第27話 センチュリオン
「ほほほっ!!さあさあ、必死で避けなさい綺麗な顔の坊や!もたもたしてたら腕が無くなるわよ~!!」
カイルは後ろから迫る死神の一撃を避けつつ、肝を冷やしながら心から悪態を吐いた。
「うっせえババア!年甲斐も無く興奮してるんじゃねえ!!」
「うふふ、その負けん気の強さと口の悪さを矯正するのが良いわ~。貴方はどれだけ持ちこたえてくれるかしら」
罵倒のお返しに喜悦の込められた炎の鞭が身体を掠めて肌を焦がす。既に火傷は十を超えるが死なずに済んでいるのは、ひとえに後ろで悦に入っているババアが手加減しているからだ。死ぬのは御免だが玩具にされるのも舐められるも同じぐらい不快だ。
始まりは何の事は無い。カイルが矢で射抜いて墜としたドラゴンの主が今哄笑を垂れ流すババア…正確には四十歳超えの中年の女魔導騎士だった。
半袖シャツの上に俊敏さを損なわない程度の胸部を覆うミスリル製のプレートアーマーを着ているのは良いが、下半身は褌のような下着に膝までの革製ブーツを履いただけ。見るに堪えない痴女の様なナリをしていて、見たら目が腐る気分だった。
この時ばかりは暗闇でもはっきりと見通せるエンシェントエルフの目を呪いたくなった。
話がずれたが、服装はともかく騎竜が落ちても無傷で生き残った彼女が屈辱を与えた少年に執着するのはある意味当然だろうが、追われる者にとっては果てしなく迷惑千万だった。
カイルは拡張した外壁の上を右に左へジグザグに逃げ回る。一直線に逃げればリーチに優れる炎の鞭が身体のどこかを容易く焼き切る。恐怖はあるが相手が遊んでいると分かれば、逆襲する隙があるのだから少しは心に余裕が持てる。
右右左真っすぐ右左左左真っすぐ右右。規則性を持たせず、止まらず、たまに懐からナイフや礫を投げて牽制するのを忘れない。相手は理力なる読心術を使うので当たる事は無いが嫌がらせ程度にはなる。
問題は反撃する機会だった。手っ取り早いのはそこらに居る兵士と協力して袋叩きにすることだが、今は城内から聞こえる悲鳴と怒声でこちらに手が回らない事ぐらい分かる。
元々魔導騎士は一騎当千の猛者だ。ここの兵なら百の犠牲もあれば一人ぐらい討てるだろうが、割に合わない犠牲を望むより自分で何とかした方がいい。
「おほほ!!邪魔よ、邪魔よー!!おどきなさ~い!」
カイルを鞭打つついでに側にいた兵士を虫けらのように屠っていく音を何度も聞かされたら助けを求める気すら萎える。
心の中で犠牲になった自由同盟の兵士に謝りつつ、何とか反撃の機を窺うがさっぱり良い案が浮かんでこない。せめて兄貴分夫婦とは言わないが、従属のロスタが側にいれば協力して戦えるのに。肝心な時に一緒にいない己の運の悪さが恨めしい。
「あら、今女の事を考えたわね。ダメよ、今は私だけを考えていなさい。でないと――――」
ひと際鋭い鞭の一撃が肩を焼く。炎によって痛覚も焼かれるから、さして痛みが無いのが今は助かる。それでも脂汗が滲んで気持ちが悪い。
何より思考を読まれるのが本当に厄介だ。騎士見習いのエピテスは先読みこそしていたが精度は悪く奇襲も出来たが、後ろのババアは明らかに彼女より格上で出し抜くのは容易ではない。
思考を読む?――――――さっきあの女はロスタの事を言っていた。だが、名前は言わない。容姿にも言及していない。
試しに今度はエピテスを思い浮かべる。メイド服で天真爛漫に笑う姿を強く、その後にフォトンエッジを構える姿を一瞬だけ。
すると後ろからすぐに笑い声が帰って来た。
「あら、また女に助けを求めたでしょ?男の子なんだから勇気を出して戦いなさい」
「うるせー。頼りになる相手を頼って何が悪い!」
「メイドが頼りに?おほほ、面白い事を言うわね坊や」
読めた!理力の読心は万能じゃない。ババアは強い思考を読んでいるだけで頭の中を全て覗いているわけではない。
付け入るスキを見つけたカイルは逃げながら頭の中で次々と知っている者を思い浮かべる。母のロザリー、兄貴分のヤトと嫁のクシナ、ロスタ、モニカとサラ、エルフ村のロスティン、ナウア、サリオンなどなど。
とにかく手当たり次第に思い出しつつ、外壁の上を必死で走る。後ろからは絶え間ない品の無い笑い声と炎鞭の熱さが神経をすり減らすが、沸々と胸に湧く怒りと反骨心を燃やして対抗した。
追っかけっこを続けるカイルと痴女騎士だったが、唐突に終わりがやって来る。
先を走るカイルは突然、外壁の横の出っ張った部分から飛び降りた。当然女も一拍子遅れて獲物を見失わないように飛び降りる。
二人が飛び降りた場所には瓦礫が転がり、外壁の横が崩れていた。地面には大きな物が無理矢理通ったような抉れた溝が出来ている。溝の先には焼けた肉の臭いのするドラゴンが突っ伏していた。
中年痴女は知らなかったが、崩れた外壁はクロチビの火に炙られたドラゴンが墜落した時にぶつかって壁を突き抜けた箇所だった。
だらしない同僚の足を無視して獲物を探すとすぐに見つかった。カイルは崩れた外壁の中の休憩室らしき空間に隠れていた。
女騎士は血色の良い唇を舐める。あれで隠れたつもりなのだから憐憫を誘う。
女は炎鞭で壁や木製の床を何度も叩いては打音を響かせる。こうすると獲物は恐怖で泣いて命乞いをする。それが何よりも嗜虐心を掻き立てるから何度やっても飽きない。
カイルは薄暗い部屋の中で震えてはいないが縮こまっていた。嗚呼、何て弱弱しく儚いのか。
女が壁内に足を踏み入れて、心を読めばただひたすら助けを望む声が聞こえる。
「ふふふ、残念だけどお仲間は誰も助けてくれないわよ」
愉悦の籠った処刑宣告にもカイルは無言で座っている。
痴女は違和感を覚える。いつもならここで獲物は泣いて命乞いをする、勝てないと分かっても反撃に出る、恐慌状態になって意味不明な行動を取る。それ以外にも細かい違いはあるが、概ね何かしら生きるために行動を起こすものだ。今のように何もせず声すら出さずに心の中で助けを呼び続ける事は無かった。
なにかがおかしい。センチュリオンとして修羅場をくぐった勘が訴えた。
その勘は正しかったが、愉悦によって気付くのが致命的に遅れたのは戦闘者として大失態と言えた。
変化は唐突に表れる。部屋の天井、壁、床が蠢き、変態女騎士へと無数の腕を伸ばした。
驚愕に目を見開いた女は手の鞭で手当たり次第に腕を焼き切り、漏れた腕を理力で弾き飛ばそうと抗ったが、如何せん数が多すぎて対処しきれない。
それに今度は備え付けの棚や、テーブルやらイスが飛び掛かって散々に体当たりするので、とうとうフォトンエッジを取り落としてしまい、格子状に伸びた腕に雁字搦めにされてしまった。
「やっと捕まえた」
カイルが立ち上がり、女から距離を取って対峙する。その顔には勝ちが揺るがないと確信した余裕があった。
「参ったわね。坊やがエルフだってのを失念してたわ。助けは精霊に対してのものだったわけね」
「正解。ここは僕が樹木の精霊に頼んで建ててもらった建物だから。友達に助けてって言えばどこでも手を差し伸べてくれる」
女の答えは正しい。カイルは心を読まれるのを承知の上で様々な人を思い浮かべて真の狙いを隠し通した。そして精霊の腹の中である外壁内に誘い込んで袋叩きにした。
「そういうわけだからさっさと死ねよ糞ババア」
「まっ―――――――」
獲物扱いされて散々に追われた怨みは強く、命乞いを聞く間もなく精霊に頼んで痴女を生きたまま木の腕でバラバラに引き千切った。
部屋には原形をとどめない無数の肉が飛び散り、吐き気を及ぼす血生臭い臭気が漂ったが、カイルはそれらを無視して部屋を出た。
「あーもう!僕は盗賊なんだから、戦いは専門外なんだぞ!」
カイルは戦いが続く戦場でも関係無しに天に向かって吠えた。
今回は相手が舐めまくってくれたから勝てたようなものだ。これが一切の遊び心無しに殺しにかかったら逃げてもいずれは追いつかれて殺されていた。
仲間も遊んでいるわけではないが、放っておかれるのは気分が良くないし、身の安全が保障されないのは酷く不安だ。
とりあえず今は仲間を見つけるのが先決と考えて、警戒しながら戦場を奔走した。
カイルが窮地を脱した頃。ヤトは単独で三人のセンチュリオンを相手取ってなお優位に戦いを進めていた。
三人に囲まれても常に視界上の死角に動き回る。暗闇に紛れる。相手が同士討ちないし互いの攻撃の邪魔をするように立ち回って的を絞らせない。剣の間合いの外から気功刃を撃つようなフリをして牽制、もしくは実際に撃って手傷を負わす。魔導騎士が理力を使うのは十二分に知っているので、手の初動に注視しつつ絶えず見えない腕に捕まらないように避けては、同士討ちの誘発を繰り返した。
とにかく戦いの主導権を相手に握らせないように立ち回って数的不利を覆していた。
三人の騎士もセンチュリオンに選ばれるほどの腕利きだ。弱いなどと口が裂けても言えないが、どこか立ち回りに窮屈さを含んでいるのは否めない。
今もヤトが兎人の女騎士の長巻を正面から受け止めて足を止めた瞬間に金髪と巨漢が後ろから攻めかかるが、ほんの一瞬速くその場から離脱して体勢を崩した女騎士に逆に二人の男が攻撃するように誘導する。
残念ながら全員が咄嗟に炎刃を消して同士討ちを避けたので、三人が団子になって転がった以外にダメージは無い。
瞬時に起き上がった三人は自分達がなぜこうまで三人がかりで一人に遊ばれているのか分からなかった。
実を言えばこれはセンチュリオンの訓練不足が原因だ。別段彼等が鍛錬を怠けているという意味ではない。
センチュリオンが少数対多数の経験は積んでいても、自分達が多数で一人を相手取る状況での戦いを想定した訓練はしていないが故に連携に不備が出ているのだ。
彼等は文字通り戦場で一騎当千の働きをする選りすぐりの騎士だ。一対大多数で敵兵を殺し尽すか、古式奥ゆかしい一対一の決闘方式で名誉ある戦いを望まれる。
例外的にドラゴンの様な生物的上位種の討伐には少数の騎士が個を囲んで戦うが、ヤトの様な剣士一人に三人がかりは経験が無い。
故に騎士同士の連携が上手くいかず隙を突かれて、傍から見ればいいように遊ばれているように見えてしまう。
そんな状況を最も腹立たしく感じて最初に冷静さを欠いたのは巨漢のメイス使いだった。彼は気功刃を受けた傷の痛みと失血、そして今の転ばされた屈辱によって我を失い、猪の如く敵へと突進した。
真っすぐ向かって来る騎士を正面に捉え、ヤトは油断なく剣を構えた。あれは微かに策の臭いがする。どんな小さな情報も見逃さないように瞬きを止めて敵を凝視する。
巨漢の騎士の足取り、右手に握ったメイス型フォトンエッジ、憤怒を宿した瞳の奥底に隠れた理性、ぴくりとも動かない血に濡れた左腕――――――微かに動く指先。
騎士が何を狙っているのか気付いたヤトは左手に鬼灯の短剣を握り、自らも一歩を踏み出した。
二人の相対距離が二十歩まで縮まった瞬間、巨漢の騎士が初めて傷付いた左手の人差し指と中指をヤトに向けて念動力を行使した。
だがそれを読んでいたヤトは一秒早く前面に短剣の剣身を盾のように展開。自らの身を覆い隠しながら捨てる。
身代わりとなった短剣の盾が念動力によって地に叩きつけられた隙に、ヤトは地を這う蛇のごとき低姿勢のまま騎士の左側に回り込んだ。
そして驚愕に目を見開いた騎士の左脇腹から翠刀を刺し、心臓を貫いて反対の脇腹まで串刺しにした。
「「アンティゴノスーーーーっ!!」」
二人のセンチュリオンが今しがた息を引き取った同僚の名を悲痛に叫ぶが、ヤトにそんな事は関係無い。
刀を騎士から引き抜き、そのまま死体を抱えて残る二人へと突撃した。
巨漢の死体はヤトの身を完全に覆い隠す盾となって理力を遮断する。
咄嗟に仲間の亡骸をどうすべきか二人は思いつかない。その間に剣鬼はすぐそばにまで迫っていた。
やむを得ず兎人の女騎士が亡骸を理力で横に弾き飛ばし、若い金髪騎士が身を晒したヤトを迎撃する構えを見せる。
しかし死体の後ろにヤトは居ない。金髪騎士が左右を見渡しても見当たらなかった。
ヤトは既に跳んで騎士の頭上を取っていた。空中で身を捻って頭を下に向けて、手を突き上げる形で刀を金髪騎士の脳天に突き下ろした。
「そんなクレイトスまで!?」
信じられない物を見た女騎士は既に戦意が折れていたが、ここは戦場でまだ戦は続いている。
着地したヤトは赤緑になった血濡れの翠刀を呆然とする女騎士に投げた。
既に心が折れていた女は不可避の死に何もできなかったが、翠刀の切っ先が額に当たって痛みも無く弾かれたのを呆然と見る。
「えっ?えっ??」
死を覚悟したうえで何事も無く生きている自分に混乱。その上で投擲用の短剣を二振り持ったヤトに後ろから首を刺し貫かれて絶命した。
三人のセンチュリオンを屠ったヤトは勝利の余韻に酔う事無く剣を拾い、次の相手を求めて地獄と化した城内へと踏み込んだ。




