第24話 秘密の境界線
駅前の噴水広場は、新緑を揺らす爽やかな風が吹き抜け、絶好のお出かけ日和となっていた。
俺――佐藤一真は、約束の十五分前に到着し、広場の端にあるベンチに座って手持ち無沙汰にスマホを眺めていた。
(……よし。格好は、これで大丈夫なはずだ)
気合を入れすぎず、かといってハル(東雲さん)に『相変わらずダサいね』と煽られない程度の、清潔感を重視した服装だ。風が、シャツの生地越しに心地よく肌を撫でる。
ふとスマホを確認すると、東雲さんからの個人LIMEが届いていた。
『今、駅に着いたよ。……。佐藤くん、変な顔して待ってない?大丈夫そ?』
相変わらずのハル節。その一言に少しだけ緊張が解け、俺の唇に自嘲気味な笑みが浮かんだ。
すると、
「――にひひ! カズッチくん、みっけーっ!」
不意に、背後から弾けるような声がした。
肩をポンと叩かれ、俺は文字通り飛び上がらんばかりに驚いて振り返った。
「うわっ!? ……い、一ノ瀬さん?」
「おはよー! カズッチくん、早いねぇ。もしかして凛りんにいいとこ見せようとして、気合入っちゃってる感じ?」
そこに立っていたのは、太陽の光を味方につけたような、一ノ瀬咲希さんだった。
透け感のある白いブラウスに、淡いイエローのフレアスカート。ウェーブがかった栗色の髪はハーフアップにまとめられ、風に揺れる姿はまさに「歩く天使」だ。
……なんだか爆弾娘というイメージが先行して忘れていたが、この人とんでもない美人だった。うちの学校の二大天使だった。
そしてもう一人の天使も今から来るって?
え、どゆこと?
こんなモブキャラ一人のためにそんな人的リソースを咲いてもよろしいのでしょうか?
……と、そんなことを考えながらも一ノ瀬さんの顔を見る。
「……一ノ瀬さんこそ、早いな。まだ十分以上前だぞ」
「だって楽しみだったんだもん! 凛りんと、カズッチくんと三人でお出かけ。これって歴史的なイベントだよ?」
一ノ瀬さんは俺の隣にすとんと腰を下ろした。
……近い。
ふわりと甘いベリーのような香水が、風に乗って鼻をくすぐる。
「ねえねえ、カズッチくん。今日の格好、カッコいいね! 凛りん、喜ぶんじゃない?」
「……。別に、東雲さんのために着てきたわけじゃないよ。……それより、声がデカい。誰かに見られたらどうするんだよ」
「いいじゃん、今日は三人で遊ぶって決めたんだし! ……。ねえ、カズッチくん。一つ聞いていい?」
一ノ瀬さんが、小首をかしげて俺の顔を覗き込んできた。
その大きな瞳には、いつもの天真爛漫な明るさとは違う、少しだけ探るような光が宿っている。
「……。なんだよ」
「カズッチくんから見て、凛りんってどういう印象? ほら、クラスじゃあんまり喋ってないみたいだけど、ぶっちゃけ二人はどういう関係なのかなーって!」
ドクン、と心臓が跳ねた。
……危ない。
一ノ瀬さんは俺たちの接点を疑っている。ここは慎重に、「普通のクラスメイト」としての回答を叩き出さなければならない。
「……関係も何も、ただのクラスメイトだろ。印象は……そりゃ、学園のアイドルだよ。頭も良くて、スポーツも万能で、俺みたいな帰宅部のモブとは住む世界が違う……『遠いところのすごい人』って感じだ」
「えー? それだけ? もっとこう、女子としてドキドキするとかさぁ!」
「……す、するわけないだろ。畏れ多すぎて直視もできないよ。……あ、そうだ。海斗に聞いても同じこと言うぞ」
俺は「モブ」の自虐を盾に、必死に壁を築く。東雲凛と自分が「相棒」なんて、口が裂けても言えるはずがない。
一ノ瀬さんは「むむぅ……」と不満げに俺を凝視した。
「……本当かなぁ。凛りん、カズッチくんのこと見てる時だけ、なんか変に安心した顔するんだけどな。……あ。噂をすれば、来たよ。……ほら、見て」
一ノ瀬さんが指差した方向。
駅の改札から出てきた人混みが、まるで海が割れるように左右へ分かれていくのが見えた。
「…………え?」
俺の思考が、一瞬でホワイトアウトした。
そこには、俺の知っている「東雲さん」でも、ましてや画面越しに喋っている「ハル」でもない、完成された『絶世の美少女』が立っていた。
淡いサックスブルーの七分袖ブラウスに、白のスリムパンツ。
首元が少し広めに開いたデザインで、鎖骨のラインが綺麗に露出し、さらさらと流れる黒髪が、風に揺れてその白い肌を時折隠す。
いつもの「天使」のような柔らかいオーラではなく、陽光を反射して輝くような、洗練された都会的な美しさ。
道ゆく人々が誰も彼も、時が止まったかのように彼女を見つめている。
東雲凛。
彼女は周囲の喧騒を一切気にする様子もなく、真っ直ぐに俺たちの元へと歩いてきた。
「……お待たせ。……咲希。……佐藤くん」
彼女は俺たちの前で立ち止まると、小さく唇を結んだ。
非の打ち所がない、完璧な「東雲さん」としての挨拶。
「凛りーん! なにその服、めちゃくちゃ綺麗! 咲希、同じ女子だけどドキドキしちゃう!」
「もー、咲希、大げさ。……。佐藤くん、おはようございます」
「……。あ、おはようございます、東雲さん。……その、すごく……似合って、ますね」
「……ありがとうございます」
わざとらしく丁寧にお辞儀を交わす俺と東雲さん。
彼女が頭を下げた瞬間、ふわりと髪が流れ、昨夜の「脅しのネタ」になった白いうなじが視界に飛び込んできた。
五月の光に透けるようなその白さに、俺は心臓を直撃された。
……これは瓶の中に閉じ込めてしまいそうになるのもわかるぞ、過去の俺。
「ねえねえ凛りん! 今、カズッチくんに凛りんの印象を聞いてたんだよ! カズッチくん、凛りんのこと『遠い世界のすごい人』だって言ってたよー!」
「……遠い世界?」
東雲さんが俺をじっと見つめる。
その瞳の奥で、相棒のハルが『へぇー。そんなこと思ってたんだ? あとでログ全消去の刑ね』と笑っているような気がした。
「……。じゃあ、凛りんにとっても佐藤くんは『ただのクラスメイト』なの?」
一ノ瀬さんの、容赦のない追い打ち。
東雲さんは、あごに指を当てて少し考えるフリをしてから、ふわりと微笑んだ。
「そうね……。真面目で、少し大人しいクラスメイト……かな? でも、たまにすごく……頼りになりそうな雰囲気があるよね」
「頼りになる!? 佐藤くんが?」
「うん、……なんとなく、直感だけど」
東雲さんはそう言って、俺にだけわかるように一瞬だけ目を細めた。
(……誤魔化せてるよな? これで『接点なし』の体は保ててるはず……!)
俺は心中で自分を鼓舞したが、一ノ瀬さんはまだ納得していない様子だった。
「ふーん。ま、いっか! 今日は咲希が最高のプロデューサーになってあげるからね! さあ、出発進行ーっ!」
一ノ瀬さんが、俺と東雲さんの腕をそれぞれ取って歩き出した。
一ノ瀬さんに引っ張られる形で歩き始めたが、途中、人混みの中で一瞬、俺と東雲さんの肩が軽く触れ合った。
その瞬間。
東雲さんが、一ノ瀬さんから見えない位置で、俺のシャツの袖を指先で「くいっ」と引いた。
(――カズ。……さっきの『遠い世界の人』、あとで訂正させるからね)
人混みにかき消されそうなほど小さな、けれど俺の耳にははっきりと届く、ハルとしての声。
「…………っ!!」
俺は慌てて前を向いた。
学校での、余所余所しい東雲さんと佐藤くん。
けれど、袖を掴む彼女の指先から伝わってくる確かな温度が。
一ノ瀬さんに見つからないように送られる「相棒」の合図が。
今の俺には、どんなレイドボスの強攻撃よりも、破壊的で、そして……心地よかった。
「あ、カズッチくん今ニヤけたでしょー!」
「……え?べつに……!」
俺たちの、あまりにもスリリングで、不器用な「他人のふり」という名の真剣勝負は、まだ始まったばかりだった。




