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東人剣遊奇譚  作者: 卯月
第四章 囚われの魔
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第31話 魔窟の王子達



 シノン軍がヒュロスの街より出征して既に二十日が過ぎようとしていた。現在はイドネス王子貴下の貴族領との目と鼻の先まで進軍していた。

 幸い近くには湧き水の出る泉があるので、今日はここで進軍を止めて野営の準備を始めた。

 兵士達は日に日に厳しさを増していく高地の冬の寒さに身を震わせた。あと一ヵ月もすれば本格的な冬が到来する。冬に露天の野営などしたら大抵の者は凍死する。その前にどうにか戦を終わらせて帰還するか、敵の街を奪って冬を越さねばならない。兵士ですら危機感を感じているのだから、上層の指揮官たちの焦りは相当なものだろう。

 総大将のシノンは特に焦りも不安も見せていない。一番上が狼狽える姿を見せればすぐに集団に悪い影響が出るのだから、例え本心は不安に感じていても表に出さないのが王族の務めだった。

 その夜、一人天幕で胃の痛みを抑えていたシノンの元に、護衛兵が一通の手紙を持ってきた。

 見覚えの無い兵士に一瞬身構えて剣の柄に手を添えたが、兵は何もせず手紙だけを置いて立ち去った。

 恐る恐る手紙を取って毒の類が仕込まれていないことを確認したシノンは手紙の中を一瞥して、珍しく歓喜の声を上げた。彼はそのまま夜中にも拘らず軍議を開くように近習に命じて、主だった指揮官達を招集した。


 翌朝、軍は行軍を再開した。

 タナトスは軍勢の後ろで欠伸を噛み殺して馬に揺られていた。


「寝てないようですが落馬して死ぬなんて間抜けな最期はお勧めしませんよ」


「あーそうだな。ふあーーーあ」


 大きな欠伸をもう一つ。隣を歩くヤトの忠告は無駄らしいが、手綱を握ったままなので多分大丈夫だろう。


「――――何か進展があったようですね」


「第二王子のディオメスが同盟を受け入れて、地方への派遣を理由にイドネスから国軍を取り上げた。これでうちの不安要素は地の利と冬だけだ」


 ヤトの経験から言わせれば冬の寒さはともかく、地の利の劣勢は割と無視してはいけない要素なのだが。まあ軍権も無い立場でどうこう言ったところで聞き入れられるはずもないので沈黙した。

 一応国軍が関わらなければ両軍の兵数は同程度、センチュリオンもイドネスの派閥は先日の古城奇襲の折に壊滅しているので助力があっても数名程度と思われる。純粋な軍事力ならシノン軍は劣勢とは言わない。となれば後は将の技量で戦の行く末は何とかなる。

 敵地ゆえに決して油断は出来ないものの、数的不利は避けられたので指揮官連中には安堵感が広がり、兵達にも少しは余裕が出て来た。適度な緊張感のある余裕は士気の向上にも繋がるので歓迎された。

 シノンの軍勢は無人の荒野を歩むが如き軽快さで領地を進んだ。残念ながら進軍上の集落は全て空になっていて食料の補充などは叶わなかった。住民は全員食料を持って村を捨てて逃げ出したようだ。考えようによっては略奪に夢中になって時間を無駄に取るよりは良いとも言える。


 戦況に変化が見られたのは敵地に入って三日目の事だ。空で偵察任務に就いていた騎獣隊が北方の丘陵に囲まれたクレタ盆地に三千程の兵が集結しているのを発見した。掲げられた旗からイドネス王子が布陣しているのが確認された。

 布陣から向こうも既にシノンの軍が領地に入った事は分かっている。その上で陣を敷いた場所が退路に乏しい囲まれた地というのを指揮官達は疑問視していた。イドネスは国軍を預かる経験豊富な将だ。わざわざ不利な地を戦場に選ぶとは考えにくい。

 となれば何か罠を仕込んでいるか誘いであると結論付けた。問題は罠と分かっていても戦わずに引き返す選択肢が無い事だ。

 今更避けられない戦いなら真正面から打ち砕く―――――シノンは貴族の誉と笑って見せた。当然、ただ突っ込むわけではなく、最大限戦地周辺を警戒して伏兵や罠の有無を上空から調べて把握した。

 やはりというべきか周囲の林や岩陰に何人もの伏兵が隠れているのを見つけた。戦となれば伏兵が後ろから襲いかかって挟み撃ちにする手筈なのだろう。

 軍は先んじて兵を向けると隠れていた兵は一目散に逃げだした。奇襲するつもりの兵は逆に奇襲を受けると動揺して脆いものだ。

 先に憂いを払ったシノン軍は士気を高め、敵軍が待ち構える盆地に向けて進軍した。



 決戦の日はどんよりとした雲に覆われて日の射さない空をしていた。三方をなだらかな丘陵に囲まれた地は草も少なく、冬を前に枯れていて見通しが良い。

 元々このクレタ盆地はイドネスの家の牧草地として、数千頭の牛や馬のような大型の家畜を放牧していた土地だ。

 そのクレタ盆地は今、二つの大きな集団が対峙して、共にけたたましいラッパ、角笛、それと太鼓の音が合わさって混沌とした演奏会を催していた。

 イドネスの軍は前列中央に亜人兵を配置、その両端に挟み込むように人族の騎馬兵を置く。後ろの中衛には鎖で繋がれた何十頭もの幻獣が唸り声を上げて苛立ちを紛らわせていた。後衛は総大将の本陣があり、魔導騎士達や人族の歩兵が守りを固めている。

 この配置は亜人兵を敵軍にぶつけて足止めしたのち、幻獣を突っ込ませて味方ごと敵を圧し潰すためだ。脇の騎馬は機動力を生かした遊撃隊と亜人兵を逃がさないための督戦隊も兼ねていた。

 シノン軍も構成は似たようなものだ。違いは幻獣の数が少ないのと代わりにドラゴンが数頭いる事、それに同じ前列中央配置の亜人兵の様子に差がある程度だ。

 戦場で最前に立たされたイドネス軍の亜人兵は誰も彼も陰鬱として瞳に生気が宿っていない。命を賭けて戦う恐怖、興奮、喜び、悲哀。何もかも持たず、ただ立っているだけ。カカシと言われればすんなり信じてしまうほどに、彼等の中には何も無かった。

 彼等亜人兵の眼前には二頭のドラゴンと同じ亜人兵の集団が待ち構えている。前には敵のドラゴン、横には慈悲無き騎馬兵、後ろは獰猛な幻獣。逃げ場などどこにもない。何故戦をするのか誰も知らない。ただ分かっているのは自分達は今日この場で例外無く死に絶えるという事だけだ。

 シノン軍の最前列、クロチビともう一頭のドラゴンの側でヤトとクシナ、それとヘファイスティオンは最前列でどう動くべきか雑談交じりに話していた。やや後ろでドラゴンの上に乗って指揮を執っているタナトスからは自由に動いて良いと言質を貰っている。カイルとロスタはタナトスの直衛として側にいる。


「奴隷や雑兵を倒しても誉にはならん。どうだ、いっそイドネスの首を取った奴が勝ちというのは?」


「悪くないですが、幻獣や魔導騎士の首にも価値はありますから、点数制はどうでしょうか」


「なら幻獣は十点、魔導騎士を獲ったら二十点、イドネスの首には五百点。それ以外は零点でどうだ?負けたら牛乳を鼻から飲む」


「いいんじゃないですか。仕留めた相手は自己申告で誤魔化しは無しにしましょう」


「汝等はアホだ」


 男同士のアホな競争をクシナはバッサリと切り捨てた。クロチビともう一頭の青い鱗のメスドラゴンも口を併せて「そうだそうだ」とまくし立てる。最強の幻獣も、さらに上の種であるエンシェントドラゴンには気を遣う。ちなみにこのメス竜は古城襲撃の際にクロチビに焼かれて空から墜とされた竜だ。幸運にも生き残った彼女は、自分に勝ったクロチビに惚れ込んで、いつの間にか番になっていた。

 クシナは呆れているが、少なくとも亜人奴隷の兵士を率先して殺さない点は亜人の多い自由同盟の面々には歓迎される。罰則を設ける事への罵倒は全く以って同意なのだが。

 アホな男二人は剣と槍を構えて、今か今かと戦の号砲を待った。

 しかしいつまで経っても火ぶたが落とされる事は無い。代わりにイドネス軍から二本の旗をはためかせた一台の戦車が出てくる。片方の旗にはこの国の王家の紋章である魔導を象徴する炎の刺繍が。もう一つの旗には白い竜が織られていた。


「あの旗は――――イドネス王子自らのお出ましか」


 ヘファイスティオンの呟きに、ヤトはバイコーンの二頭立て戦車の上に立つ大柄な中年男の顔を記憶した。あの首が五百点だ。

 戦車は両軍のちょうど中央の位置で停止した。兵士の中には弓を構える者もいたが、指揮官から強い制止を受けた。戦の前に大将を射るのは恥でしかない。

 しばらくするとシノンも巨大な牡鹿に曳かせた戦車に乗ってイドネス王子の元に赴く。兄弟の久しぶりの対面だった。

 二人は親し気とは言えない様子で話している。遠すぎてヤトには聞こえない。クシナは聞こえるようだが、わざわざ何を話しているのか聞くほどの興味は抱かなかった。どうせ互いに降伏勧告でもしているのだろう。ここまで来て了承する筈は無いが、何事も形式は重要だった。


「ん?」


「どうしましたクシナさん?」


 クシナが唐突に周囲を見渡して耳に手を当てた。この仕草でヤトも何かに気付いた。これはシノンが下手を打ったと。

 次の瞬間シノン軍を囲むように枯草の地面が盛り上がる。跳ね上がった戸板の後から何人もの武装した兵士が巣から一斉に飛び出すネズミのように現れた。

 戦場の兵士達は誰もが困惑していたが、イドネス軍の一部指揮官は静観を保っている。遠目にシノンが狼狽えたのと対照的にイドネスは勝ち誇った笑みを浮かべた。敵か味方か問う必要は無かろう。

 新たに現れた兵はシノン軍の側面と後方を防ぐように隊列を組んだ。数は二千を下らない。

 そしてイドネス軍から軍馬が一騎王子達に近づいた。乗っている騎士は鎧兜をしていて顔が分からなかった。

 騎士は王子達の前で馬から降りて臆せず近づき、そこで兜を脱いで地面に捨てた。男はシノンやイドネスに似た顔の中年だった。


「あれはディオメス王子か」


「負けを認めて跪け、弟の命までは取らない。と言ってるぞ」


「……シノン王子は嵌められましたね。いや、最初から組んでたところにのこのこ来ただけかな」


 同盟相手が敵軍と共に居る。これ以上に無いほどシノンの窮地を示していた。とはいえヤトにとってはさほど重要な事ではない。それより気になる事がある。


「あの王子の首も五百点でいいですか?」


「ふははは、それは良いな!……やるか?」


「やりましょう」


 剣鬼と戦鬼は空気を読んでも構わず叩き壊す。

 ヤトは翠刀をディオメスに、ヘファイスティオンは炎刃を出したトライデントをイドネスに向けて全力で投げつけた。下手に近づくよりこれが一番速い。

 風を切り裂き飛翔する二つの禍々しい凶器は糸で繋がったように狙った二人の王子の胴体に突き刺り、勢い余って身体を地面に釘付けにした。

 戦場に奇妙な静寂が訪れる。

 最初に動いたのは最も近くに居たシノンだった。彼は目の前で兄達が死んだ事を悲しむ間もなく、自分の乗って来た牡鹿戦車を見捨てて、ディオメスが乗っていた馬を奪って一秒でも早く自軍に向かって逃げ出した。


「まずお互いに五百点」


「考える事は同じでしたね」


 相手に先んじたと思ったのに互いに同じことをしているのだから笑える話だ。

 会談中に総大将を殺されたイドネス軍の本陣で動きが見られた。相当に離れたヤト達の位置からも絶叫と戦を始める号令が耳に入り、開戦のラッパが盆地に響き渡る。


「戦闘開始だーーーー!!!」


 真っ先にタナトスの指示が飛び、自由同盟の戦士達は隊列を崩さず盾を構えた。



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