第89話 実はお腹ペコペコだったの
「ふうっ……」
プリシラの部屋の前で私は1つ深呼吸をした。手にもったお盆には昨夜から煮込んでいた自慢のシチューが入ったお鍋とパンが乗っている。
今日のお昼もプリシラはあまり食べなかったからお腹が空いてるんじゃないかと思ったから、持ってきてあげたのだ。
そう言えばプリシラの部屋に来るのこれで2度目だけど、部屋に入れてくれるかしら……なんて不安をちょっぴり感じながら扉をノックした。
「――はい。どなた?」
プリシラの声が返ってきた……声だけでも可愛い!
「えっと、私、クリスだけど……」
「く、クリス……!?」
ドタドタと言う音がして、扉が勢いよくガチャリと開いて、プリシラが顔をのぞかせた。
「ど、どうしたの……?」
「いやその……入っても、いい?」
恐る恐る聞いた私に、プリシラはすんなりと扉を開けてくれた。
「ええ、いいわよ。ほら……入って?」
「ありがとっ……!」
プリシラの部屋にこうも簡単に入れてもらえるなんてなんて……!! もう幸せっ……!!
入るのは久しぶりで2回目だけど、やっぱりいい匂いがする。それにプリシラ部屋着だ!! 制服もいいし、デートの時のおめかしした格好も良いけどこういうラフな格好もいいなぁ……
「ちょ、あんまり見ないでよっ……恥ずかしいわっ……」
「あっ、ご、ごめんっ」
じっと見過ぎていたせいか私の視線に気付いたプリシラが、パッと腕で身を抱いた。
「その、部屋着も可愛いなって」
「ん、んもうっ……バカッ……」
「ね、ね、もうちょっと見せて? ね?」
「し、仕方ないわねっ……ほらっ……」
プリシラはそう言うと、手をほどいてその可愛い部屋着姿を改めて披露してくれた。
「ううんっ……可愛いっ……」
「だ、だから可愛いとか……もうっ、やめてよねっ……そ、それより、何の用なの? なんかいい匂いがするんだけど……」
「え、あ、そうだった。はい、これっ」
私はテーブルにお盆を置いて、お鍋の蓋を開けると――部屋いっぱいにたまらないシチューの香りが広がった。
「……ごくっ」
あ、プリシラ喉を鳴らした。やっぱりお腹空いてるのね。
「ど、どうして……それを持ってきたの……?」
「プリシラ、お昼もあんまり食べてなかったしお腹空いてるかなって」
「そ、そんなこと……ないもんっ……」
もんって、可愛すぎか。
それに嘘をついてるのはバレバレなのよねぇ。だってプリシラってばシチューから目が離せていないし。
「ねぇプリシラ? どうしてご飯あんまり食べてくれなくなっちゃったの?」
「そ、それ聞く……!?」
プリシラがたじろいだように、後ずさりした。
「え? だって不思議なんだもの」
「だ、だって……あなたの前でいっぱい食べるのが恥ずかしくなっちゃったんだもの……」
「え? よく聞こえないんだけど」
後半がごにょごにょ言っていてよく聞こえなかった。
「あ、あなたのせいなのよっ!!」
「なんで!?」
「なんでもよっ!!」
そんな理不尽な!! せめて理由を言ってよ!!
「ねえプリシラ、何か不満な点があったら言って頂戴? 味付け? それともメニューなの? どうしたら前みたいにいっぱい食べてくれるの?」
「な、なんであなた、私にいっぱい食べさせたいのよっ……」
「え? だってそれは」
そんなの決まりきっている。何故なら私は、
「プリシラが幸せそうに一杯ご飯食べてるとこ見るのが好きだから」
「っ……!?」
私は目を見開いて驚いているっぽいプリシラに近づいて、その手をそっと握った。
「ふにゃ……!?」
「えへへ、隙アリっ。この前のデートの時、握れなかったからねっ」
「あ、あなたってば、ホントにっ……」
「ねぇプリシラ?」
「な、なに?」
すぐ近くにあるプリシラの綺麗な目をじっと見つめる。
「私ね、私の作ってくれたご飯をプリシラが幸せそうに食べてくれるところを見るのが、何よりも幸せなのよ」
「そ、そうなの……?」
「ええ、そうよ」
何十年も、プリシラに食べてもらいたいと思いながら、それでも叶わなかった願いが今叶っているんだから、幸せでないわけがない。
「だからね? 私、プリシラがお代わりしてくれなくなっちゃって、すっごい寂しかったのよ?」
「うぅっ……でもっ……」
「プリシラ?」
プリシラは、顔を真っ赤にしてプルプルと震えている。
「その……そうは言うけど……こ、こんなに食べる女の子って、あなた的にどうなのかなって思っちゃったのよっ……」
え?
「しょうがないじゃないっ……あなたの前でいっぱい食べるの、は、恥ずかしくなっちゃったんだもの……」
「今更?」
「そうよっ! 今更よっ!! 悪い!?」
プリシラが、私に可愛く怒ったお顔を近づけて大声を上げた。
「わ、悪くないわっ!」
全然悪くない。むしろ、今まで私の前では気にしてなかったってことがちょっとショック。でもまぁ恥ずかしいって思ってくれただけでも一歩前進なのかな? たぶん。
「で、でも……確かに恥ずかしいけど、その……」
私に手を握られたままのプリシラが、モジモジとしている。
「あなたが、その……私がいっぱい食べてるとこ見たいって言うんなら、まぁ――」
「見たいわっ!」
「そ、即答なのね」
それはもう、こんなの即答以外ありえないし。
「はぁ……悩んでた私がバカみたいね」
「プリシラ?」
「分かったわ、私、これまで通りいっぱい食べるわ。だってその方があなたにとっていいことなんでしょ?」
「勿論っ」
私とプリシラは、顔を見合わせて笑い合った。
「それじゃあ、さっそくそのたまらなくいい匂いがするシチューを頂こうかしら。実はお腹ペコペコだったの」
「えっと、それで、その……」
「はいはい、『あーん』もしたいのね?」
「うんっ!」
しょうがないわねぇって感じで笑うプリシラに、私はまたしても即答すると、
「分かったわ。じゃあ――食べさせてちょうだい、クリスっ」
「ええ、もちろん任せて――」
「あと――」
プリシラは柔らかく微笑みながら――私にそっと抱きついてきた……!!
「ぷ、ぷぷぷぷぷぷ、プリシラ……!?」
「――私、あなたにここまで大事にして貰って、嬉しいわっ」
「ど、どどどど、どういたしまして……!?」
あまりの事態に混乱している私の口からは、変な言葉しか出てこない。それくらい、びっくりしていた。
「さて、と――」
そんな大混乱している私をよそに、プリシラはひょいと私から離れると、椅子にストンと座ってしまった。
「ほらほら、クリス、『あーんっ』」
「え、あ、う、うんっ……」
『あーん』とお口を開けて待っているプリシラに、私はお鍋からお皿にシチューをよそって、それをスプーンで運んであげると――プリシラはかつてないほど幸せそうに、スプーンを頬張った。
『あーん』をしている間も手を繋がせてくれたし、これで万事元通り……なんだけど、さっきのハグは一体なんだったんだろう? プリシラの気まぐれ? でも、ああっ……最高だったっ……




