第31話 球技大会会議
五月の爽やかな、でも梅雨の近付きを感じさせるようなじめっとした風が、教室の窓からカーテンを大きく揺らしていた。
中間テストという学生最大の試練を控えつつも、次にやってくるのは、この学校が一年で学園祭や体育祭の次に熱狂すると言われるイベント――『初夏の球技大会』だ。
朝のホームルーム。
担任が黒板に大きく「球技大会・種目決定」と書き殴る。
「いいかお前ら、これはクラスの団結を見せる場だ。種目はバスケ、サッカー、卓球、バドミントンだ。各自希望を――」
教師の言葉が終わるか終わらないかのうちに、教室は爆発したような熱気に包まれた。
みんな立ち歩き友達とどの球技に出るかという話に花を咲かせている。
この学校の球技大会は、単なるスポーツ行事ではない。クラス対抗のポイント制で、優勝クラスには豪華な打ち上げ費用が出るという噂もあり、何より「気になる異性にいいところを見せる」ための最大の社交場でもある。
「――よお一真。当然、俺たちはバスケだよな!」
隣の席の海斗が、鼻息を荒くして身を乗り出してきた。
バスケ部のエース候補であるこいつにとって、球技大会はまさにホームグラウンド。しかも今年は、あの東雲凛と同じクラスなのだ。気合が入らないはずがない。
「……海斗。俺は卓球がいい。もしくは、この際バドミントンの隅っこでダブルスの数合わせでもしてたいわ」
「何言ってんだよ! お前、俺のバックアップしろよ! 凛りんだって女子バスケに出るんだぞ。隣のコートで一緒に戦う……これぞ青春だろ!」
「……。……。悪いけど、俺には眩しすぎる。俺は大人しく、体育館の端っこで空気になってるよ」
俺――佐藤一真は、徹底して「モブ」を貫く決意を固めていた。
東雲さんと一ノ瀬さんという、学園トップ2との「三人組」いや、海斗もいれて「四人組」が公認(?)されつつある今、これ以上目立つ真似は寿命を縮めるだけだ。
チラリと前方を見る。
女子の輪の中心にいる東雲さんは、一ノ瀬さんに腕を絡められながら、楽しそうに笑っていた。
「凛りーん! 絶対バスケだよね! 咲希と凛りんで無双しちゃおうよ!」
「あはは、そうだね。咲希のパス、期待してるよ」
誰もが目を奪われる輝かしい笑顔。
けれど、その視線が一瞬だけ、本当に一瞬だけ俺を捉えた。
(――にひひ。カズ、卓球に逃げようなんて、そんなのハルが許さないからね?)
そんな声が聞こえてきそうな、いたずらっぽく細められた瞳。
……嫌な予感がした。
そして、その予感は、もう一人の女王の「爆撃」によって現実となる。
「――はーい! 先生! カズッチくん……佐藤一真くんの種目、咲希が推薦してもいいですかーっ!」
一ノ瀬さんが、元気いっぱいに手を挙げた。
教室中が「え、佐藤?」と静まり返る。海斗もポカンと口を開けている。
「……一ノ瀬。佐藤は卓球を希望しているようだが」
俺と海斗の話をちょうど聞いてたのだろうか、ナイス先生!
と思ったのも束の間。
「ダメですダメです! カズッチくんは、絶対バドミントンのシングルスに出るべきです!」
「……シングルス? 佐藤、お前バドミントン経験者なのか?」
クラスの視線が集中する。
なぜこんな急にしんとなるんだ。
教師の問いに、俺は顔を真っ赤にして否定しようとした。
だが、それより早く、一ノ瀬さんのマシンガントークが炸裂する。
「そうなんです! カズッチくん、中学の時にバドミントンで県大会ベスト8まで行ってるんですよ! 咲希の中学のキャプテンだった子が、佐藤くんのこと『あの変態的に強いダークホース』って呼んでたの、昨日思い出したんですっ!」
「…………え?」
俺の心臓が、本日最大級の音を立てた。
なぜ。なぜ、それを一ノ瀬咲希が知っている?
確かに俺は中学時代、確かにバドミントンに打ち込んでいた。
けれど、中学卒業と同時に「もう本気でやるのはいいや」と思って、高校では帰宅部……もといネトゲ部(?)に転向したのだ。
その過去を知っている奴なんて、この学校にはいないはずだったのに。
「……一ノ瀬さん。なんでそれを……」
「にひひ。咲希の従姉妹がね、佐藤くんと同じ中学のバド部だったんだよ! 『佐藤くんのスマッシュ、速すぎてシャトルが燃えてるように見えた』って、すっごく自慢してたんだから!」
「…………っ!!」
……あいつか。あの女子部員か。
余計な情報を吹き込みやがって……!
「お、おい一真! マジかよ!? お前、県大会レベルだったのか!?」
海斗が椅子を鳴らして立ち上がる。
……お前も知らんかったんかい。
クラスの男子たちも「おい佐藤、マジかよ!」「うちのクラス、バドの優勝も狙えるじゃん!」と一気に盛り上がり始めた。
そして、俺が絶望の淵に立たされている中。
東雲さんが、ゆらりと立ち上がった。
彼女は俺の方を向き、クラスの誰もが見惚れるような、最高に「あざとい」微笑みを浮かべた。
「……へぇ。佐藤くん、バドミントンそんなに上手だったんだ」
「……。……。いや、東雲さん。もう昔の話で……」
「いいじゃない。私も、佐藤くんが真剣に戦ってるところ、見てみたいな。……ねえ、佐藤くん。頑張って優勝してくれたら……私、一ノ瀬さんと一緒に全力で応援しちゃうよ?」
「うおぉぉぉぉ佐藤ぉぉぉぉ!! 断るなよ! 絶対受けろよ!!」
海斗の(嫉妬混じりの)怒号が飛ぶ。
……断れるわけがない。
クラスの期待。一ノ瀬さんの無邪気な暴露。そして――東雲凛という名の相棒からの、断固とした命令。
「…………。わかりました。バドミントン、出ます」
俺が消え入りそうな声で答えると、一ノ瀬さんは「やったぁ!」と飛び跳ね、東雲さんは満足げにニヤリと笑った。
ホームルームが終わり、休み時間。
海斗に根掘り葉掘り聞かれている最中、俺のポケットでスマホが震えた。
【凛:カズ、おはよ。……県大会ベスト8なんて、聞いてないんだけど?(笑)】
【凛:ネトゲの騎士サマが、リアルのコートでも騎士サマだったなんてね!】
【凛: にひひ、かっこいいところ、期待してるよ、相棒】
机の下で画面を眺め、俺は深く、深いため息を吐いた。
(……一ノ瀬さん、あの人、絶対にわざとやったろ)
従姉妹の話なんて、本当かもしれないが、このタイミングでバラしたのは確実に彼女のプロデュースだ。
俺と東雲さんが「他人のふり」をしつつも、お互いを意識せざるを得ない舞台を整える。
一ノ瀬咲希という策士の掌の上で、俺たちの日常はまた一つ、賑やかでスリリングな方向へと転がり始めた。
「……。……。……ハル。お前、ニヤニヤしすぎなんだよ」
俺が小声で呟くと、前方の席で友達と喋っていた凛が、ふとこちらを振り返った。
彼女は、誰にも気づかれないくらいの速さで、パチンとウィンクしてみせた。
――五月の終わりを告げる光を浴びて。
学園の天使と、ネトゲの相棒。
二つの顔を持つ彼女に振り回される、俺の波乱の球技大会が幕を開けようとしていた。




