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蟠桃会  幼馴染みは白蛇の妖怪2  作者: 日向あおい(妹の方)
5/6

5.お仕置きが必要なのは、むしろお前だ

 

「眠い?」

 はっとして顔を上げれば、ものすごい至近距離に黄水晶シトリンの瞳。ドッキリしてしまう。

「少し寝れば? まだ動き無さそうだし」

 明かりを消した静かな部屋で二人。顔を近付け、声を潜めて夢月が言った。こういう時の夢月の声は、女の子にしては低い声だなぁと思う。

 姉のお下がりばかりを着ていて、ついつい忘れてしまうが、そうなのだ、夢月は女の子ではないのだと思い出す。

「ありがとう。大丈夫」

 友香は身動ぎ、ちょっぴり――こぶし三つ分ほど夢月との距離をつくった。

「けどさ。暗くして、じっと黙って座ってたら、そりゃあ眠くなるよね。てか、いっそ寝ちゃう? ベッドで」

 閃いたと言わんばかりに夢月は天蓋ベッドを指差して友香ににんまりと笑みを浮かべる。

「たぶんさ、現れるスイッチがあるんだと思うんだ。スイッチっていうか、条件っていうかさ」

「条件?」

「例えば、深夜二時になると現れるとか、ひとりっきりになると現れるとか」

「じゃあ、もし乃愛ちゃんの前にしか現れないって条件だったら?」

「その時は乃愛ちゃんに協力して貰うことになるんじゃないかな。けど、まあさ、今のところその条件が分からないわけじゃん? このままじっと待っているか、あれこれやってみるしかなくない?」

「やるって?」

 眉を寄せて訝しげに聞けば、夢月は再び天蓋ベッドを指差した。

「寝てみよう」

「えー」

 思わず非難の声が口を付く。

 乃愛のベッドを、乃愛にも祥子にも許可を貰わず使うのは抵抗がある。しかも、夢月の言いぐさときたら、ただ単に天蓋ベッドに寝てみたいだけのように感じられた。

 そうと抗議すれば、夢月は顔の前で片手をぶんぶん振った。

「違う。違う。直感的にそこのベッドに寝るべきだと思っただけ。つまり、勘。されど、勘。先詠神社の次男坊の勘を信じなさい」

「……」

 先詠神社の、と言われてしまったら返す言葉がない。というのも、先詠神社の者は直感に優れている。『なんとなくそんな気がする』がよく当たるのだ。

「ほらほら、寝てみー? きっとさ、天蓋ベッドに寝転ぶなんてこと、この先そんな機会ないと思うよ。今が一生で一度のチャンスだよ」

 それは確かにそうかもしれない。

 友香だって、かつてプリンセスに憧れた女の子だ。いかにもプリンセスが寝ていそうな天蓋ベッドにまったく憧れないと言ったら嘘になる。実は、ちょっぴり寝てみたい。

 夢月に促されるままに友香はベッドの端に腰を下ろしてみた。ギシリと深くマットが沈む。見た目以上にふかふかの布団だ。

 両足もベッドの上に移動させ、ゆっくりと寝そべると、そこはちょっとした自分だけの空間だ。

 世界から切り取られたような長方形の空間は、まるで秘密基地のようだ。ふと、幼かった頃に夢月と一緒に押し入れの中に潜り込んで、そこを秘密基地のようにして遊んでいたことを思い出す。

「へぇ、こんな感じかぁ」

 先に両手を着いて、潜り込むように夢月がベッドに上がって来た。そして、ごろんと友香の隣に寝転ぶ。

 ベッドの広さは二人並んで寝そべってもまだ余裕がある。詰めればもう一人横になれそうだ。足の方も余裕があり、子供用ベッドではあるが、乃愛が成人するまで使えそうなサイズだ。

 二人で寝そべりながら天蓋を見つめる。すぐ隣に寝ていても、暗闇の中、お互いの顔はよく見えない。黒い人の形をした影が見える程度だ。

 その影が夢月だと分かるのは、その影から発せられる声が夢月の声だからだ。

「小さい頃はよく一緒に寝たよね? ほら、友香が泊まりに来ると、私の部屋で同じ布団で寝たじゃん?」

「小さかったからね」

「あれって、いくつくらいまでだっけ? いつの間にか別の部屋で寝るようになったよね」

「小5か、小6くらいじゃない?」

 はっきりとは覚えていないけれど、いつからか、美月に夢月の隣の部屋に布団を用意されるようになったのだ。

 そして、もはや二人とも中学生だ。少年じゃないにしても、少女ではない夢月と同じ布団では眠れない。そのことを友香は十分に理解している。

 一方、夢月が理解できているのかは不明だった。夢月は自身の性に無頓着だが、同じくらい友香の『少女』の部分に対しても無頓着だった。

 だから今この時も、隣に友香がいる、手を伸ばせばすぐに届く距離にいる、それが当たり前であった幼い頃の日々を懐かしんでいて、暗闇に聞こえた夢月の声はわくわくと楽しげに弾んでいた。

「ねぇ、やっぱり、ただ単に寝てみたかっただけでしょ?」

 何も起こらないのなら、こうして寝ていることに意味はない。むしろ横たわっていることで無防備になってしまっている。

 もうベッドから降りよう、そう友香が思った時だった。

(えっ)

 動かない。

 手が、腕が、足が、体が、まったく動かないのだ。

(金縛り?)

 動けない。自由を奪われた! そう思うと、鼓動がドクドクと早くなる。焦っている証拠だ。しだいに息苦しくなり、不安と恐怖に囚われそうになる。

 だけど大丈夫。こういうのは慣れっこだ。

 そうよ、金縛りなんて幼少期のころから慣れっこなんだから!

 落ち着け。落ち着け、私。

 指先、動かない。

 膝、動かない。

 寝返り、できない。

 頭は? 首は? ダメ、動かない。

 でも、目玉だけは動く!

 ひとつ、ひとつ、体が動かないことを確認して、ほとんど動けないことが分かったが、それでも浅い呼吸ならばできること、視線を動かせることが分かった。

(夢月は?)

 隣で横たわっている夢月に助けを求めようと、友香は目玉だけを動かして視線を隣の夢月の方に向けた。

 辺りは暗闇だ。夢月の方に視線を向けても夢月の顔は見えない――はずだった。

(――っ!!)

 悲鳴を上げていたはずだった。金縛りのせいで声が出てこなかっただけで。

 友香は唯一動かせる目を大きく大きく見開いた。見えるはずのない夢月の顔が見える。ただし、その顔は友香の知る夢月の顔ではなかった。

 暗闇にぼんやりと浮かび上がった白い顔。

 友香の隣に横たわっているものは、体こそ仰向けの格好だが、顔だけを友香の方に向けて、友香をじーっと見つめていた。

 暗闇よりもさらに黒い瞳は、まるで、白い顔にあけた二つの穴のようだ。

(夢月じゃないっ!)

 黒々とした二つの穴が見つめてくる。

 ソレの色素の薄い髪は少女のように長く、海中を漂う海藻のように布団に広がっている。

 友香はソレーーたぶん少女から目が離せなかった。まるで二つの穴が掃除機の使い込み口のように友香の視線を吸い寄せている。

 しばらく見つめていると、白い顔にあいた穴から、どっと液体が溢れ出てきた。それはスライム状のドロドロと粘り気のある黒い液体で、次から次に二つの穴から溢れてくる。

(ひっ)

 友香は逃げたかったが、まだ体が動かない。

 白い顔の少女から目を離すこともできなくなっていた。


 ぎゃああああああー!


 突然、少女が叫んだ。

 白い顔に大きな穴があく。二つの穴の下に大きく大きく。


 ぎゃああああああー!!


 少女がまた叫んだ。友香の方に顔を向けて、友香の耳元で大きく黒い口を開けて叫ぶ。心なしか白い顔が縦長に伸び、顎が外れているのではないかと思うほど口を縦に大きく開いて叫ぶ。

 そして、少女が三度目の絶叫を上げた時。


 バキッ!


 不穏な音が辺りに鳴り響いた。

 それは太い枝を折ったような音だった。

 ーーと、次の瞬間。友香の右腕に激痛が走った。友香はあまりの痛さに息を詰める。腕を確かめたい、体を丸め、痛みに耐えたい。だけど、できない! 金縛りが解けない!

(痛い! 痛い!)

 燃えるような痛み。骨が折れた、もしくは、骨ごと肉がちぎれたような痛みだ。

 ずきん、ずきん、と鼓動を打つように腕が痛む。

(痛い! 痛いよぉ)

 あまりの痛さに友香は涙が溢れ出てきた。

 なんで、なんで!

 なんで腕が!

 声にはならない叫び。転げまわり、少しでも痛みを逃したいと思うが、それもできず、ただ、ただ、痛みに涙を流していると。


 ーー悪いことをした罰だーー


 低い声が聞こえたような気がした。

 男の声だ。高いところから重りを落とされたような、ずんと胸に響いて淀む声だった。

「うっ、ううっ、う……」

 痛い。なんでこんなことに。なんで。腕が。

 嗚咽を漏らしながら、隣に横たわるソレが流す黒い涙を凝視していると、遠くの方で音が響く。


 カツン、カツン。


 子供部屋の扉の外に長い長い廊下があって、その廊下の先で響いているように聞こえた。


 カツン、カツン。


 その音は、だんだんと近付いてくる。

(痛い。……痛い)

 痛みに呼吸が荒くなり、意識が遠退きそうになりながらも耳を澄ませていると、カツン、カツン、と鳴る音の間に、ズズッ、ズズッ、と擦れるような小さな音が聞こえる。


 カツン、ズズッ、カツン、ズズッ。


 廊下の先で響いていた音は、どんどん、どんどん近付いて来ていた。

 友香の胸がドキドキと鳴る。

(おかしい)

 腕の痛みのせいで友香の思考は、驚くほど冷静だった。

 廊下から聞こえてくる音が近付けば近付くほど胸がドキドキと騒ぎ、ついには口から心臓が飛び出そうなくらいにドドドドドッと激しく鳴っていたが、友香の胸と頭はまるで別の生き物のようだ。妙に落ち着いている。

(この部屋の外に廊下なんてない)

 あるのは、祥子のアンティークコレクション満載のリビングだ。

(おかしい)

 友香は黒い涙を流し続ける二つの穴を見つめながら、夢月はどうしてしまったのだろうかと思う。

 腕が痛い。きっと骨が折れている。痛い。

 友香は、はっと息をのんだ。ついに音が扉の前までやって来て止まった。

 ゆっくりと、ゆっくりと軋む音が響いて、子供部屋の扉が開いた。

 おかしい。この子供部屋の扉は、ギィーなんて音を立てて軋んだりしない。

 カツン、ズズッ。

 再び音が響いて、音が部屋に入って来た。

 カツン、ズズッ。

 杖だ、と音の正体に気付いて友香は暗闇に目を凝らした。

 片足を引きずりながら杖を着いて歩く音。そうだと気付いたと同時に、天蓋の外に人の気配を感じて、次の瞬間、カーテンに人影がうつった。


 誰かいる!

 だれ?!


 友香の胸は緊張ではち切れそうだった。

 隣に視線を向ければ、隣の少女も友香と同じように顔を強張らせていた。

(緊張している? 怖いの?)

 少女の中に恐怖を感じ取って、友香もその恐怖に共鳴するように体が震え始める。

 カツン。

 天蓋の外の人影が動く。ゆっくりと近付いてきて、カーテンにうつった影がどんどん大きく高く広がっていく。


『お仕置が必要だ』


 影が声を発した。

 影の高いところから落とされた重りのような声だ。


『お前は病気なんだ。寝ていなければいけない』


 男の低い声だ。若くはない。中年くらいの。

 声は、ずんと胸に落ちてきて、深くえぐって沈む。


『ベッドから降りられないようにしなければ』


 さっと風が吹いたように天蓋のカーテンが開いた。

 男が立っている。杖を片手に立っている。

 顔は見えない。墨で塗り潰しているように真っ黒だ。

 いや、顔だけではなく、髪型や服装など見えるものはなく、ほとんど暗闇に浮かぶシルエットだ。

 少女の呼吸が荒くなる。友香も息苦しくて、吸っても吸っても肺に酸素が入ってこない。

 男が友香を見た。黒い顔に白目が浮いて見え、黒目がギョロリと友香を見下ろしている。

 男の目には友香の隣に横たわる少女の姿が見えていないようだ。友香だけを見つめ、友香だけに言い聞かすように声を振り下ろす。


『お仕置しが必要だ』


 男の視線が友香の右脚に移動する。

 友香は右腕の痛みを強く感じ、直感的に嫌だと感じた。まずい、と。

 嫌なことが起きる。逃げなければ。でも、体が動かない!

 逃げたい。動かない。

 逃げなきゃ。動かない!

 逃げろ! 動け!

 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!

 男が杖を振り上げる。

 違う! 杖じゃない! いや、杖ではあるのだが、それは鉄製の杖だった。


『これで、わたしと同じだ!!!』


 振り上げられた鉄棒。勢い良く振り下ろされる。

 友香の右脚に向かって、叩き付けられる!




 きゃあああああああー。




 バチンと、まるで水風船が破け弾けたような音がした。それから、どさりと重さのある物が倒れる音。

「友香!」

 夢月の声だ。と気付けば、動く。体が動く!

 友香は天蓋の中で上体を起こし、己の脚を確認する。右足を膝から足首に向かって何度も両手で擦る。

「折れてない」

 右腕も無事だ。あんなに痛かったのに、今はまったく痛くない。

「友香、大丈夫? ここから出よう」

 言って夢月が天蓋のカーテンを両手で掻き開いて、まず自分がベットから降りて、すぐさま部屋の入口に駆け寄り、壁に手を這わせると電気のスイッチを押した。友香も天蓋から出て、明るくなった部屋を見渡す。すると、床に誰かがうつ伏せに倒れていた。

「えっ、夕樹くん?」

「なんで夕樹がここに?」

 夢月が夕樹に駆け寄り、その体を揺さぶる。仰向けにさせようとして、彼が何かを抱き抱えていることに気付いた。

「えっ」

「なんで?」

 夕樹が両腕に抱き抱えていた物。それは、あの西王母の人形だ。

「夕樹。おいっ! 夕樹!」

 意識のない夕樹の体を夢月が大きく揺さぶると、低くうめきながら夕樹の目蓋が開いた。

「えっ」

 夕樹は夢月と友香の顔を交互に見やる。

「なんでここに二人が?」

「それはこっちのセリフ。しかも、なんでそれ持って戻って来ちゃったかなあ」

「はあ? 戻ってってなんだよ。......あれ? ここどこだ? え? なんで俺こんなの抱えてんだ?」

「だから、それこっちのセリフだって」

 わけわからんと顔を見合わせる二人に、友香は夕樹から西王母を受け取って、起き上がろうとする彼の体を支えた。

「西王母を先見神社の本堂運んで夜通し見張っていたはずなんだ」

「うっかり寝ちゃったんじゃない? で、寝ぼけて西王母と一緒にこっちに瞬間移動しちゃったんだよ」

「寝ぼけて瞬間移動?」

 夕樹の眉間に皺が寄る。その顔を見ながら夢月が言った。

「だって、夕樹、瞬間移動得意じゃん」

「寝ぼけて数学の問題が解けるか? いくら得意だからって、寝ぼけながら関数や方程式が解けるか? 俺にとって瞬間移動と数式は同じくらい集中力がいる。無意識でできるものじゃない」

「って言うけどさ、実際、夕樹は無意識に瞬間移動してきたよね? だって、瞬間移動したっていう事実はあるわけじゃん。あとは、意志があったかどうかだけど、その口振りじゃあ、意思ないよね?」

「......」

 意思どころか、意識がなかった。

「つまり、どういうことなの?」

 友香が夢月の顔を見やれば、夢月は大きく肩をすくめた。

「分かんないけど、考えられるとしたら……、西王母に操られたとか?」

「えっ!! そんなことあるの!?」

「他に考えられない。てか、夕樹。ヤバい。西王母はまた帰ってきたと知ったら祥子さんパニックだよ。今度こそ絶対大丈夫って思ってるのにさ。私らの信用ガタ落ち」

「だよな。間違いない。俺は西王母と先見神社に戻る」

「うんうん。行って。行って」

 ひらひらと夢月が右手を払う仕草をすると、パッと夕樹の姿が西王母と共に消えた。



 △▼



「お前たち、西王母が来てくれなかったら危なかったな」

 早季は文庫本から目を離さずに言った。

「うわぁ、やっぱり? 隣で友香がどんどん腐っていくし、腕がすごい痛いし、変な男がやって来て脚を折ろうとしてくるし。最悪だったよー」

 不思議なことに夢月は友香と同じような体験をしていた。

 夢月が言うには、隣で寝ているはずの友香が見知らぬ少女の姿になり、みるみるうちに腐り果てていったのだという。

「右腕が痛くなってさ、あれ、絶対骨折れてた! んで、足音が聞こえて、杖をついた男が部屋に入ってきたの。でさ、そいつが、右脚を折ろうとしてきて、……で、西王母が夕樹と共に現れたわけ」

「俺は何がなんだか。気付いたら、二人が目の前にいた」

 不覚にも眠らされてしまった夕樹はどことなく不機嫌そうに言った。

「これで分かった。西王母は自分が家に帰るために人を操る。俺はちっとも眠くなんかなかったんだ。なのに気付いたら意識を失っていた」

「で、瞬間移動させられちゃったわけね。夕樹ともあろう人が」

 ぷぷぷっと両手で口許を抑えて笑う仕草をしながら夢月が言うと、夕樹はうろんな視線を返した。

「お前は笑える立場にないからな。昨晩は確かに俺だが、その前の晩に西王母を運んだのはお前だ」

「ええっ!! 私!? なんでなんでなんで!」

「昨晩までは、祥子さんの家を知っているのはお前と友香だけだっただろ? 俺が西王母なら、友香と電車移動するよりお前と瞬間移動することを選ぶ」

「たしかにー。でも、私、西王母を運んだ覚えないよ」

「俺だって意識がなかった! お前たちに声を掛けられるまで意識を乗っ取られてた」

 つまり、と友香が口を挟んだ。

「これまでもそうやって家に帰っていたってことかなぁ。西王母が人の意識を操って?」

「おそらくな。祥子さんがごみ捨て場に捨てた後、そこから拾ってくるように祥子さん自身を操ったのかもしれないし、祥子さんと同じマンションの人に運ばせたのかもしれない。祥子さんの家の方角に向かう者数人にリレー形式に運ばせた可能性もある」

「ヒッチハイク的な?」

「ヒッチハイク的な。運んだ者に西王母を運んだという記憶も意識もないから、運んだ人たちが名乗り出るわけがないが、どこかの監視カメラやドライブレコーダーに何者かが運んでいる姿が映っているかもな」

 どことなく悔しげに眉を寄せて夕樹が言うと、夢月は投げやりな口調で、もうさ、と高く声を上げた。

「なんかもういいんじゃん? そんなに帰りたいのなら帰らせてあげればさ。西王母はそれで良いと思うよ」

「俺もそう思う」

「でも、そもそもの依頼は西王母に帰ってきて欲しくないっていうものだよね?」

「だって仕方がないじゃん? どうしたって帰っちゃうんだもん。それに西王母が帰ってきてくれなきゃヤバかったって、さっき早季ちゃんも言ってたし」

「なら、そのヤバかったモノをどうにかしたら良いんじゃない? もしかしたら、それが理由で西王母は帰ってくるのかも」

「どういうこと?」

「だって、西王母は元々、祥子さんの実家にいたんでしょ? 実家の方に帰ったっておかしくないのに何度も祥子さんの家に帰るのは、そこに帰る理由があるからで。祥子さんの家には――乃愛ちゃんの部屋には、何か悪いモノがいる。その悪いモノから西王母は祥子さんや乃愛ちゃんを守ろうとしているかも」

「そんならやっぱり西王母は帰らせてあげたらいいじゃん」

「でも、祥子さんはそれを望んでないよね? だったら、帰らなくなるように悪いモノを追い払えば解決するんじゃない?」

「西王母は……」

 ああでもない、こうでもないと三人でわあわあ言い合っていると、早季がぽつりと小さく呟いた。

 その小さな呟きは、呟いたものであるのに、たちまち三人の口を塞いでしまい、三人は早季が続けるであろう言葉に耳を済ませた。

「……帰った方がいい」

 ほらぁー!!! と言ったのは夢月である。虎の威を借りたなんちゃらの顔をして友香を見やる。勝ち誇って言う。

「早季ちゃんも帰った方が良いってよ」

 夢月の言葉に不服な顔になって早季に振り向くと、早季は両手に持った本をぱたんと閉じた。

「四巻読み終わった! あと三冊! どうなるのだ、これ! 結界を破るためには三人必要なのに、二人しかいない。あとひとり! あとひとりを私がなってやりたい!」

「ええっと……?」

 早季の言っていることの意味が分からず、友香たちは呆気に取られてしまう。

「ああ、私が本の中に入ることができたら!」

 早季は今にも地団駄を踏みそうだ。

「この本の中に私がいたら、あらゆることが全部一瞬で解決する。本の中に入ってやりたい!」

「うーんっと。ええっと、あのね、早季ちゃん。たぶん、早季ちゃんの言う通り、早季ちゃんが本の中に入ったら、あらゆることが全部一瞬で解決するんだと思うけど、でも、そんなことをしたら、物語がつまらなくならない?」

「うっ」

「っていうか、本の中に入ることって可能だと思う?」

 夢月が腰に両手を当てて夕樹に振り向く。

「どうかなぁ。聞いたことがないけど……。けど、もし入れるとして、俺たちが本の中に入ってしまったら、友香の言う通り、物語がめちゃくちゃになるだろうな」

「本は入る物じゃなくて、読んで楽しむ物ってことだね。早季ちゃん、大人しく読もう! 純粋に物語を楽しむんだ! でも、今はちょっと待ってね。一緒に西王母の人形の件を解決しようよ。ほら、本の中じゃなくても、早季ちゃんがいれば、あらゆることが全部一瞬で解決するよ」

「……」

 早季の真っ直ぐ過ぎるほど真っ直ぐな黒髪がさらさらと背中を流れて、彼女の黒い瞳が見上げるように夢月をじとりと見やった。

 にまりと夢月が笑みを浮かべて早季に向かって片手を差し出す。

「一瞬でお願いしまーす」

 そう言うと、早季に差し出した手とは反対の手で友香の手を握った。

 夢月の意図を察した夕樹が西王母の背に片手を触れさせて、もう一方の手を友香に差し出す。夢月に促されて友香は夕樹の手を握った。

 西王母を含めて手を繋ぎ合い輪になった友香たちを見て早季は眉を顰めながらも観念したように差し出された夢月の手に自分の手を重ねて、そっと握った。

「私が夕樹の瞬間移動をコントロールする」

「頼む」

 そして、最後に早季のもう一方の手が西王母に触れた時、友香たちの姿は、まるで電気のスイッチが切り替わるようにパッと消えたのだった。


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