第41話 面白くない
球技大会が終わった翌週の月曜日。
登校して自分の席に座った瞬間、俺――佐藤一真は、自分を取り巻く「解像度」が劇的に上がっていることに気づいた。
「――おはよ、佐藤くん。バドミントン、本当にお疲れ様!」
「佐藤、今度また昼休みに一戦やろうぜ。あのスマッシュのコツ教えてくれよ」
これまで俺の存在なんて背景の一部だと思っていたクラスメイトたちが、次々と声をかけてくる。中学時代の県大会ベスト8という実績と、あの予選と準決勝で見せた(自分では無自覚だが)気迫。
それが、どうやらこの「佐藤一真」というモブのラベルを剥がしてしまったらしい。
「……。ああ、おはよう。……暇な時にな」
俺は精一杯のポーカーフェイスで返す。正直、急に注目されるのは居心地が悪い。
隣の席の海斗は、自分のことのように鼻を高くして、やってくる連中を追い払っていた。
「おいおい、一真は俺の公式パートナーだぞ? 指導料は購買のパック牛乳な。……。まあ、でも凄かったよな、一真。特にお前のこと『意外とシュッとしてる』なんて言い出す女子が増えてさ、俺、ファンクラブの番人として気が休まらないわ」
「……。番人とか勝手にやるなよ。そもそも俺のファンクラブなんてできねぇだろ」
「わかんないぞー?案外できるまで時間の問題だったり」
そんな親友とのやり取りに苦笑いしながらカバンを整理していると、教室の前方が一気に賑やかになった。
東雲さんと一ノ瀬さんの登場だ。
「おっはよー! カズッチくん、今日も人気者だねぇ!」
一ノ瀬さんがスキップで俺の机までやってくる。
その後ろ。さらさらとした黒髪を揺らし、非の打ち所がない「天使の微笑み」を浮かべた東雲さんが立っていた。
「おはよう、海斗くん、佐藤くん」
凛とした、けれどどこか柔らかい「東雲さん」の声。
いつもなら、ここで彼女と一瞬だけアイコンタクトを交わして、「今日も一日頑張ろう」と相棒としての合図を送り合う。それが俺の密かな楽しみだったのだが。
「あ、佐藤くん! ちょっといいかな?」
不意に、隣のクラスの女子――球技大会で応援席にいた子たちが俺を呼び止めた。
「……? ああ、何かな」
「佐藤くんの使ってるラケットのガット、どこのメーカー? 私、弟がバドやってるから気になってて……」
そんな他愛のない会話が始まった。
俺は普通に答える。だが、会話の途中でふと視線を感じて横を向いた。
(――……っ!!)
東雲さんが、俺を見ていた。
いや、正確には俺に話しかけている女子の背中を、じーっと、ゴミを見るような……いや、レイドボスの弱点を見定めている時のような、冷徹な瞳で見つめていたのだ。
俺と目が合った瞬間。
東雲さんはパッといつもの「東雲さん」の笑顔に戻ったが、その瞳の奥には、ハル特有のドロリとした不機嫌が渦巻いているのがはっきりと見えた。
「……。……。佐藤くん、お話中みたいね。……咲希、行きましょうか」
「にひひ、凛りん、お顔が怖いよー!」
東雲さんは一ノ瀬さんに手を引かれ、自分の席へと戻っていった。
……。
なんだ? 俺、何か悪いことしたか?
その後の休み時間も、俺が誰かと喋るたびに、遠くから東雲さんの「天使の仮面」が少しずつヒビ割れていくような、恐ろしいプレッシャーを感じ続けた。
******
凛視点
――。……。面白くない。
最高に、気分が悪い。
自分の席に座り、ノートを広げるふりをしながら、私は視界の端で一真のことを追っていた。
カズの周りには、さっきから絶え間なく人が集まっている。
男子だけならまだいい。でも、さっきから入れ替わり立ち替わりやってくる、あの他クラスの女子たちは何なの?
「佐藤くん、意外とかっこいい」「真剣な目が素敵だった」
……。……。……。……今さら気づいたって遅いわよ。
カズの、集中した時のあの凛々しい眉根も。
シャトルを追う時の、獲物を狙う騎士のような瞳も。
三年前から、ノイズ混じりの画面越しに私だけが見つけて、私だけが一番近くで応援してきたのに。
みんな、カズの表面しか見てないくせに。
あの人が本当はマヌケで、バドミントンの練習の後に「足つったわ」なんて泣き言を言うところや、私の黒歴史ポエムを握って「ニヤニヤ」してる性格の悪さなんて、誰も知らないくせに。
(……。……。カズは、私の『相棒』なんだから)
私の指先が、シャーペンをギリギリと鳴らす。
胸の奥で、どろりとした黒い熱が広がっていくのがわかる。
これが何なのか、私はまだ認めたくないけれど。……少なくとも、咲希や海斗くんに向ける感情とは、決定的に何かが違っていた。
「凛りーん。ペン折れちゃうよ?」
隣で咲希が、面白そうに私を覗き込んできた。
「……別に。……ただ、佐藤くんの周りが騒がしくて、集中できないだけよ」
「にひひ、ホントかなぁ? 凛りん、さっきからカズッチくんに群がってる女の子たちのこと、呪い殺しそうな目で見てるもんねー!」
「なっ……!? し、失礼なこと言わないで! 私はただ、相棒として、カズが調子に乗ってないか監視してるだけ!」
「ふーん。相棒ねぇ。いつの間に相棒に」
……な。しまった。このまま喋るとたくさんボロが出てしまいそうだ。
ニヤニヤしながら咲希は続ける。
「でも、カズッチくん、あんなに女子に話しかけられてるのに、ずっと凛りんの方ばっかり気にしてるよ?」
「え?」
慌てて一真の方を見ると、ちょうど彼が困ったようにこちらを伺っていた。
(――……)
目が合う。
カズの瞳は、相変わらず不器用で、どこか申し訳なさそうで……。
それを見たら、イライラしていた心が、不意に別の「甘い痛み」に変わってしまった。
(……。……バカ一真。……。……そんな顔されたら、怒るに怒れないじゃない)
私はぷいっと顔を逸らし、唇を尖らせた。
ダメ。今の私は、「東雲凛」という完璧な仮面を維持できそうにない。
今すぐ彼のところへ行って、女子たちを追い払って、「私の隣に戻りなさい」って言いたい。
ハルとして、相棒として、彼を独占したいという衝動が、理性をじわじわと削っていく。
(……。……待ってなさいよ、カズ。……今日の夜のログイン、覚悟しておきなさいよ)
私はポケットの中のスマホを、制服越しに強く握りしめた。
学校では、ただのクラスメイト。
けれど、夜になれば。
画面の向こう側の、誰も邪魔できない二人だけの世界で。
私はハルとして、たっぷりと彼にお仕置きをしてあげるんだ。
「にひひ。……。……楽しみだなぁ」
「凛りん、何その笑顔!?怖いんだけどーっ!!」
佐藤一真。
世界中でたった一人、私の本当の中身を知っている騎士。
その特等席を誰かに譲るつもりなんて、私には、爪の先ほども無かったのだ。




