気でフェイントが見破られて安穏とした余裕をもって捌かれた。
そこから先、常に攻め手は虎獅子の獣人で、その殺気に満ちた炎刃を受けるのが赤鬼だった。剣と槍の応酬に含まれる気迫の熾烈さに周囲の兵士は総毛立つ。どの手も喰らえば急所を突かれて絶命必至の一撃、既に両者の攻防は三十手を数えて、それでも勝負が未だに付いていないのは有効打を得ていないからだ。
「くそっ!なぜ、何故だ!!なぜ俺と同じ混血のお前が副団長をやっている!?」
苛立ちを込めた何の技巧も含まない力任せの一撃を、ヘファイスティオンは同様に稚拙で無様な一撃で吹っ飛ばした。
「そんなもの俺の方が強いからだろうがっ!!そんなに欲しかったら空いた椅子ぐらいくれてやるから勝手に座れっ!!!」
戦場で折角良い気持ちで戦っていたのに、染みったれた恨み言の一つも言われたら腹ぐらい立つ。
この言葉を機に攻守が入れ替わり、攻め手はヘファイスティオンに移った。――――と思えば赤鬼はいきなり三叉槍を逆手に持ち替えて、本来の用途である銛突きに用いてぶん投げた。
超高速で飛来する槍をメレアグロスはどうにか剣で防ごうとしたが、威力を殺し切れずに剣を持っていかれた。そのまま槍と剣は名も無き兵士達の身体を貫いた。
互いに無手となり、獣は腰の剣を抜こうとしたが、鬼はそれより速く跳んでメレアグロスの顔面にハンマーの如き拳を叩き込む。獣人特有の鋭い牙が幾本折れて血と共に飛び散って倒れた。
追撃とばかりに赤鬼は馬乗りになって、両手を骨で覆って絶え間無く振り下ろす。
何度も何度も何度も―――――――なすがままに殴られ続けた。
普通なら最初の一撃で即死するほどの威力が鬼の拳にはある。何度も振り下ろされれば原形をとどめず挽肉になっているはず。にもかかわらずメレアグロスの瞳にはまだ闘志が宿っている。
それが分かっているヘファイスティオンは拳を止めない。それどころかより強い一撃を打ち込み、完全に闘志をへし折るために大きく息を吸って振り上げた拳を無慈悲に振り下ろした。
その瞬間、メレアグロスは頭を僅かに動かして破城槌のごとき拳を避けて、バランスを崩したヘファイスティオンの身体を両手で突き上げて拘束を脱した。
今度は先に立ち上がって体勢を整えたメレアグロスの拳がヘファイスティオンを襲う。怒涛の連打で鬼の顔がみるみる歪み、渾身の右腕が顎を捉えた。
顎を割って手ごたえを感じた鬣の獣人は止めの一撃に腰の剣に手を添えて抜く。――――はずが、その前に鬼に腕を掴まれて動きを止められた。
「甘いわっ!!!」
咆哮と共に鬼は虎獅子の突き出た鼻に頭突きを食らわして再び倒れ込んだ。そのまま両手を拘束し、岩のような頭を上から勢いをつけて叩き付ける。
鬼の体で最も硬い頭蓋の角を叩きつけられたメレアグロスは何度も意識を飛ばしては痛みで覚醒を繰り返した果てに、とうとう完全に意識を失って、剣から手が滑り落ちた。激闘を制したのは赤鬼だった。
ヘファイスティオンは荒い息を吐いて顎を擦る。痛みで思考が研ぎ澄まされ、ここが敵地だったのを思い出して身構える。
しかし既に敵兵は一人も居ない。代わりに同朋と認めたヤトが両手に剣を持って佇んでいた。
「心地良い戦いでした。敵はもう壊走していませんよ」
「そうか、もう終わりか」
「止めは刺しますか?」
ヤトは鬼灯の短剣を差し出す。
「お前の数は?」
「騎士を何人か倒して二十八です」
「じゃあこいつを殺しても俺の負けか。今更だな」
ヘファイスティオンは剣を取らずに、倒れたままのメレアグロスを放置した。そのまま自分の槍だけ回収して死体の折り重なった戦場を引き返して味方と合流した。
クレタ盆地の戦いはシノン軍の勝利に終わった。




