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“うわっ!何だろう?笑顔のはずなのにものすごく黒い何かを感じる……”
アリスの本能が逆らってはいけない何かを感知し、ササッと書類にサインをした。
「うん、いい子だね。この書類をお願いします。
でもね、アリス……今後は何にでも簡単にサインしてはいけないからね?」
マットは婚姻届を従者に手渡し、心配そうにアリスに言った。
「大丈夫です!叔父様の言うことに間違いはありませんので!
それで……何が起こるのですか……?」
「うん……まだ侯爵がどう動くかは分からないんだけどね……昨日我々と一緒に侯爵も城へ呼ばれたんだ。
片翼に出会ってから侯爵は登城していなかった為、陛下にお小言を貰ったり色々書類を書かされたりとして、結局城に一泊したんだ。
その間に、片翼が逃げた。今頃その事実を知った侯爵がどうしているのかは分からない」
「え?待ってください!片翼なんですよね?なぜ逃げたんですか?」
「それは私の方から……」
テレサが説明してくれるようだ。
「実は、片翼様は旦那様が片翼だと認識しておりません」
「ええっ!そんなことがあるの!?聞いたこと無いわ!」
自分の事は棚に上げて、アリスは思わず叫んでしまった。
「普通ではあり得ません。ですが、片翼様は子が出来ぬよう施された魔術の失敗で、解除できなくなってしまったように、もしかしたら何かしらの術の失敗でそうなっていたのかもしれません。
実は奥様が亡くなられてから、旦那様は奥様のものを全て処分するようにと命じられました。その際、私達以外の使用人は辞めてしまいました。
その後、新しく雇われた使用人達は、旦那様の異常な程の片翼様への執着に、どんどん片翼様への同情が膨れ上がったようです。
旦那様は異常でした。始めこそお金持ちに買われて贅沢できると喜んでいた片翼様でしたが、旦那様は必要無いとドレスも宝石も、普段着ですらお与えにならず、寝室から出ることも固く禁じておられました。
そして片翼様には、質のいいガウンだけしか身に付けることを許されていなかったのです。
旦那様は毎晩片翼様を抱き潰し、片翼様が寝ている間に執務をこなす日々を送っておいででした。
旦那様の誤算は、片翼様はまだ若く体力の回復が思った以上に早かったと言うことでしょうか……旦那様が執務室へ行った後すぐに起き出し、初めはメイド達から、徐々に護衛騎士や他の使用人達全ての同情を買うよう演技をしておりました。
特に年若い護衛騎士は親身に慰め、すぐに秘密の恋仲になったようです。
使用人達は年若い恋人達に同情して、逃がそうと計画を立てるようになりました。
ですが、旦那様が留守にする機会などありません。ですので、アリス様が15になれば私達が国外へ逃がすので、そのゴタゴタに乗じて逃げ出せるように、じっくり計画を立てるよう言い聞かせました。
今回たまたま偶然が重なり、計画通り片翼様は護衛騎士と数人の使用人仲間達と共に逃げ出したようです。
残りの者達も、責任を押し付けられてはたまりませんので、それぞれマット様が用意してくださった推薦状を持って別の働き先へと行きました。
私達夫婦は、アリス様の番が見つかった時点で退職届を旦那様に出して受理されておりますので、こちらに被害が来ることはないでしょう」
“え?どうしよう……色々と理解が追い付かない……父親の片翼が別の男と逃げた?うん、意味が分からない。
てかガウン以外身に付けさせずに寝室から出さないって……監禁?軽く言っても監禁だよね?
しかも片翼と認識していなかったなら、毎晩自分を監禁した相手に抱き潰されてたってこと?うっわ、可哀想!逃げてー!地の果てまで逃げてー!”
父親の所業に、アリスは父の片翼に心から同情した。
「片翼様の事はどうでもいいのですが……」
“どうでもいいんか~い!テレサちょっとは同情してあげて!”
「アリス様、申し訳ありません……奥様の物は旦那様が一覧表を確認しながら処分いたしましたので、すり替えることが出来たこの普段着ドレスの1着しか残せませんでした……
あと、こちらはお城の方で急遽用意していただいたドレスです。既製品ですのでサイズ直しをしなければいけませんが、私達が選ばせていただきましたので、とてもお似合いになるのではないかと思います」
テレサはそう言って淡い黄色の普段着用のドレスを手に掲げ、パステルカラーのドレスを数着メイドさん達に持って貰っていた。
その黄色のドレスはどこか懐かしく感じた。おそらく母がよく着ていたのだろう。
「私からはこれを……姉さんの髪飾りと、姉さんと赤ん坊の遺骨だよ。カイル殿下がこちらにお墓を作ってくれるそうだ」
「えっ?髪飾りは確か母と一緒に棺の中に……」
「ああ、そうだね。これはアリスが生まれた記念に、私がプレゼントしたんだ。侯爵家の墓になんか姉を眠らせたくなくてね……葬儀の晩にセバスと一緒に墓を掘り起こしたんだ。
いつか落ち着く先が見つかったら、そこに墓を作ろうと思ってね……くっくっく、だからあの時侯爵が必死にぶつぶつ言っていた墓の中は、空っぽだったんだ!」
“そ、そうだったんだ……成仏してるから意味ないでしょうとか思ってたけど、それ以前の問題だったのか……
でも、確かにお墓が心配だったからちょっと安心した”
「あれ?でもこっちにお墓を作っていいんですか?叔父様やセバス達はお墓参り出来なくなりませんか?」
「ん?言ってなかったか?我々もこの国に住むんだよ?セバスとテレサはアリスの身の回りの世話をするために、カイル殿下が雇ってくれたんだよ。
私の研究はどこででも出来るからね、むしろ新しい切り口が見つかりそうで楽しみだよ!」
「セバスとテレサが私のお世話を……?……カイル殿下、何から何までありがとうございます」
アリスはカイルに向き直り、深々と頭を下げた。




