第21話 校舎裏会議
水曜日、昼休み。
昨日、ボイスチャットであの短い『バカ』という一言を言われてから、俺の心臓はずっと落ち着かなかった。
(……怒ってるよな。やっぱり、本気で呆れられたか?)
朝、教室で東雲さんの姿を見かけても、俺は怖くて目が合わせられなかった。彼女もいつも通り女子グループの輪の中にいて、俺の方を振り返る様子はない。
海斗が「今日の東雲さんも神々しい……」といつも通り拝んでいるのが、今の俺には遠い世界の出来事のように感じられた。
そんな重苦しい気分のまま迎えた昼休み。俺のスマホに、一通の通知が届いた。
【咲希:カズッチくん! 凛りん! 今すぐ校舎裏の『いつもの場所』に集合だよ!(๑>◡<๑)】
……いつもの場所。
あぁ……多分あそこだ。月曜日に、一ノ瀬さんが男子生徒の告白を鮮やかに振っていた、あの体育館裏のデッドスペースだ。
俺は胃を重くしながら、人目を避けるようにしてその場所へ向かった。
到着すると、そこにはすでに一ノ瀬咲希さんの姿があった。フェンスに背を預けて鼻歌を歌っている。
そして――その数歩隣には、俺が最も今顔を合わせづらかった人物、東雲凛が立っていた。
「……あ。来たね、佐藤くん」
東雲さんが俺の方を向いた。
その顔は、完璧な「学校の天使」としての微笑みだった。……けれど、ほんの少しだけ、昨夜の余韻を感じさせるような気まずさが、彼女の瞳の奥に隠れているような気がした。
「……ああ。お待たせ、一ノ瀬さん。東雲さんも」
「にひひ、二人とも揃ったね! 呼んだのは他でもないよ! 昨日のグループLIMEの続き!」
一ノ瀬さんが、パチンと手を叩いて二人の間に割って入った。
「今度の日曜日、三人で遊びに行こう! 咲希、もう行きたいカフェの予約もチェックしちゃったんだから!」
「……。……咲希。あんた急に呼び出したかと思えば、またその話?」
東雲さんが、困ったように眉を下げた。
「なんで佐藤くんと私と……あなたの三人なの?今までそんなことなかったじゃん」
「えー? だって、一昨日ファミレスでカズッチくんとお話しした時、すっごく面白かったんだもん! それにね、カズッチくんって凛りんと波長が合いそうだなって思ったの」
一ノ瀬さんが、俺の腕を軽く小突いて笑う。
「波長が合う……?」
「うん! 凛りんって、学校じゃみんなに『天使』とか言われて気を使われちゃうでしょ? でもカズッチくん、凛りんのこと『わがままで口が悪い』って言ってたよ! ほら、凛りんの『中身』を分かってる感じ!」
(……余計なことを!!)
いや?そんなこと言ったか?そんなようなことを言った気もするししなかった気もする。
……まぁいいや。
これ以上彼女からの俺の評価が下がることはない。
東雲さんが「え?」と目を丸くして俺を凝視する。
俺が半ば諦めの気持ちで『はいはい、好きに俺の事煮るなり焼くなりしちゃってください』みたいなことを思っていたが、次の瞬間――。
「……ふふっ。……あははは!」
東雲さんが、不意に吹き出した。
それはお淑やかな「東雲さん」の笑い方じゃなかった。俺が三年間、画面越しに聞き続けてきた、相棒『ハル』のような遠慮のない笑い声。
「……そう。私のこと『最悪な奴』って言ってたんだ。……いい度胸じゃない、佐藤くん?」
彼女は俺を見て、いたずらっぽく目を細めた。
……あ。
いつもの、ハルだ。
俺を小馬鹿にして、からかって、でもどこかで信頼してくれている、あの最高の相棒の顔。
昨日からの不安が、すーっと溶けていくのを感じた。
軽蔑なんてされていなかった。怒ってはいるかもしれないけれど、彼女はまだ、俺の隣にいてくれる。
「咲希。……あなた、そうやって勝手に人を振り回さないの。佐藤くんにだって都合があるでしょ?」
「えへへ〜。でもカズッチくん、咲希の『相談役』だもんね? 凛りん、佐藤くんがいいなら、私はいいよー……なんて、言っちゃったりしない?」
一ノ瀬さんが、確信犯的な笑みを浮かべて東雲さんを覗き込む。
東雲さんは少しだけ顔を赤くして、視線を逸らした。
「……。……まあ、佐藤くんがいいなら、私はいいけど……」
東雲さんが、俺をちらりと見た。
その目は、学校のルールを壊さないように、けれど確かに俺に「答え」を求めていて。
「……。……ああ。俺は、大丈夫だ。一ノ瀬さんさえ良ければ」
「やったぁ! 決まりだね! さっすがカズッチくん、話がわかるぅ!」
一ノ瀬さんは飛び跳ねるように喜ぶと、俺と東雲さんの手をそれぞれ取って、ぶんぶんと振った。
「じゃあ、日曜日の待ち合わせはLIMEで! 学校じゃ内緒の、三人だけの秘密の遠足だよ!」
予鈴のチャムが遠くで鳴り響く。
一ノ瀬さんは「じゃあねー!」と風のように校舎へ戻っていった。
残されたのは、俺と東雲さん。
少しの沈黙。……でも、昨日までのトゲトゲした空気はもうなかった。
「……。……。……ハル」
俺が小声で呼びかけると、東雲さんはフンと鼻を鳴らした。
「……何よ、ヘボ前衛」
「……いや。……普通で、良かったわ」
「……バカ。……普通じゃないよ。……日曜日、覚悟しなさいよ。パシリに、荷物持ちに、私の愚痴聞き。……全部やってもらうんだから」
彼女はそう言い残すと、俺より先に歩き出した。
背中越しに見える彼女の耳たぶが、ほんの少しだけ赤い。
(……。……。……ああ、やっぱり、勝てねーな、あいつには)
俺は苦笑いしながら、彼女の後を追った。
三人で遊ぶ、日曜日。
秘密がバレるリスクも、一ノ瀬さんの爆弾発言も、相変わらず怖いけれど。
でも、俺と彼女の「相棒」としての日常は、どうやらまだ、終わらずに続いてくれそうだった。




