第20話 胸のざわつき
「――ごめん!! 本当に、本当に悪かった!!」
俺はボイスチャットのマイクに向かって、そして自室の机の上で、額を擦り付けるようにして叫んだ。
ディスプレイの中では、俺のアバターが最敬礼のポーズを取っている。
スピーカーからは何の音もしない。ただ、静かな電子的なノイズだけが耳に届く。
「……言い訳をさせてくれ。ハル……東雲さんに『妹と買い物』って嘘をついたのは、ハルの親友……一ノ瀬さんに、弱みを握られたからなんだ」
俺は、あの日の、そして昨日の放課後の出来事をすべてぶちまけた。
一ノ瀬さんが告白されている現場に居合わせてしまったこと。彼女の「本当の私を見てほしい」という願いを聞いてしまったこと。
そして――。
「……あいつ、天真爛漫な顔して『佐藤くんがえっちな目で見てきたって学校中に言いふらすよ?』とか言ってきてさ……。あ、いや、昔ハルにボイチャで一ノ瀬さんの体のラインとかについて語ってたのは事実なんだけど! だからこそ嘘に聞こえないっていうか、もう断れなくて!!」
必死の、泥臭いまでの白状。
俺とハルが三年間築き上げてきた「相棒」という聖域を、俺自身の手で汚してしまったという罪悪感が、胸を締め付ける。
「……一ノ瀬さんの恋愛相談役として、隣町のファミレスに呼び出された。全部本当だ。でも、東雲さん(お前)に隠しておきたかったのは……その、お前の相棒の俺が、お前の親友とこっそり会ってるなんて知られたら、お前を傷つけるんじゃないかって……それだけなんだ」
話し終えると、部屋の中にしんとした静寂が戻ってきた。
怒号が飛んでくるか。
あるいは、冷たく「もういいよ、絶交だね」と突き放されるか。
最悪の想定が頭をよぎり、俺はギュッと目を閉じた。
結局こうやってバレるならなんで嘘をついた?
そう言われたらぐうの音も出ない。
俺は時の流れに身を任す他なかった。
******
ヘッドセットから聞こえてくるカズの必死な声は、情けなくて、マヌケで、それでいてひどく真っ直ぐだった。
私が怒っている理由。
それは、彼が私に「嘘をついたこと」だと思っていた。
そりゃ嘘をついたことは良くない。
でも、彼の口から「一ノ瀬咲希と二人で会っていた理由」を聞いているうちに、まぁしょうがなかったのかと彼の胸の内を察しながらも、私の胸の奥に、今まで感じたことのない、ザラついた熱い感覚が広がっていく。
(……咲希が、カズのことを『お気に入り』に?)
咲希は私の大親友だ。
あの子がどれだけ寂しがり屋で、自分の「中身」を見てくれる誰かを渇望しているか、私は誰よりも知っている。
なぜなら私もそうだからだ。
私は三年間現実ではどこか自分を、本当の意味で理解して貰えないという感覚を抱いていたが、それは『ハルとカズ』という関係性のお陰で和らいでいた。
しかし咲希はどうだろう。
私も本当の彼女を見ることができていると思っているし、彼女も本当の私を見てくれてると実感している。
しかしそれは私だけ。今までは。
そんな彼女が。
私の「相棒」である一真を見つけた。
彼の不器用な優しさに触れて、彼を自分の「特別」に招き入れようとしている。
その事実を認識した瞬間、心臓の鼓動が不自然に跳ねた。
ドクン、ドクンと、耳の奥まで響くような、重苦しい音。
(何、これ……)
イライラする。
彼が嘘をついたから?
それとも、あんなに私が「学校では他人のふり」って言い含めていたのに、あの子がそのルールを軽々と飛び越えて、一真と仲良くしているから?
……違う。
一番、胸がザワザワするのは。
一真が、私の知らないところで、咲希の「孤独」に触れて。
咲希を「放っておけない」と思ってしまったこと。
三年間。
画面の向こう側で、私だけが知っていた彼の優しさ。
私だけが、彼の「最高の相棒」だった。
誰にも邪魔されない、このボイスチャットの部屋こそが、私の唯一の居場所だったのに。
(……一真は、私の『相棒』なんだよ)
そう叫びたい衝動がこみ上げてくる。
――独占欲。
そんな、自分には無縁だと思っていた感情が、鋭い爪を立てて私の心をひっかいた。
咲希に対して「ずるい」と思ってしまう自分。
そして、一真に対して「何で私に真っ先に言ってくれなかったの」と泣きたくなる自分。
……東雲凛は、どうしてこんなに余裕がないの。
学校ではあんなに、完璧に「天使」を演じていられるのに。
たった一人の男子の行動に、どうしてこんなに、呼吸が苦しくなるほど振り回されているの。
「…………」
沈黙。
彼の待っている答えを、私はまだ言葉にできない。私だって分からない。
ただ、一つだけ確かなのは――。
******
一体、どれくらいの時間が流れただろうか。
数十秒。あるいは数分。ヘッドホンの向こう側の沈黙が永遠のものであるように感じられた。
ディスプレイの中のアバターは相変わらず微動だにしない。
「……。……ハル?」
俺が恐る恐る呼びかけると、スピーカーから、掠れたような小さな声が返ってきた。
『…………バカ』
「え?」
『……カズの、大バカ……。……。……もういいよ。……咲希から「3人の秘密」なんてグループが届いた時は、本当に、スマホ投げそうになったんだから……』
凛の声は、怒っているというより、どこか力なく、拗ねているようにも聞こえた。
「……悪い。本当に、悪かった。……お詫びは何でもする。……お前の中二病ポエムも、今夜中に全部一字一句書き写して俺のノートに保存してもいいし……」
『それお詫びになってないから!! 逆に死にたいからやめて!!』
凛がいつもの勢いで突っ込んできた。
……。
あ。
いつもの「ハル」だ。
俺は思わず、安堵で深く息を吐いた。
『……でも、そう。……咲希は、ああなると止まらないから。……相談役、受けてあげたのは、まあ……。……いいよ、許してあげる』
「……。……マジか。助かった……」
『その代わり。……今度の日曜日、咲希が言ってるあのお出かけ。……絶対に来なさいよ? 私も行くんだから。……逃げようなんて思わないこと』
「……ああ。分かってるよ」
『……。……。……じゃ、今日はもう終わり。寝るわ』
そう言って、彼女はいつもよりずっと早く、ログインを解除してしまった。
最後に聞こえた彼女の声は、どこか震えていたような気がする。
「…………」
俺はヘッドセットを外し、真っ暗な部屋の中で、自分のスマホを眺めた。
一ノ瀬咲希による、新しいグループトーク。
東雲凛の、短すぎる「許し」。
……なんなんだ。
いつものハルなら、ここで「お前は一生私のパシリなw」とか「ポエム晒すぞ!」とか、もっと激しく俺を煽り倒して、無理難題を押し付けてくるはずなのに。
今日の彼女は、あまりにも静かだった。
(……もしかして、俺、本気で軽蔑されたのか?)
謝罪は受け入れられたはずだ。
けれど、心臓の奥にある「正体不明の違和感」が消えない。
「……『バカ』、って……」
彼女が残したあの一言。
そのニュアンスを思い出そうとするたびに、俺の胸の中にも、小さなザワザワとした熱が灯っていく。
なんで何も言ってこないんだ。
なんで、いつもみたいに笑ってくれないんだ。
彼女のあの「静かな沈黙」が、これまでのどんな罵倒よりも、俺の頭を離れなかった。
火曜日、夜。
嘘がバレた夜。
俺は、彼女に送ろうとした『おやすみ』というLIMEの送信ボタンを押せないまま、静まり返った部屋で、月明かりを見つめ続けることしかできなかった。




