第22話 明日が楽しみ
嵐のような一週間だった。
火曜日、深夜。
俺――佐藤一真は、東雲さんに隠れて一ノ瀬さんと密会していた事実を白状した。
ボイスチャット越しに響いたハルの……いや、東雲さんの、震えるような、けれどどこか愛おしさを孕んだ『バカ』という一言。
あの夜、俺は彼女を本気で怒らせてしまった恐怖と、同時に感じた「正体不明の熱」に浮かされ、ほとんど眠れなかった。
水曜日、昼休み。
一ノ瀬さんに校舎裏へ東雲さんと共に呼び出され、なし崩し的に決まった「日曜日の三人デート」。
東雲さんは「佐藤くんがいいならいいけど」なんて素っ気なく言っていたが、その後の彼女のアイコンタクトは、明らかに『覚悟しなさいよ』という無言の圧力を孕んでいた。
木曜日、そして金曜日。
教室での俺たちは、相変わらず「他人のふり」を貫いた。
けれど、俺のポケットの中では、彼女からのLIMEが絶え間なく震えていた。
『カズ、今咲希と目合ったでしょ。鼻の下伸ばさない』
『今日の私の前髪、どうかな』
そんな、他愛のない、けれど俺にしか見せない「ハル」としての言葉たち。
そして迎えた、土曜日の夜。
明日はいよいよ、一ノ瀬咲希プロデュースによる「三人遠足」の当日だ。
時刻は23時。俺はパソコンの前で、ヘッドセットを装着した。
ログインすると同時、柔らかい、けれど少しだけ刺のある声が鼓膜をくすぐる。
『――カズ、遅い。一分二十秒も待たされたんだけど』
「……。……。悪い。ちょっと明日の服を選んでてな」
『ふーん、気合入ってるねぇ。咲希に見直されたいから?』
ボイチェンなしの地声。
画面の中の戦士アバター――ハルは、俺のアバターのすぐ隣に座り込んでいた。
学校での「東雲さん」は、誰にでも平等に明るい。でも、今俺の隣にいるハルは、俺のちょっとした言動に一喜一憂し、すぐ噛みついてくる。
「違うだろ。……お前が今日『ダサい服できたら絶縁する』ってLIME送ってきたせいだろ」
『あはは! 自覚あるならよろしい。……。……ねえ、カズ。明日、本当に大丈夫?』
「……何がだよ」
笑いながらも、彼女の声音が少しだけ真剣な雰囲気を纏ったのをヘッドホン越しに感じ取った。
『……咲希だよ。あの子、天然だけど時々怖いくらい鋭いんだもん。……私たちが「三年前からの相棒」だってバレたら……。……学校での私のキャラクター、終わっちゃうよ?』
凛の声が少しだけ小さくなる。
あざとい。こういう時の彼女は、計算しているのか天然なのか、俺の守護欲を的確に突いてくる。
「……バレねーよ。徹底して『ただのクラスメイト』として振る舞えばいいんだろ? お前は一ノ瀬さんと楽しくお喋りしてろ。俺はその後ろで、荷物持ちでも何でもやってやるから。そういえば愚痴も聞かせてくれるんだったっけ?俺に対しての愚痴ならいくらでも聞く。うん、その覚悟はできてる」
もう彼女の態度を見る限りは怒っていることはないだろうが、もう嘘はつくまいと誓ったのだ。
しかし、そんなことを考えていた俺の気持ちとは裏腹に帰ってきたのは意外な言葉だった。
『……。……それも嫌。荷物持ちなんてさせないし、カズが私の後ろにいるのも嫌。……ちゃんと隣にいてくれないと』
「お前なぁ……。矛盾してんだろ」
『いいの。これが女の子のワガママなの。……。……ねえ、明日のルール、決めよ?』
凛のキャラが、俺のアバターにさらに寄り添ってくる。
画面上のことなのに、耳元で彼女の吐息が聞こえるような錯覚に陥る。
「ルール?」
『第一。私のことは「東雲さん」、佐藤くんのことは「佐藤くん」。これは絶対。……「ハル」って一回でも呼んだら、その場で罰ゲーム。一週間、私のパシリね』
「……。了解だ」
『第二。咲希と仲良くしすぎないこと。……相談役だからって、あの子ばっかり見ちゃダメだよ。……ちゃんと、私のこと見てて』
「…………っ」
不意打ちのデレ。
普段はサバサバしている相棒が、二人きりの時だけ見せる重めの感情。
思わず俺はキーボードを叩く指が少し震えた。
「……。……見てるよ。……。……。お前が、一番目立つんだから、嫌でも視界に入るわ」
『にひひ。……よし。じゃあ、第三』
少しの間。
スピーカーから、彼女がベッドの上で寝返りを打ったような、衣擦れの音が聞こえてきた。
『……。……明日の最後。……。……二人きりになれる時間、作って?』
「……え?」
『咲希と三人で遊ぶのはいいけど。……。……一日中、三人なんて嫌だもん。……帰り道とか、数分でいいから。……「カズ」と「ハル」に戻れる時間が欲しいの。……ダメ、かな?』
……。
…………。
なんだそれは。勝てない。
この、三年間で築き上げた圧倒的な「特別感」を武器に、彼女は俺を逃がしてくれない。
俺を「性癖のゴミ捨て場」扱いしていた頃のハルはどこへ行ったのか。正体がバレてからというもの、彼女の攻撃はより直接的に、俺の心臓の急所を狙ってくるようになった。
「……。……。善処するよ。……一ノ瀬さんに怪しまれない程度にな」
『うん。……。……。ねえ、カズ。……私、楽しみなんだよ。明日』
……だからなんでこの子は。
「……。……。……。俺もだよ。……まあ、お前がいつ爆弾投下するか、ヒヤヒヤしてるけどな」
『失礼だなぁ。爆弾は咲希の方でしょ。……。……。……あ、そうだ。最後に一つ、確認』
「なんだよ」
『……今日、私のこと、エッチな目で想像した?』
「…………してねーよバカ!!」
『あははは! 嘘だー! さっきの沈黙、絶対なんか変なこと考えてたでしょ! ほら、白状しなさいよ、このニーハイ変態!』
「…………っ!!」
『あ!わかっちゃった!私じゃなくて咲希の事見て変なこと想像してたんだ〜、変態〜』
「しっ、してない!」
……いや?ほんとにしてないぞ、してないからな……?
いつもの、相棒としてのやり取り。
でも、ボイチェンのないその声は、以前よりもずっと甘く、俺の部屋の空気を熱くさせていた。
『にひひ。……。……じゃあ、明日ね。……寝坊したら、本当に呪うから。……おやすみ、カズ』
「……。……。……ああ。おやすみ、ハル」
通信が切れる。
静まり返った部屋の中で、俺はしばらくヘッドセットを外せなかった。
明日は、三人でのデート。
一ノ瀬咲希という最強の台風に巻き込まれ、秘密がバレるかもしれないという極限のスリル。
けれど、さっきの彼女の声が、俺の胸の中に確かな「特等席」を築いていた。
俺は、無意識のうちにスマホの裏側に貼られたドラゴンのシールを指先でなぞった。
佐藤一真と、東雲凛。
ただの親友だったはずの二人の境界線は、決戦前夜の静寂の中で、もう後戻りできないほど深く、溶け始めていた。




