第32話 突然の勉強会
球技大会の種目が決まり、クラス全体が「よっしゃあ! 練習だ!」と盛り上がったのも束の間。
俺たちの前に、学生にとっての最強にして最悪の壁――『中間テスト』が立ちはだかった。
「……忘れてた。うちの学校、テストで赤点を取って、その後の補習にも受からなかったら、球技大会は出場停止だったな」
隣の席で、海斗が魂の抜けたような声で呟いた。
この男、バスケの腕は一流だが、学業に関しては「ゴールデンレトリバーの方がまだマシ」と噂されるほどの壊滅的な成績を誇っている。
「……海斗。俺も人のことは言えない。バドミントンに選ばれた手前、不戦敗なんてことになったら、一ノ瀬さんに何を言われるか……」
俺――佐藤一真も、机に突っ伏して深く溜息を吐いた。
ネトゲ三昧の生活が祟って、英語と物理が死にかけている。
このままだと、一ノ瀬さんだけでなく、東雲さん――ハルに「相棒が勉強不足で脱落(笑)」と一生擦られることになるのは目に見えていた。
すると、前方の席から、キラキラとしたオーラを纏った二人が同時に振り返った。
「にひひ! カズッチくんも海斗も、お顔が死んでるよーっ! やっぱり男子は、勉強より身体を動かす方が得意なのかな?」
一ノ瀬さんが、いたずらっぽく笑う。
相変わらず辛辣なことをさらっと言うやつだ。でも笑顔でそれを誤魔化せてしまうのが怖い。
その隣には、いつも通り凛とした、けれどどこか心配そうな瞳をした東雲凛がいた。
「咲希、茶化さないの。……佐藤くん。そんなにヤバいの?」
「……ああ、物理がな。公式が呪文にしか見えない」
俺が正直に白状すると、東雲さんは少しだけ考え込み、それから意を決したように言った。
「……佐藤くんが補習で大会に出られないと、クラスのポイントも減っちゃうし……私が、教えてあげようか?」
「――えっ!? 東雲さんが直々に!?」
俺が反応するよりも先に海斗が反応し、椅子から転げ落ちそうになる。
東雲凛は、学年でもトップクラスの成績を維持している。そんな彼女が、地味な俺に勉強を教えるという提案。
周囲の男子たちの視線が、再び「殺意」に変わるのを感じたが、彼女は気にせず続けた。
「にひひ! 凛りん、ナイスアイディア! じゃあさ、せっかくだから三人……あ、海斗も入れて四人で勉強会しよっか! 場所は……そうだ! カズッチくんの家がいい!」
「……っ!? ま、待て一ノ瀬さん、なんで俺の家なんだよ」
心臓が跳ね上がる。東雲さんが俺の家に来るのは、実は二回目だ。でも、それをここでバラすわけにはいかない。
「だってぇ、カズッチくんの家、学校から近いし! それに、凛りんも『男子の部屋ってどんな感じか興味ある』って言ってたもんねー?」
「えっ!? そ、そんなこと言ってないよ!」
東雲さんが顔を真っ赤にして否定する。
……よし、ナイスだ相棒。
ここは「初めて行く」というスタンスを貫かなければならない。
……の割には素のリアクションだったが。大丈夫か? 相棒。
「でも、いいじゃん! 佐藤くん、ダメかな?」
東雲さんが、困ったように俺を見つめる。その瞳の奥で、ハルが『カズ、上手く合わせろよ!』と必死に訴えかけていた。
「……。分かったよ。双葉(妹)には言っておくわ」
こうしてうちの学園の天使二人と友達が放課後俺の家で勉強をすることになった。
……最近全て一ノ瀬さんの思惑通りに動いている気がしてならん。
******
――そして、放課後。
俺は誰よりも早く帰宅し、リビングのソファでスマホをいじっていた妹・双葉の前に立った。
「双葉。……。……ちょっといいか」
「……何。お兄、また何か悪いことしたの? 自首するなら付き合ってあげなくもないけど」
「違うわ。……あのさ。今日の夕方、友達がうちに勉強しに来るんだ。……この前の東雲さんと、あともう二人」
俺がそう告げた瞬間、双葉の指が止まった。
彼女はゆっくりと顔を上げ、俺のことを「絶滅危惧種のバケモノ」を見るような目で見つめた。
「……。……。お兄。……。……今、なんて言った? 東雲凛さんと……あと誰?」
「……一ノ瀬咲希さんと、あと門倉海斗っていうバスケ部の男だ」
その瞬間、双葉がソファから飛び上がった。
「……。……。……信じられない。……。……東雲凛さんだけでも我が家の偏差値と美観を破壊しかねないレベルだったのに。……。……一ノ瀬咲希さんまで!? あの中学時代から伝説の『天使』と『太陽』が二人揃って、このボロ家に降臨するっていうの!?」
「……お前、自分の家をボロ家言うなよ」
「事実でしょ! お兄、あんた……。……。……もしかして、本当に異世界から召喚した何かで、学校の女子全員を洗脳してるんじゃないの? そうじゃないと説明がつかない。……一ノ瀬さんまで来るなんて、絶対におかしい!」
双葉はパニック状態で部屋中を走り回り始めた。
「掃除! 掃除しなきゃ! お兄の部屋の変な本も全部シュレッダーにかけてくる!!」
「やめろ!! それは俺が自分でやるから!!」
そういうと双葉はとまり、絶望のあまり膝から崩れ落ちた。……忙しいヤツだな。
どうやら俺の周りに評価の高い人ばかり集まるのが解せないらしい。だが、俺にはそれ以上に重要なミッションがあった。
「双葉、聞け。……東雲さんがこの前うちに来たこと、一ノ瀬さんたちには『絶対内緒』だぞ。もし口を滑らせたら、お前のお気に入りのフィギュア、全部メルカリに出すからな」
「……っ! わ、分かってるよ! 東雲さんの名誉のためにも、そんなこと言わない!」
意外と物分かりの良い奴だ。
双葉が掃除を始めたところで、ピンポーン、とインターホンが鳴った。
「もう来たの!?」
「すまん、とにかく東雲さんのことだけは頼む!」
「……しょうがないなぁ、わかった」
俺たちは顔を見合わせ、戦場に向かうような緊張感で玄関へと向かった。
ドアを開けると、そこには眩しすぎる三人の姿があった。
「おっはよー、カズッチくん! お邪魔しちゃうよー!」
「……お、お邪魔します、佐藤くん。……え、ええと、ここが佐藤くんの家なのね?」
「一真! 俺、今日寝ないで勉強するからな!!」
一ノ瀬さんの弾ける笑顔、東雲さんの「初めて来ました」という名演技(?)、そして海斗の暑苦しい気合。
「あ……いらっしゃいませぇ……っ!!」
背後で、双葉が直立不動で、見たこともないような「借りてきた猫」のような声を出してお辞儀をしていた。
「わあ、双葉ちゃん! 久しぶりだねー!」
一ノ瀬さんが、双葉に駆け寄って顔を近づける。二年前のバスケ教室以来の再会に、双葉は感激でプルプルと震えている。
その隙に、東雲さんが俺の横を通り過ぎながら、誰にも聞こえない声で囁いた。
「(……ねえ、カズ。……。……私の演技、どうだった?)」
「(……百点だよ。そのまま最後まで突き通せよ)」
百点……とは言い難いが、褒めて伸ばすのも相棒の勤めだ。
「(……。にひひ。任せて、相棒。……でも、この前食べたケーキ、また出てこないか心配)」
「(……余計なこと思い出すな!)」
俺たちは一瞬だけ「ハルとカズ」の顔を見せ合い、すぐに「東雲さんと佐藤くん」に戻った。
ボロが出ないか心配だなぁ。
一ノ瀬さんと海斗が、双葉に案内されてリビングに入っていく。
東雲さんは、一瞬だけ俺のシャツの袖を指先で弾くと、いつもの完璧な笑顔で後に続いた。
学校では、クラスの人気者たちと、地味な俺。
けれど今、俺の家には学園の二大天使が揃い踏みしている。
双葉にとっては「聖地巡礼」だが、俺にとっては、東雲さんと一ノ瀬さんの前で、嘘を突き通しながら勉強を教わるという、極限のサバイバルだった。
「さーて! 赤点回避ミッション、スタートだよっ!」
一ノ瀬さんの号令と共に、俺の部屋での「地獄の勉強会」が幕を開けた。
机の上で広げられた教科書。
そのすぐ隣には、東雲さんの細い指先と、彼女から漂う甘い香りが。
そして廊下からは、俺がボロを出さないか「犯罪者」として監視する双葉の鋭い視線が突き刺さっていた。
(……これ、勉強どころじゃないだろ、マジで……)
俺は心の中で盛大に溜息をつき、逃げ場のない戦いへと身を投じた。




