第26話 共闘
おしゃれなカフェでパンケーキを堪能し、一ノ瀬さんの「最強の理解者」としての温かい(けれどどこか含みのある)視線にさらされながらも、俺たちは店を後にした。
五月の午後の日差しは、若葉の間を縫ってキラキラと地面に模様を作っている。長袖のシャツ一枚でちょうどいい、最高に気持ちのいい日曜日の昼下がりだ。
一ノ瀬さんが、弾けるような笑顔で駅ビルを指差した。
「ふふーん! お腹もいっぱいになったし、次はちょっと遊びに行こうよ! 駅ビルの上のゲーセン、最近新しいゲームがとかプリクラの機械が入ったんだって!」
「プリクラね……」
プリクラか、一度もやったことがない。肌が綺麗になって目がくりっくりになることしか知らない。あ、あと落書きが出来るんだっけ。
「ゲーセン? あんまり行ったことないかも。佐藤くんは、こういうところ詳しいの?」
俺がプリクラについての記憶を探っていると、横で東雲さんは、首を少しだけかしげて俺を見た。
その表情は、非の打ち所がない「学校の東雲さん」だ。でも、俺は知っている。
彼女の部屋のデスクには、三年間使い込まれて塗装が剥げかけたコントローラーが鎮座していることを。
でもどうなんだろう。俺が三年間知っているのは『ゲームの中のハル』だ。『現実世界のハル』は知らない。
彼女がゲームセンターに行っているかいないか、それは分からない。
3年間ずっと一緒だと思っていたのに、まだおれは『東雲さん』も、『ハル』だって知らない。それに少しもどかしさを覚えた。
「……まあ、人並みには。東雲さんが嫌じゃなければ、少し寄るくらいならいいんじゃないか?」
「佐藤くんがいいなら、私も行ってみたいな。咲希、案内して?」
「任せてー! 出発進行ーっ!」
一ノ瀬さんが俺と東雲さんの腕を引いて歩き出す。
エスカレーターを上がり、賑やかな電子音が響くフロアへ。
薄暗い店内に並ぶ最新の機種。
一ノ瀬さんは迷いなく、奥にある『協力型アクション』という看板が掲げられた機器の前で足を止めた。
「よし! これ、二人で協力してボスを倒すゲームなんだけど、凛りんとカズッチくんでやってみてよ! 咲希、二人のコンビネーションが見たいなー!」
「え、俺と東雲さん?」
「えっ、私と佐藤くんで……?」
「そうだよ! ほら、佐藤くん、凛りんをしっかり守ってあげてね!」
……よりによって、このタイトルか。
東雲さんがどうかは分からないが俺はこのゲームを既に知っている。
これは俺たちがネトゲ『エターナル・レジェンド』で長年培ってきた操作技術が、そのまま応用できてしまうアクションゲームだった。
「……わかった。東雲さん、俺が前衛をやるから、東雲さんは後ろから魔法とかでサポートしてくれる?」
「うん、やってみる。……私、初心者だから、あんまりいじめないでね?」
東雲さんは控えめに微笑み、コントローラーを握った。
……見るからに初心者ではなかった。
そのレバーの握り方、完全に「獲物を狩る側」のそれなんだよ。
ゲームがスタートし、画面に敵の群れが現れる。
最初は俺も、「学校の佐藤くん」らしく、わざと不慣れな動きをしようとした。
――けれど。
「……っ!!」
敵が東雲さんのキャラに襲いかかろうとした瞬間、俺の身体が勝手に動いた。
三年間。
画面の向こう側の「ハル」がピンチの時、俺はいつだって盾を構えてきた。
あいつが魔法の詠唱に入るタイミング。
あいつが背後を任せて突っ込んでくるリズム。
理性のブレーキを、三年間積み上げた「相棒としての本能」が軽々と踏み越えていく。
「東雲さん、右! 三体まとめて倒すから、追撃お願い!」
「了解っ! ――そこっ!!」
東雲さんの声も、いつの間にか「ハル」のトーンに切り替わっていた。
彼女の魔法は、俺が敵の動きを止めた瞬間に、コンマ一秒の狂いもなく正確に炸裂する。
俺が突っ込めば彼女が道を切り開き、彼女が下がれば俺が鉄壁の防御を敷く。
一切の言葉による打ち合わせはない。ただ、画面の中のアバターが、まるで一つの生き物のように連動して動いていた。
「……え」
背後で、一ノ瀬さんの小さな声がした。
でも、今の俺たちには聞こえない。
目の前の大ボスが放つ広範囲攻撃。
東雲さんが一瞬だけ俺の方を見た。
俺もそれに応えるように、わずかに頷く。
――『エターナル・レジェンド』で何百回と繰り返した、俺たちの「勝ちパターン(定石)」。
俺がボスを空中に打ち上げ、無防備な背中を晒させる。
その落下地点に、東雲さんが最強の奥義を叩き込む。
ズドォォォォォン!!
という派手な演出と共に、ボスのHPゲージが消滅し、『COMPLETE』の文字が躍った。
「……ふぅ」
コントローラーを離し、俺はようやく呼吸を整えた。
隣を見ると、東雲さんも少しだけ頬を上気させ、達成感に満ちた……けれど、「やってしまった」という顔で固まっていた。
静まり返る筐体の前。
一ノ瀬さんが、じーっと俺たちの顔を交互に覗き込んできた。
「…………ねえ、二人とも」
「……な、なに、一ノ瀬さん」
「…………二人。……本当は、初めて組んだんじゃないよね?」
「――っ!!」
俺の心臓が、今日一番の勢いで警報を鳴らした。
「い、いや、違うんだ! これは東雲さんのオーラというか、動きが分かりやすかったから、俺が必死に合わせただけで……!」
俺の必死の誤魔化し。なぜだが隣の東雲さんは何も喋らなかった。
「嘘だー! 凛りんの魔法のタイミング、佐藤くんの動きを予見してないと無理だもん! ……それに、今の最後の打ち上げ攻撃。二人、一言も喋ってなかったよね? なのに、なんであんなにピッタリ合うわけ?」
一ノ瀬さんの瞳は、いつもの天真爛漫な輝きとは違う、真実を暴き出そうとする鋭い光を宿していた。
まずい。三年間鍛え上げた「シンクロ率」を、あろうことかリアルの場で全開にしてしまった。
「あ、あはは。……佐藤くんがリードするのが上手だからだよ。……ね、佐藤くん?」
やっと口を開いた東雲さんが、少しだけ早口で言い添えた。
その声は「東雲さん」だったけれど、目は泳ぎまくっている。
「そう、そうなんだ! 東雲さんのキャラが『次はこう動くぞ!』って叫んでるような気がしたというか……さすが東雲さん、ゲームでも人を惹きつける力があるんだな!」
「…………ふーん」
一ノ瀬さんは、腕を組んで俺たちを凝視する。
数秒の、永遠のように長い沈黙。
やがて、彼女はふっと力を抜くと、ニヤリといたずらっぽく笑った。
「にひひ! ま、いっか! 二人の相性が『最高』だってことが分かって、咲希は嬉しいよーっ!次はあっちのゲームやろーっと!」
そう言って一ノ瀬さんは次よゲーム機へと向かった。
「……助かった……」
緊張の紐がほどけると俺は膝から崩れ落ちそうになるのを必死で耐えた。
隣を見ると、東雲さんも俺にだけ聞こえるような小さな溜息を吐き、誰にも見えないように俺のシャツの裾を「ツン」と小突いてきた。
「(……バカ、カズ。あんまり派手に動かないでよ)」
「(……お前こそ、最後ノリノリで奥義撃ち込んでただろ)」
「(……だって、カズの打ち上げが完璧だったんだもん。……つい、ね)」
彼女はぷいっと顔を逸らしたが、その口角がわずかに上がっているのを、俺は見逃さなかった。
一ノ瀬咲希。
彼女は、俺たちの正体に確信を持ったわけではない。
ただ、この「相棒」という言葉でしか説明できない俺たちの関係性を、彼女なりの優しさで面白がってくれている……そんな気がした。
二人で少し遅れて次に向かう一ノ瀬さんに追いつくと、
「よし! 次はプリクラ撮ろ! 今日のこの『最高な相性』を、証拠として残しておかなきゃね!」
「えっ、プリクラ!? いや、俺はいいよ……」
「ダメダメ! カズッチくんも主役なんだから! ほら、凛りん、佐藤くんの手、引っ張ってあげて!」
「ええっ!? ……。……。……わ、わかった、ほら、佐藤くん。行こっか?」
東雲さんが俺の手首を、少しだけ強引に、けれど指先から伝わってくる確かな熱を持って掴んだ。
学校では、クラスの人気者と、地味な男子。
でも、この喧騒の中では、俺たちは「他人のふり」に必死な、ただの不器用な相棒だった。
一ノ瀬さんに連れられ、俺たちはさらに賑やかなフロアの奥へと消えていった。
この後に待っている、さらに心臓に悪い「プリクラ」の時間。
そして、一ノ瀬さんの粋な計らい。
俺と彼女の言い訳が、ゆっくりと崩れ落ちる足音が聞こえてくる気がした。




