59話 エリィ 想い
「竜の谷に賊が向かっている。」
この事実に、私は災厄の種が追い詰められ『最後の切り札』を切ったと感じ、背筋に寒気を覚えた。
この世で誰にも従えることの出来ない強き獣『竜』。
いくら災厄の種と言えど竜に手を出せば、まるで蝋燭の火に息を吹きかけるが如く簡単にその命を散らしてしまうだろう。
……それでも、あえて竜の生息圏に向かうという事は何かしらの『策』が用意されている可能性が高い。
もし竜を用いた攻撃をされるとしたら……その被害は………
考えただけで、体の芯が凍りつく。
彼に最悪の事態の可能性を伝えようと、勇気を出して手を伸ばし彼に触れ、そして口を開く。
彼は私の体に起きる震えを見ることもなく、何事もないかのように
「なんとかする」
と、気だるげに言った。
……彼がそう言うのであれば、大丈夫。
私の中の氷がすぐに溶け始める。
そして彼が、この旅で簡易移動機としている籠に彼に犬耳ちゃんと呼ばれているミレーヌさん。猫耳と呼ばれているメリザンドさんと共に乗り込み、高速移動で竜の谷に向かったと賊を追い始めた。
籠は信じられないスピードで飛行を続け、あっという間に竜の谷が目前まで迫る。
その時、彼が急ブレーキをかけ地上に降り、キョロキョロと辺りを見回し、
「この辺、違和感がヤバイ。なんかありそう」
と、緊張感のない声を出した。
彼は昔と比べて、かなり肩の力を抜いているように感じる。
……ただ、これが彼の素なのだと最近は感じている。
……それと共に私達との旅では、彼はいつも気を張り続けていた、気を使い続けていたという事も感じ、その度に申し訳なさを感じずにはいられない。
彼の言葉に対してミレーヌさんが直ぐに反応し
「ご主人様! 敵のニオイです!
後、魔力が封じられ微かに毒のニオイもしますっ!」
と愛用の魔法弓を確認しながら叫んだ。
「あ~……罠か~。」
と、こんな危険な状況でも、いつも通り軽い彼。
ミレーヌさんの声が聞こえたのか、災厄の種とその取り巻きと思われる賊が私の剣やメリザンドさんの爪が届かない距離から弓矢を構えている。
総勢20名程度だろうか。
毒のニオイという事は、向けられているのは毒矢なのかもしれない。
私は勇気を振り絞り
「貴方達の目的はなんですか!」
と声をあげる。
すると、災厄の種と思わしき青年が一歩前に進み出た。
「我らの邪魔者を可能であれば殺害……と思っていたが、拍子抜けだ。
広域魔法封じの罠を展開させてもらったが……魔法が使えなければ仕留めるのも簡単そうだな。」
小さく笑いながらそう言い、
ゆっくりと手をかざし、
振り下ろした。
それを合図に私達めがけて一斉に矢が放たれる。
***
私は、自分が彼にとって邪魔者だろうという事は理解している。
……ただ、私は私の中に芽生えているこの気持ちをもう一度、彼にきちんと伝えたかった。
彼に赤毛ちゃんと呼ばれている、あの娘……
彼女は私と対峙してすぐに
「これ以上彼を縛りつけようとするな」
「嘘で傷つけるなっ!」
と、怒りに染まった顔で言葉をぶつけてきた。
私は彼の前で蔑まれたことに慌てた。
私は自分をしっかり見つめなおし『彼を好き』と言えるようきちんと心を決め、会いにきたつもりだったから。
まったく予想をしていなかった事に慌てながら、その事を伝えた。
途端。
彼女の表情から色が消え、怒りだけを残し、
静かに
「最低の嘘つき。」
と、断じられた。
私は嘘をついているつもりは毛頭なかった。
彼にもそれを弁明したが、それが届く事はなかった。
「彼が貴女の所に戻ったら……何をさせるつもり?」
そう静かに聞いてきた。
正直……何をさせるなんて事はまったく考えていなかった。
最初は私の国の為だった。
次は世界の為だった。
でも今は私。
私の為に戻ってきてほしい。
それだけを考えていた。
だから、彼に『何かをさせる』なんて事は考えてなかった。
だから、どう答えていいのか、答えに詰まった。
……そんな私に、彼は呆れたように
「どうせまた利用したいだけなんだろ」
違う ――
「俺が解決してきてやる」
違うの ――
「これで終わりだ。」
イヤだ ――
彼女は彼の言葉が終わるのを待ってから、まるで汚い物から彼を守るように抱きつき、そして連れ去っていった。
呆然と立ち尽くし、今、何が起きたのか。
それを理解しようとする。
― 傍に居て欲しい。 ―
『何をさせる』ではなく、
『何をしてほしいか』と聞いてくれたなら……
すぐに答える事ができたのに。
自分の目に涙が溜まるのが分かる。
その瞬間、
居なくなったと思った彼はまた現れた。
私は、まだ伝える事ができる。
彼に気持ちを伝える事ができる。
『傍に居て欲しい。』と、
言おうとした…………
………けれども
彼は
悲しそうな顔で
「さようなら」
そう言い残し
消えた。
……私は…………何も……伝えられなかった。
悔しかった。
悲しかった。
人目もはばからず、その場に崩れ落ち、溢れる涙を止められなかった。
どうやって戻ったかすら覚えていない部屋で、ただ時間が過ぎていった。
どこで間違えたのだろう。
どこがいけなかったのだろう。
もう一度自分を見つめなおした時に、何度も彼が赤毛の娘に抱きつかれ消える瞬間を思い出してしまい、いつしか明確な嫉妬を覚えている事がわかった。
……そして……その嫉妬の理由も。
私は騎士達に彼の動向を探らせながら情報を集め、もし彼を手伝う機会が来た時の為に足手まといにならぬよう、剣に打ち込み技を磨いた。
そうしてしばらくの時が過ぎ、私の様子を伺いに来たアルクスとクリスティから『彼の仲間に戻った』と聞かされた。
そこで、パーティで私だけが外され、
本当に彼から決別を申し出られたという事を改めて思い知らされた。
彼の発した 「さようなら」
あれが真に決別の言葉だと思いたくない!
話をしたい!
聞いてほしい!
私は泣きながらアルクスとクリスティに懇願し、半ば無理矢理の形でまた勇者の傍に居る事ができるよう取り計らってもらった。
もちろん彼が私を邪魔と思っていることも理解しているし、彼の優しさを利用して今の立ち居地に居ることも理解している。
仲間に加えてもらう際に、また赤毛の娘とも対峙した。
彼女に時間を取ってもらい、もう二度と後悔をしない為に強い心を持って話をする事ができた。
私は今度こそ彼女に真意を伝える事が出来たと感じた。
……すると彼女は、少し考えた後。
「貴女の気持ちが本当であるならば、貴女がこれまでしてきた事を理解するいい機会になる。
そしてそれは私達の為にも……」
と、逆に彼の傍に居ることの後押しをしてくれた。
私は必死だった。
彼に伝えたかった。
私は本当に好きになったのだという事を。
だから傍に居られる事を喜んだ。
一緒に行動するようになり、彼と触れ合える機会は増えた。
でも、彼は私が話をしようとしても、のらりくらりと煙に撒き、その機会を与えてくれる事はなかった。
私は、彼が私に心を許し、話を聞いてくれるようになるまでは、ただ傍に控えよう。
そして彼を支えよう。
そうすれば彼はいつか話を聞いてくれると、今は考えている。
だから私は支える。
彼の傍で……彼をきちんと見る。
彼を。
どんな状況であっても。
支えるっ!
***
気がつくと、私は彼を矢から庇うような姿勢をとっていた。
ミレーヌさん。メリザンドさんも同じだった。
3人で庇えば、魔法が使えない彼を守れる。
彼が無事なら……生きていてくれるなら……それでもいいか。
そう考えながら、放たれた矢の動きを注視する。
私の後ろに通すことが無いように。
見失わないように、しっかりと。
…………
……矢を見ていたはずなのに……後ろに居たはずの彼が目の前にいた。
「は~い。
みんな気持ちは嬉しいけどさ。
そういうのやめよーねー。
エリィ。剣借りるよ」
私が頷くのを見ることもなく彼は私の剣を手にとり、放たれた矢を瞬く間に全て切り落とす。
その様子に慌てて次の矢を構えようとする賊。
彼はその構えようとした者の前に瞬時に移動し……そして吠えた。
「俺の可愛い娘達がぁっ!
怪我でもしたらどうすんだコラァーーっ!!!」
怒声と共に一人の賊が真っ二つに切られる。
「彼女達の感じた……ウン十倍の恐怖を味あわせてるからなぁっ!!」
そう声が聞こえたかと思うと、賊が次々に切り飛ばされていく。
私は、目前に迫っていた死の恐怖が一瞬だけ沸き起こり、ゾクリと体が震えた。だけどそれは直ぐに安心と喜びの気持ちに塗り替えられていく。
彼が守ってくれている。
私達の為に怒りを露わにし、次々に賊を屠ってゆく。
その様子に、ミレーヌさんとメリザンドさんは、二人揃って恍惚とした表情で、
「あぁ……ご主人さまぁ…」
と声を漏らしている。
多分、私の顔も崩れてしまっているのかもしれない。
……私達は忘れていた。
彼は武器も持たず、雷撃の魔法を好んで使っているから、つい『魔法使い』と思ってしまいがちだけれど、
攻撃も守りも
敵うものは無い存在、
最強の勇者だったと。
あっという間に災厄の種以外を切り伏せる彼。
だが、災厄の種は、この状況で静かに笑い出した。
「……私はただの陽動。
本懐は仲間が遂げてくれるっ!!」
そう叫び、彼に切りかかり、切り伏せられた。
…………
彼は災厄の種の言葉を思案しながら私に剣を返し、いつものように私達を気遣いつつ何かを考えている。
彼の考える顔を見つめる。
…………そして分かった。
彼は、赤毛のあの娘を心配している。
災厄の種の言葉から、あの娘に対して何か良くない事が起きるんじゃないかと心配しているんだと。
……この時、私は初めて理解した。
なぜ、私が昔アルクスを好きだった事を彼が知っていたのか。
そして、赤毛の娘が私を後押しした時に放った言葉の意味が。
……好きな人だからこそ。
誰が好きか……わかっちゃうのね。
彼は一つの結論に達したのか、私達に
「悪いが町に向かってくれ。後で迎えに来る」
と、言い残し、一人魔力が封じられる場所を抜ける為に、全速力で走り始めた。
私は彼を追いかけ、何故か流れる涙をぬぐう事なく、彼に手を伸ばす。
……ただ、
その手は届かなかった。




