第27話 近すぎる距離
「ほらほら二人とも! 最後はこれ撮らなきゃ終われないでしょ!」
一ノ瀬さんは、ゲーセンの喧騒を軽やかな足取りで進み、最新型のプリクラ機の前でピタリと足を止めた。
カーテンの隙間から漏れる真っ白な光は、まるで異世界への入り口のように俺の目を射抜く。
「え、いや……一ノ瀬さん。俺はいいよ。流石に男が混ざるような場所じゃないだろ」
俺が苦笑いしながら後ずさると、横からスッと柔らかい感触が伝わってきた。東雲さんが、俺のシャツの袖を指先でちょん、と引っ張っていた。
「佐藤くん。……。……仲間外れは可哀想だし、一枚くらい思い出に撮ろ? ……ね、いいでしょ?」
彼女はいたずらっぽく笑いながら、上目遣いで俺を覗き込んできた。
……お前が言うんかい。
その声は、学校で見せる「東雲さん」としての明るいトーンだったけれど、その瞳の奥には『約束したでしょ、逃がさないよ?』という相棒・ハルとしての意志がはっきりと宿っていた。
「…………わかったよ。撮ればいいんだろ」
俺が観念して溜息をつくと、一ノ瀬さんは「にひひ! そうこなくっちゃ!」とはしゃぎながら、俺と東雲さんの背中を強引に押して白いカーテンの奥へと押し込んだ。
中は、外から見る以上に狭かった。
三人が並ぶと、肩と肩がふれそうになる。
左側からは一ノ瀬さんの甘いベリー系の香りが。そして右側からは東雲さんの、あの五月の風のように爽やかで、どこか石鹸に似た清潔感溢れる香りが漂ってくる。
俺の脳は、その情報の洪水に一瞬でオーバーヒートを起こしそうになった。
『撮影スタート! まずはピースでいくよー! 3、2、1!』
機械のハイテンションなカウントダウンに合わせて、一ノ瀬さんが俺の左肩に寄り添うようにしてピースを作る。
「カズッチくん、もっと笑って! 指名手配犯みたいな顔になってるよー!」
「……。……。無理言うな。これが俺の精一杯の笑顔だ」
続いてのポーズ指定。今度は東雲さんが、一ノ瀬さんの反対側から、俺の右肩にそっと自分の肩を預けてきた。
「佐藤くん。……。……ちょっと、近すぎかな?」
耳元で彼女の声が響く。微かに触れる吐息。俺の心臓は、レイドボスの出現時よりも激しく、耳の奥まで届くほどの音を立て始めた。
「(……。……。ハル、お前わざとやってるだろ)」
「(……にひひ。……。バレた? ほら、ちゃんとした顔しなさいよ、相棒?)」
(おそらく)そんなやり取りをアイコンタクトで済ませると、東雲さんはいたずらっぽくニヤリと笑った。
学校での「東雲凛」なら絶対に見せないような、悪戯っぽくて、最高に魅力的な表情。
それをこの至近距離で独占しているという事実に、俺の理性は今にも崩壊しそうだった。
数回の撮影を終え、落書きコーナーへ移動する。
一ノ瀬さんと東雲さんが慣れた手つきでペンを走らせ、画面をカラフルにデコっていくのを、俺は後ろから呆然と眺めていた。
画面の中には、満面の笑みの一ノ瀬さんと、完璧なモデルスマイルを浮かべる東雲さん。そして、その間で借りてきた猫のように固まっている、あまりにも情けない俺の姿。
「できたー! 見て見て、凛りん! この『三人で仲良し!』ってスタンプ、超可愛くない?」
「ホントだ、いい感じ。……。あ、佐藤くんの頭の上に猫耳つけちゃおっと。……。にひひ、やっぱり似合ってる」
「おい、東雲さん……。……勝手に加工するなよ」
東雲さんは楽しそうに笑いながら、俺の画像にピンクの猫耳を描き加えていた。
その顔は、ネトゲで強敵を倒した時に見せる「ハル」の笑顔そのものだった。
印刷されたシールを手に、俺たちはゲーセンを出た。
夕方の西日が駅ビルのガラスに反射して、街をオレンジ色に染め始めている。
「ふぅー! 遊んだ遊んだ! ……。あ。そうだ二人とも、ちょっといい?」
駅の改札へと続く通路の途中で、一ノ瀬さんが足を止めた。彼女は駅ビルの中にある、おしゃれな雑貨屋さんの看板を指差した。
「咲希、こことか他のとこでお母さんに頼まれてた買い物してくの思い出しちゃった! 結構時間かかりそうだから、二人は先に帰ってていいよ!」
「えっ? そうなの? ……。手伝おうか、咲希」
東雲さんが心配そうに問いかけるが、一ノ瀬さんは「大丈夫、大丈夫!」とぶんぶんと手を振った。
「下着とかも入ってるから、佐藤くんがいると恥ずかしいしね! ……。というわけで! 咲希はここでドロンしまーす! 佐藤くん、凛りんのこと駅のホームまで……ううん、ちゃんと送ってあげてね! 約束だよ?」
「……。……。え、あ、はい。わかりましたけど……」
「にひひ! じゃあ、凛りん! また明日学校でね! カズッチくんも、今日はありがと! じゃあねーっ!」
一ノ瀬さんは嵐のように、賑やかな店内へと消えていった。
一気に周囲の騒音が強調され、俺たちの間の沈黙がやけに重く感じられるようになった。
残されたのは、俺と東雲さんの二人だけ。
「……。……。……行っちゃったね、一ノ瀬さん」
「……。……。ええ。……。……。……。佐藤くん――カズ……。……どうしよっか?」
東雲さんが、長い睫毛を揺らして、上目遣いで俺を見た。
そこには、もう「学校の東雲さん」の仮面はない。
俺が昨日約束した、二人きりの帰り道。
その時間が、五月の夕暮れと共に、静かに幕を開けようとしていた。
******
雑貨屋さんの入り口で足を止め、柱の陰からこっそりと二人の背中を見送った。
カズッチくんの隣で、少しだけ歩幅を狭めて歩く凛りん。
後ろ姿だけでもわかる。二人の間には、私でさえ入り込めないような、特別で温かい空気が流れている。
「……ふぅ。名演技、だったかな?」
私は小さく息を吐いて、鏡に映った自分の顔を見た。
お母さんへの買い物なんて、半分は本当だけど、半分は嘘。
本当は、彼らを二人きりにしてあげたかった。
私は、自分の手に残ったプリクラのシールをそっと撫でた。
画面の中で、不器用そうに固まっているカズッチくん。
そして、その隣で、誰にも見せたことのないような、少女のような顔をして笑っている私の親友。
中学からの付き合いだけど、凛りんがあんな風に「自分をさらけ出している」のを見たのは、今日が初めてだったきがする。
凛りんは完璧主義者で、誰に対しても「理想の東雲凛」であろうとしてきた。
でも、カズッチくんの前にいる時のあの子は、いたずらっぽく、そして心の底から楽しそうに笑ったり……。
あんなに人間味のある凛りんを引き出せるのは、世界中でカズッチくん、あなただけなんだよ。
「……ちょっとだけ、ジェラシーかな」
私は小さく呟いて、苦笑いした。
私だって凛りんのことが大好きだ。
でも、今日一日三人で過ごして確信した。
二人が一瞬だけ目を合わせるだけで、そこには私さえ入れない「特等席」が完成してしまう。
(カズッチくん。凛りんのこと、よろしくね。……。あの子、ああ見えてすっごく寂しがり屋で、実は結構わがままなんだから。……。でも、そんなあの子を丸ごと受け止めてくれるのは、きっと君しかいないんだよ)
私はスマホを取り出し、凛りんには内緒で、カズッチくんに個人LIMEを送った。
『咲希:カズッチくん、凛りんのこと泣かせたら恋愛相談の内容、全部凛りんにバラしちゃうからね!』
『咲希:なんてね!』
『咲希:二人で楽しんできてねっ!』
送信ボタンを押して、私は満足げにスマホをポケットにしまった。
胸の奥が少しだけ、夕暮れの色に染まったみたいにチクリとする。
でも、それを上回るくらいの「お節介な親愛」が、私を笑顔にさせてくれた。
「……さて! 咲希も自分へのご褒美に、可愛い入浴剤でも買って帰ろっかな!」
私は鼻歌を歌いながら、賑やかな店内の奥へと足を踏み入れた。
二人の「五月の残像」が、この街のどこかで、もっともっと甘いものに変わっていくのを祈りながら。
私はもう一度だけ、二人が消えていった改札の方を振り返り、小さく「がんばれ」と呟いた。




