第18話 嵐を呼ぶ天使
それから小一時間程後。
パフェの最後の一口をたべながら、一ノ瀬さんはしばらく窓の外を眺めていた。
ファミレスの騒がしい喧騒の中で、俺たちのボックス席だけが、ふっとエアポケットに入ったかのように静かになる。
あれから表面だけを装ったような何の変哲もない世間話を繰り返していたら案外時間がすぎていた。
「……ねえ、カズッチくん。前私に告白してきた彼、かっこよかったでしょ?」
不意に、そう一ノ瀬さんが切り出した。
前、体育館裏で彼女に告白して、あっさりと振られた男子生徒のことだ。
「……。……まあ、そうだな。背も高いし、スポーツマンって感じだったし。女子にはモテそうだったぞ」
「でしょ? でもね、あの彼が咲希のどこが好きかって言ったと思う? ……『一ノ瀬さんの、いつも元気で明るくて、周りを幸せにする笑顔が好きだ』って」
たしかにそれっぽい人を好きになるには十分な理由ではあるように感じるが……。
一ノ瀬さんは、スプーンでクリームを弄びながら、自嘲気味に口角を上げた。
「それって、咲希じゃなくてもいいんだよ。……『いつも明るくて可愛い女の子』っていう役職が好きだって言ってるだけ。
……誰も、咲希が昨日の夜に一人で泣いてたことなんて知らないし、本当は人混みが苦手で、家ではずっと無口でぼーっとしてるだけの、可愛げのない女の子だってことも……誰も見ようとしないんだもん」
「…………」
「みんな、私が『天使』でいることを望んでるの。……だから咲希も、期待に応えて『天使』を演じてる。……でもね、たまに息が苦しくなっちゃうんだ」
一ノ瀬さんは、ふわりと笑った。でも、その笑顔はいつもの太陽のような明るさではなく、今にも消えてしまいそうな、儚い月明かりのようだった。
「凛りんはね、それに気づいてくれる唯一の人。……凛りんだけは、咲希が無理して笑ってる時に『咲希、ちょっと休みなよ』って言ってくれる。……だから、咲希にとって凛りんは、世界で一番の親友なの」
彼女はそこで言葉を切り、テーブル越しに俺をじっと見つめた。大きな瞳の中に、確かな熱が宿る。
「……それでね。カズッチくんも、凛りんと同じ感じがしたの。……カズッチくん、凛りんのこと見てる時、他の男子みたいにデレデレしてないよね。……。なんていうか、東雲凛っていう『偶像』じゃなくて、一人の人間として、対等に見てる感じがする」
「――っ! ……。……。まあ、あいつは……」
俺は「あいつは口が悪いし、わがままだし」と言いかけて、慌てて口を閉じた。
危ない。それは俺がボイスチャットで知っている「ハル」の情報だ。クラスメイトの「佐藤くん」が知っていていい情報じゃない。
「……。……東雲さんは、すごく頑張ってると思うよ。いつも完璧でいようとしてて、でも、たまにすごく頑固だったりするだろ? ……そういう『人間らしいところ』があるから、俺は、ただの綺麗な人形だとは思ってないだけだよ」
俺が慎重に言葉を選んで答えると、一ノ瀬さんは目を見開いてから、今日一番の、本当の笑顔を見せた。
「……やっぱり。……ねえ、カズッチくん。カズッチくんなら、咲希のことも見つけてくれるかな? ……『学校の天使』じゃない、ただの、わがままで面倒くさい一ノ瀬咲希のこと」
「……。……。……お前、十分わがままだぞ。月曜日に俺のこと脅迫したし、今日もこうやって勝手に連れ回してパフェ奢らせてるし。……その時点で、俺はお前の『天使じゃない部分』しか見てねーわ」
俺が投げやり気味に言うと、一ノ瀬さんは一瞬ポカンとしてから、「あははは!」と声を上げて笑った。
その笑い声は、誰かに向けられた演技ではなく、心から溢れ出した本物の音だった。
「ひっどーい! でも、それ! その感じがいいの! ……カズッチくん、やっぱり最高! 咲希、決めた!」
「……。……何だよ」
「凛りんには悪いけど……カズッチくんは、咲希にとっても『特別』な友達になってもらうね! ……にひひ、凛りん、驚いちゃうかなぁ?」
「……。……。……頼むから、あんまり騒がないでくれ。俺、目立ちたくないんだ」
「えー? 大丈夫だよ! ……ふふ、やっぱりカズッチくんと凛りんって、どこか似てるんだよねぇ……」
「…………本当に性格悪いぞ、一ノ瀬さん」
「にひひ。……カズッチくんにそう言われるの、なんか嬉しいかも。……じゃあ、また明日、学校でね! 佐藤くん!」
一ノ瀬さんは、わざとらしく「佐藤くん」と呼び直して、スキップしながら店を出ていった。
一人残された俺は、手元の空になったグラスを見つめ、深いため息をついた。
時計を見ると、17時半。
普通に帰れば、ログインには全然間に合う。
(……一ノ瀬咲希。……あいつも、東雲さんと同じなんだな)
偶像として生きる苦しさと、それを分かってくれる誰かを求める切実さ。
俺は図らずも、学園のトップ2の両方から「中身を知る相棒」としてロックオンされてしまったらしい。
――帰り道。
俺は、夜のログインで待っている東雲凛に、どうやって今日のことを話すべきか(あるいは隠すべきか)考えあぐねていた。
******
「……にひひ。やっぱり、面白い人」
咲希は一人、夕焼けが照らす駅までの道を1人歩きながら小さく笑った。
今日の彼は、ずっとオロオロしていて、余裕がなさそうで、咲希の顔色を伺ってばかりだった。
でも、咲希が一番言ってほしかった言葉――「お前、十分わがままだぞ」なんていう、デリカシーのない、けれど最高に誠実な言葉を、彼は迷わずに投げてくれた。
みんなが求める『一ノ瀬咲希』じゃなくて、目の前にいる、面倒くさくてお腹を空かせただけの『女の子』を見てくれた。
それは、咲希が世界で一番大好きな親友、凛がいつもしてくれることと同じだった。
「……凛りんも、気づいてるんだよね。きっと」
最近の凛は、どこか浮ついていた。
部活中もスマホを気にして、時折、誰も見たことがないような柔らかい顔をして笑う。
その視線の先にいつもいたのが、一真だった。
二人の間に何かがあるのは間違いない。
一真は必死に隠そうとしていたけれど、凛のことを話す時の彼の目は、クラスメイトに向けるものじゃなかった。
「二人とも、隠し事下手くそなんだから」
咲希はカバンからスマホを取り出した。
画面を点けると、凛とのトーク画面が表示される。
一真は「内緒にしてくれ」って言った。
きっと、恥ずかしいんだろうな。それとも、まだ凛とどう接していいか分かってないのかも。
でも、親友の凛に嘘をつき続けるのは、咲希の性に合わない。
それに、大好きな二人がお互いに「他人のふり」をして、こっそりアイコンタクトなんてしてるのを黙って見てるなんて、もったいなさすぎる。
「隠れてコソコソするより、みんなで笑ってる方が、絶対に楽しいもん!」
そう。これは、二人のための「プレゼント」だ。
きっかけがなくて踏み出せない二人の背中を、咲希がちょっとだけ――そう、崖から突き落とすくらいの勢いで押してあげればいい。
「にひひ! そうだ、三人でグループ作っちゃお! カズッチくん、驚くかなぁ?」
想像するだけで楽しくて、咲希の指先は迷いなく画面を叩いた。
一真を招待して、凛りんを追加して。
グループ名は、一番ワクワクするやつに決めた。
――『にひひ☆3人のひみつ』。
「よしっ、まぁ明日の学校でグループを作っちゃおっと」
明日学校で、決定ボタンを押した瞬間。
一ノ瀬咲希の「善意」という名の爆弾は、夕暮れの街を走る一真のポケットの中で、静かに、けれど確実に爆発のカウントダウンを始めた。
「日曜日は、咲希が主役だもんね! 楽しみだなぁ、凛りん!」
彼女は鼻歌を歌いながら、軽やかな足取りで家へと向かう。
その背中には、嵐を呼ぶ天使の羽が、いたずらっぽく揺れているようだった。




