第94話 食べられちゃう
「………………」
私はついさっきあった屋上での出来事が、本当に現実だったのだろうかと思いながら、そっと唇を指で撫でた。
プリシラに掴まれた腕、近づいてくる顔、そして唇への温かい感触、そしてプリシラの恥じらう顔……
あれらがすべて私に対して行われた……? 本当に? 本当にそんな事が私に起こっていいの? だってあれ……どう考えてもキス……よね?
プリシラにフェンスに追い詰められて、そのままキスをされた……しかもその前のプリシラったら、私が……あれ? 名前なんて言ったっけ、忘れたけど、何とかとか言う殿方から告白を受けていたことに、まるで焼きもちを焼いているみたいだった。
いや、アレは絶対に焼きもちだ。私がプリシラのことが大好きでそのひいき目を抜きにしても、アレは焼きもちだった。
これはつまり、プリシラが、私に焼きもちを焼いて、しかもその結果キスをしてきたということで――
「~~~~~~~~~~~っ!!!」
私はさっきの出来事を頭の中で整理して、改めて悶えながら枕に顔をこすりつけると――
「ど、どうしたんですか? お嬢様?」
上から声が振って来た。
「な、何でもないわっ、ソラリスっ……!」
降って来た声の主は、ソラリス。
――そう、今私が枕にしているのは、ソラリスのお膝なのだ。
「そうですか……? でも、びっくりしましたよ。さっきは何か呆然とした感じで部屋に戻ってこられましたからね……」
プリシラからキスをされると言うあり得ない事態に、私は屋上でしばらくの間呆然としていた。
それから砕けそうになる腰を奮い立たせ、どうにかこうにか部屋まで戻ってきていたのだ。そこでそんな私を見て心配したソラリスに、こうして膝枕をされているというわけである。
愛する女の子から初めてキスをされた直後に、こうしてもう1人の好き――だと気づいた女の子から膝枕をされているなんて、我ながら罪深いと思う。
でも、やっぱりソラリスのお膝、気持ちいい……
「でも、本当に何があったんですか? あんなお嬢様初めて見ましたよ」
「そう……かしら」
「ええ、だって顔は真っ赤で足はガクガク、おまけに何を聞いても「あー」とか「うー」とかしか返ってこない……なんかこう、茹で上げられたグールみたいでしたよ?」
それはあんまりな例えじゃない?
「――で、何があったんですか?」
ソラリスが私の頭を優しく撫でながら、再度同じ質問をしてくる。
……喋りたいっ……遂にプリシラからキスをして貰ったんだって、報告したいっ……!! そう、以前までなら。
以前までの私なら、ソラリスに喜々として報告していただろう。でも、私は気付いてしまった。この子のことも、好きだという事に。
しかもこの子は……私の妻にはしてあげることが出来ない。身分が違いすぎるこの子は、どんなに頑張っても妾どまり。
そのことが、あんなにも素晴らしいことがあったと言うのに、私の心に影を差していた。
「お嬢様……?」
「……ねぇ、ソラリス」
「はい」
「私ね――」
それでも、言わないわけにもいかない。だってソラリスにはこれまでもずっと私に協力してきてくれたのだから。
「――――キス、されちゃった」
「………………え」
長い沈黙の後、ソラリスから出た言葉は短いものだった。
「誰から……って、聞くまでもありませんよね……」
「うん……プリシラから……」
私の頭に置かれた手が、小刻みに震えている。そして、
「……お、おめでとうございますっ……お嬢様っ……」
――振り絞るような声で、ソラリスは私に祝福をくれた。
その瞬間、確信した。
この子は、私のことを好きでいてくれたんだと。
いつからかは分からない。だって私はプリシラから『鈍感娘』って言われてしまうくらいなのだから。私はプリシラのことしか見えていなくて、ソラリスの気持ちに気付いていなかった……
しかも、何十年もだ。
前世でプリシラを失って、失意の人生を送る間、この子はずっと私の側にいてくれた。私がプリシラだけを想いながら嘆きの底にいるときも、この子はずっと――
私は自分の愚かさにまたしても気付かされた。プリシラへの想いに気付いていなかったこと、そして――こんなにも私のことを想ってくれている子に気付かなかったこと。
私は、本当に大馬鹿者だ――
「ねぇ、ソラリス……」
「なんですか……お嬢様っ……」
涙をこらえているような、そんな悲痛な声が降って来る。そんなソラリスに私は、
「………………妾でも、いい?」
「……………………え?」
「だから、その……妾、でもいい?」
「え、あ、あの……お嬢様……?」
ソラリスの声が震えている。
「私、本当にバカだったの……自分の気持ちにも、あなたの気持ちにも気づかなくて……」
「おじょ――」
「私、プリシラのことが好き――。でも、あなたのことも好き――なの。ようやく気付けたの」
「――――!!!!」
ソラリスの体が、びくりと跳ねた。
「でも、私は……あなたをお嫁さんにしてあげられない。でも、それでもっ……妾でもいいなら、私は、あなたと――」
ぽすっ
――私の頭がベッドに落ちた。
へ? 何が、どうしたの? ソラリス、もしかして怒っちゃった――
「お嬢様っ………………!!!!!!!」
「なっ!?」
ベッドに横たわった私に、ソラリスが覆いかぶさって来た……!!
え!? えええ!? えええええ!?!?
「お嬢様っ……!! 私、私っ……!!!!」
「ソラリ――」
「ずっと、ずっとお慕いしておりました――ずっとですっ……!!」
ソラリスは、泣きじゃくっている。私の頬に、熱いものがポタポタと落ちてくる。
「物心ついたときから、ずっと、お嬢様だけを想って生きてきました……!! でも、私の立場では自分から想いを伝えるなんて許されなくて……!!」
そんなに前から!? そ、それは何と言うか……心の底から申し訳ないっ……
「愛していますっ……お嬢様っ……」
「ソラリス……」
私は、涙でぐしゃぐしゃになっているソラリスの目じりを拭ってやるけど、後から後から水滴は零れて私の顔に降り注ぐ。
「その……こんなに鈍い私だけど……私と一緒に生きてくれる?」
私の言葉に、ソラリスは目を見開いてさらに大粒の涙をこぼし――
「――勿論ですともっ! 私の身も心も、全てお嬢様のものなんですからっ!」
「ソラリ――んむっ!?」
――私の言葉は、ソラリスの唇によって遮られた。
何年振りか分からないほど久しぶりのソラリスとのキス、あの頃はお遊びで唇と唇を合わせるだけだったけど――今のソラリスは、十何年分の想いをぶつけるように、私の唇をハムハムしている……!!
「むぐ~~!? むぐぅ~~!?」
おもわずばたつかせた手は、即座に伸びて来たソラリスによって掴まれ、ベッドに縫い留められた。
あれ? これさっきのプリシラにされたのと同じじゃ……なんてことを思いながら、私はソラリスの想いをただただ受け止め続けた。
「ぷはぁっ……」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
実際には1分にも満たなかったとも思うけど、私には10分にも1時間にも感じられた時間が終わり――ソラリスは私の口を解放した。
私とソラリスの口の間で引かれた糸を、ソラリスがぐいと手の甲でふき取る。
「……お嬢様っ、私っ……」
あ……私、今ここでこの子に食べられちゃうんだ……
私を見下ろしてくるソラリスの熱っぽい瞳を見て、私は確信した。
その確信通り、ソラリスの指はゆっくりと私の制服のボタンに伸びてきて、私はギュッと目をつむり――
コンコン
「――クリス……いる?」
ドアを叩く音と、私を呼ぶ声がした。
これは……プリシラ……!?




