第25話 二人しか知らないこと
一ノ瀬さんに連れられてやってきたのは、駅前から少し歩いたところにある、テラス席が印象的なおしゃれなカフェだった。
いかにも女子高生が「映え」を狙って集まりそうな空間で、俺のような帰宅部ゲーマーが足を踏み入れるには、かなりの精神的防御力が要求される。
「にひひ、ここだよ! ここのパンケーキ、五月限定のピスタチオ味があるんだから!」
一ノ瀬さんは慣れた様子で店員に予約の名前を告げると、俺と東雲さんを奥のボックス席へと案内した。
一ノ瀬さんが俺の隣に座ろうとした瞬間、彼女はふと足を止め、何かを思いついたように手を叩いた。
「あ、そうだ! 今日は凛りんと佐藤くんが並んで座ってよ。ほら、せっかくの遠足だし、二人ももっと普通に話せるようになった方が楽しいでしょ?」
「えっ? あ、いや……私は別に、どっちでもいいけど……」
「ほらほら、佐藤くんも! そんなに端っこに固まってないで、どうぞー!」
有無を言わさない一ノ瀬さんの勢いに押され、俺と東雲さんは並んで座る羽目になった。
……。
……肩が触れそうな距離だ。
東雲さんは無表情を装っているが、心なしか姿勢がいつもより真っ直ぐになっている気がする。
俺も俺で、どこを見ていいか分からず、テーブルに置かれたカトラリーセットをじっと見つめることしかできなかった。
「……。……。失礼します、東雲さん」
「……。……。ええ。こちらこそ、佐藤くん」
お互いに、まるで初対面の親戚のような敬語による余所余所しい挨拶を交わす。
対面の一ノ瀬さんは、そんな俺たちの様子を「面白そう」と言わんばかりの笑みを浮かべて眺めていた。
「ねえねえ、メニュー選ぼっか!」
渡されたメニューを開く。
そこには彩り豊かなパンケーキが並んでいたが、俺の目はある一点で止まった。
(あ……。これ、ハルが前にボイチャで『今度これ食べたい』って画像送ってきたやつだ。確かベリーとカスタードの……)
俺は無意識に口を開きそうになった。
三年間、あいつと画面越しに喋ってきた習慣は恐ろしい。あいつが今、何を注文しようとしているか、次に何を言うか。ボイチェン越しの声でも分かっていた俺には、手に取るように分かってしまう。
「佐藤くんは何にする?」
「……。俺は、このシンプルなやつで。東雲さんは?」
「私は……。そうね、この、カスタードとベリーの――」
……と、そこで俺は気づいた。
ハルはベリーのソースはいけるしむしろ好物であるものの、生のベリーがダメであることを。
よく見たら生地と生地の間に挟まっているのが見える。
俺は余計な口出しをしてしまった。
「あ、そういえば東雲さん。そのパンケーキ、『生のブルーベリー』が入ってるみたいですけど……大丈夫なんですか?」
「…………え?」
東雲さんが動きを止めた。
……。
やってしまった。
ハル(東雲さん)は、加工されたブルーベリーは平気だが、生のブルーベリーの「食感」だけは『あれは悪魔の食べ物だ』と断言するほど苦手だったのだ。
「……。……。……佐藤くん。どうして私が、生のブルーベリーが苦手だって分かったの?」
東雲さんの瞳が、驚き……そして「相棒としての繋がり」を再確認したような、微かな光を帯びる。
にしてもこの状況、一ノ瀬さんから見たら怪しい言動以外のなんでもない。
俺は適当に誤魔化す。
「あ、いや! その……。東雲さんって、なんとなく食のこだわりが強そうなイメージがあったから! 生の果物とか、苦手そうな顔してるなって……適当に言っただけだよ」
「……。……ふーん。……適当、ね」
東雲さんは少しだけ唇を尖らせると、小声で俺にだけ聞こえるように囁いた。
「(……ありがと、カズ。)」
そして、テーブルの下で、彼女の膝が俺の膝に「トン」と軽く触れた。
「え、凛りんカズっちくんになんか言った?」
「いや、何も?」
「わあ……! 今のシンクロ、凄くない!? カズッチくん、凛りんのこと予知能力で見てるの?」
一ノ瀬さんが目をキラキラさせて騒ぎ出す。
「……いや、本当にただの勘だって」
「にひひ、もう、謙遜しちゃって! ……。……。……ねえ、カズッチくん」
一ノ瀬さんは、不意に声を潜め、俺だけに聞こえるように手招きをした。
そして耳打ちをする。
「(あのね、凛りん、今日佐藤くんと会うの楽しみにしてたんだよ。学校だと凛りんって『天使』として完璧でいなきゃいけないって疲れちゃうけど、佐藤くんの前だと、なんか……ちょっとだけ肩の力が抜けてる気がするのって)」
「…………一ノ瀬さん」
「(だからさ、今日は『東雲さん』じゃなくて、もっと普通の友達として、凛りんと遊んであげてね!)」
一ノ瀬さんはそう言うと、満足げに笑って俺の肩をポンと叩いた。
……。
なるほどな。
彼女は、俺と東雲さんが「親友」として仲良くしていることに薄々気づきつつ、それを咎めるのではなく、むしろ『凛にとっての貴重な話し相手』として俺を歓迎してくれているらしい。
「咲希、佐藤くんになんか言った?」
「えへへ?なにもー?」
一ノ瀬さんはそういいずーっとニコニコしてる。
でもそのニコニコはいつもの貼り付けたような笑顔ではなく、何となく彼女の心の底からの笑顔であるように感じた。
……にしても完全にやり返したな一ノ瀬さん。
「あ、そうだ! 咲希、ちょっとお手洗い行ってくるね! 二人で仲良くメニュー決めてて!」
一ノ瀬さんはウィンクを一つ残すと、風のように席を立った。
残されたのは、俺と東雲さんの二人だけ。
一気に周囲の音が遠のいたような気がした。
「……。……。……。……ハル。お前、さっきの膝(合図)、一ノ瀬さんに見られてたんじょないか?」
俺が小声で注意すると、東雲さんはメニューで顔を隠しながら、ふんっと鼻を鳴らした。
「いいよ。咲希はあんな性格だし、気づいたとしても『仲良しだねー!』で済ませてくれるだろうし。……それより、カズ」
「なんだよ」
「……。……。……さっきのブルーベリー、よく気づいてくれたね。私、自分でも忘れて注文しそうになってたわ」
「……当たり前だろ。三年間、何回聞かされたと思ってるんだよ。お前の食のわがままは全部脳内にデータ化されてんだよ」
「……。……。……わがままって何よ、ヘボ前衛」
東雲さんはそう毒づきながらも、メニューから顔を覗かせ、俺に向かってにひひと笑った。
その笑顔は、学校で見せる「学園の天使」のような完璧な美しさではなく。
もっと幼くて、意地悪で、それでいて俺が三年間背中を預けてきた……最高の相棒としての笑顔。
「……。……。……似合ってるじゃん。そのシャツ」
「……。……ああ、ありがと」
「……。……。……にひひ。……。……さ、注文しよ。咲希が戻ってきたら、また『東雲さん』と『佐藤くん』ごっこ、再開しなきゃいけないんだから」
ハル――いや、東雲さんは、一瞬だけ名残惜しそうに俺のシャツの裾を指先で弾くと、再びすました顔で紅茶に口をつけた。
一ノ瀬咲希。
彼女は、俺たちの関係を恋愛だなんだと茶化しているわけではない。
ただ、彼女にとっても大切な凛という存在が、俺という相棒を見つけたことを、彼女なりの優しさで見守ってくれている……そんな気がした。
俺たちの「他人のふり」という名の真剣勝負。
一ノ瀬さんという最高の、けれど少しだけ厄介な共犯者を連れて。
俺たちの五月の日曜日は、ここからさらに賑やかになっていく。
「お待たせー! あ、二人とも注文決まった? 咲希はピスタチオパンケーキにするね!」
「……ええ。私も決まった。……佐藤くん、呼び鈴、押してくださる?」
「あ、はい。わかりました、東雲さん」
日常の皮を被った「秘密の共有」。
俺たちは一ノ瀬さんに促され、運ばれてくる甘いパンケーキと共に、三人の新しい友情の時間へと足を踏み入れていった。
******
カフェのパウダールーム。白を基調とした清潔な空間で、私は鏡の前に立ち、少しだけ乱れた前髪を整えた。
鏡の中にいるのは、いつものように、でもいつもと違うようにニコニコと楽しそうに笑う「一ノ瀬咲希」だ。
「……ふぅ。ちょっと、はしゃぎすぎちゃったかな」
小さく息を吐くと、頬の筋肉を緩める。
学校での私は、いつだってこうだ。みんなを明るくさせて、自分も一番楽しそうにしてなきゃいけない。それが「一ノ瀬咲希」という女の子に期待されている役割だって、分かっているから。
でも、今日は少しだけ、その「役割」を忘れてしまいそうになる。
それはきっと、さっきまでそばにいた二人の空気が、あまりに自然で、温かかったからだと思う。
(……カズッチくん、やっぱり凄いや。まさか凛りんが『生のブルーベリー』を嫌いなことまで知ってるなんてね)
あれには本当に驚いた。
凛りんは完璧主義者だから、自分の弱点や好き嫌いを滅多に人に見せない。中学からの付き合いである私でさえ、それを知るまでには結構な時間がかかったっていうのに。
それを、クラスじゃ接点のないはずの佐藤くんが、あんなに「当たり前」のように指摘してみせた。
(偶然なんて言ってたけど、あんなの、ずっと近くで見てなきゃ分からないよ)
確信した。
二人の間には、私にはまだ見えない、分厚くて深い「時間」があるんだってこと。
カズッチくんは凛りんにとって、ただのクラスメイト以上の、魂を預けられるくらいの相棒なんだ。
正直に言えば、ほんの少しだけ、寂しいなって思う自分もいる。
私にとって、凛りんは世界で一番の親友だ。あの子が「天使」の仮面を被って、一人で無理をしてるのを知っているのは私だけだと思ってたから。
でも。
さっき、カズッチくんの隣に座った時の凛りんの顔。
私に向けるのとも、海斗くんや他の男子に向けるのとも違う、少しだけ子供っぽくて、安心しきったような、あの笑顔。
(……あんな顔、初めて見た。凛りん、本当に楽しそう)
それを見たら、寂しさなんてどこかへ飛んでいってしまった。
だって、凛りんが誰よりも信頼して、誰よりも自分らしくいられる場所が、学校っていう場所のすぐ隣にあったんだから。
「凛りんに内緒の不倫(?)は、もう終わり。これからは三人で、最高の友達にならなきゃね」
私は口元を緩め、もう一度鏡に向かって「天使」の笑顔を作った。
私が今日、二人を強引に引き合わせたのは、ただ面白そうだったからじゃない。
学校っていう「パブリックな場」で、二人が他人のフリをし続けるのは、あまりにも勿体ないと思ったから。
秘密を共有しているのは刺激的だけど、いつかその秘密が重荷になって、二人の関係が壊れちゃうのが怖かった。
だから、私が間に入ることで、「佐藤くんと東雲さんは、一ノ瀬さんを介して仲良くなったんだよ」っていうカモフラージュを作ってあげたかった。
そうすれば、学校でも二人はもっと自然に言葉を交わせるようになる。凛りんは、カズッチくんっていう唯一の「逃げ場」を、堂々と持っていられるようになる。
無神経だって、凛りんに怒られちゃうかもしれないけど。
それでも、私はあの子の「本当の笑顔」を守りたい。あの子が一人で抱え込んでいるものを、一緒に半分こしてくれるカズッチくんを、私も信じてみたい。
バッグを手に取り、パウダールームを出る。
さあ、私の役割は、ここから。
二人の間にある「見えない糸」を、みんなにバレないように、けれどもしっかりと結びつけてあげること。
「お待たせーっ! あ、二人とも、なんかいい雰囲気じゃない? 咲希プロデューサー、鼻が高いなぁ!」
テーブルに戻る私の目に、一瞬だけ重なった二人の視線が映った。
慌てて逸らされたその距離感に、私は心の底から「にひひ」と笑った。
大丈夫。
この三人なら、きっと最高に楽しくて、ちょっとだけ複雑で、世界一幸せな「友達」になれる。
私は、運ばれてきたピスタチオパンケーキの甘い香りに包まれながら、これから始まる賑やかな日曜日へと、全力で飛び込んでいった。




