第87話 あなたを愛してるものっ
「どうも、失礼します」
扉をソラリスに開けられて入ってきたのが、プリシラに結婚を申し込んだという伯爵令息だ。見た感じ普通と言うか、特に取り立てて言うところのない感じがする。
「この度はどうも……」
「そちらにおかけください」
少し落ち着かない感じのする伯爵令息に座るように促し、私はプリシラの方をちらりと見る。
「お呼び立てして申し訳ありません。用件はお伝えした通り――このプリシラとの縁談に異議があってのことです」
「はぁ……」
私は努めて冷静に、相手に告げる。本当は私のプリシラを持っていこうとした怒りではらわたが煮えくり返っていたけれど、ここは我慢だ。だって相手もれっきとした伯爵家の人間、私の家が公爵とは言え失礼な態度を取るのもよくないし。
「異議、と申されましても……いかような異議でしょう」
「単刀直入に申しますと、この縁談、破棄して頂きたいのです」
私がきっぱりと言い切ると、相手は少々面食らったような表情になった。こうもはっきりと言われるとは思っていなかったのかもしれない。
「破棄、とは穏やかじゃありませんね」
「そうは言いましても、破棄して頂く以外にありませんから」
「しかしながら、いかにウィンブリア公爵家のご令嬢はいえ、無関係なお方が他家の縁談に口を挟むのもいかがなものかと思いますが?」
相手にもメンツというものがあるし、しかも伯爵家となればそれは相当なものだ。以下に公爵家からとはいえ無関係な相手から『縁談を破棄しろ』と言われて即座に『ハイ、分かりました』、なんて言ったらメンツは丸つぶれだ。
「ええ、それは勿論わかっています」
「でしたら――」
「ですが、それは無関係だったら、の話です」
「……と、言いますと?」
私は大きく息を吸って吐き、隣に座っているプリシラの手をぎゅっと握った。
「私とこのプリシラは、無関係では無いのです」
「それはお友達だから、という事ですか? ですがそれくらいでは関係があるとはとてもとても――」
「いえ、友達としてではありません」
「――は?」
相手がきょとんとしたのを見計らって、私は告げる。
「なぜならば、私はこのプリシラと――将来を誓い合った仲だからです」
「な……!?」
「っ……!!」
私の言葉に目の前の相手は目を丸くし、隣のプリシラの身はびくんと跳ねた。
「え、ええ……そ、それはつまり……?」
「言葉通りの意味です。私はこの子のことを心の底から愛しているんです」
「ふぇ!?」
何かプリシラが変な声を出した。おいこら、バレたらどうする気だ。
「で、ですが、そんな話、聞いたことも……!」
「あら? この学園では有名な噂なんですけど。ね、プリシラ?」
「え、ええ……実は、そう……なんですっ……」
私がプリシラの肩に手を回して引き寄せると、プリシラはすんなりと私に身を寄せて、そっと手を私の体に這わせてきた。
「私達、その……今年からお付き合いをさせていただいていまして……」
「ですが、縁談を進めているときにはそんなこと一言も……!!」
「それはそうですよ、だって女の子同士でお付き合いしているというのも、まだまだ世間では珍しい方に入りますからね。公にするのは正式に結婚が決まってから、と思っていたんです」
「し、しかし……」
相手は狼狽した様子で、次の言葉を探しているようだ。
「……失礼ながら、あなた様とプリシラ嬢では、その……」
「爵位が違いすぎる、と?」
「私の口からは言いかねます……」
言っているようなものなんだけど。でも確かに言う通り、貴族の原理からしたら公爵家次期当主の私が、男爵家の次女であるプリシラをお嫁に、と言うのは相当な爵位の開きがあるからだいぶ厳しい話だ。だが、しかし、
「でも、そんなのは関係ないんです」
「えっ」
私の言葉に、むしろプリシラの方が驚いたようだった。
「私は、この子を愛していると言いましたよね? それが全てなんです。私はこの子を幸せにするためにこの世に生まれてきたと思っています」
「ふにゃ!?」
「他の誰でもない、私が、この子を幸せにしてあげたいんです。だから、この子のことは絶対に、誰にも渡しません」
「はぅぅっ……」
「女同士だからとか、身分がどうとか、関係ありません。私は必ずお父様を説き伏せて、この子を私の妻にします」
「く、クリスっ……」
私に肩を抱かれているプリシラが、私のことをじっと見つめて来た。その目は潤んでいて、頬もなんか物凄く赤い。
「ごめんね、プリシラ、人前でこんなこと喋って……でもこれ、私の偽らざる本心だから」
「っ……!?」
我ながら演技過剰かなと思わなくもないけれど、喋っているセリフの内容自体はまごう事なき私の本心だ。
でも、演技なら、演技という事にすれば――私の本心をプリシラに伝えることもできる。普段ならとてもできないけど、今なら――
「ねぇプリシラ?」
「な、何かしら!?」
「私、あなたのことが好き、大好き」
「……!!!!」
言えた、やっと言えた。
婚約者のフリとしてだけど、ようやっと、数十年言いたくて言いたくてしょうがなかったことが、ようやっと。
「プリシラは?」
「わ、私!?」
「プリシラは、私のこと、好き?」
この流れで聞くのもズルいかなとは思うけど、これくらいは役得ってものよね。
「…………………………好きっ」
しばらくの沈黙ののち、プリシラはその言葉を口にした。
「プリシ――」
「好きっ、私も、好きっ――」
プリシラも、演技に乗ってきてくれた……!!
でも演技でもプリシラから好きって言ってもらえるなんて……!! 生きてて今が1番幸せっ……!!
「じゃあ、私のお嫁さんになってくれる?」
「な、なるわっ……でも、私、その人の言う通り身分の差が……」
「そんなの、どうとでもしてあげるわっ。だって私――あなたとどうしても結婚したいんだからっ……!! だって私、あなたを愛してるものっ!」
「は、はうっ……」
何かプリシラがそれっきり、うつむいてしまった。どうやら演技はここまでらしい。
「………………えっと」
「あ、すみません。お待たせしちゃって」
「いえいえ……」
伯爵令息が、気まずそうに私達のことを見ているなか、私はプリシラをぎゅっと抱きしめた。
「ひゃんっ……!?」
「つまり、こう言う事ですので……この子は私が頂きます。他の誰にも渡しません。申し訳ありませんが」
「ふ、ふにゃぁ……っ」
何か猫みたいな声出してるんだけど、プリシラ。どったの?
「そ、そう言う事ですか……でしたら仕方ありませんね……」
「ええ、すみませんが、よろしくお願いします」
伯爵令息は困惑しながら、部屋をそそくさと出ていき、後にはプリシラを抱きしめている私と、抱かれているプリシラだけが残された。
「……ふぅっ」
これで、プリシラに縁談を持ってこようなんて人はいなくなるだろう。それにしても、あれだけプリシラに好きって言えて本当に嬉しかった。出来れば演技って事じゃなくて言いたかったけど。
でも、まだ早いわよね。
「………………っ」
「あ、ご、ごめんっ」
私がむぎゅ~~っと力いっぱい抱きしめていたせいか苦しかったのか、プリシラがポコポコと叩いてきた。
「ぷはっ……」
解放されたプリシラは大きく息を吸い込んで、それから――
「クリスっ……」
――そっと、私の背中に腕を回してきた……!?
「な……!?」
「本当にありがとうっ、あなたのおかげよっ」
「ど、どういたしまして……!! ははははは」
さっきは興奮してたから散々愛の言葉を口にできたけど、いざ思い返してみると本当に恥ずかしい。
それにしても今こうして抱きついてくれているのも、縁談がぶち壊せたことへのプリシラなりの感謝の気持ちなんだろうか? でもこんなに抱きつかれて、そんな潤んだ瞳で見つめられると、その……ドキドキしてしまう。
「……ねぇ、クリス」
「な、なぁに?」
私は高鳴る胸の鼓動を押さえて、言葉を絞り出す。
「……お願いがあるんだけど、聞いてもらえるかしら?」
「お願い? いいわよ?」
何だろう? え、まさか他にも縁談が来ているからそれもぶち壊すのに協力して欲しいとかじゃ――
「……その……えっと……」
「???」
プリシラは何か言いにくそうに、モジモジしている。それから、きゅっと口を結んで、私のことをじっと見つめ――
「………………わ、私のために、これからもずっとご飯を作って欲しいの……!」
え?
「――――なぁんだ、そんなのお安い御用よ」
「あっ……そ、それじゃあ……」
「そんなこと言われなくても、プリシラのご飯はこれからも私に任せてっ!」
と言うか毎日ご飯を作る約束でしょ? 何をいまさら。
「…………ん?」
「それにしても、話が終わったら早速ご飯の話なんて、プリシラったら本当に食いしん坊なのね」
「え、いや、ええええ……?」
「じゃあ、早速ご飯にしようか? 何か食べたいもの、ある?」
「……………………」
「プリシラ?」
あれ? なんか様子が……
「もうっ……!! バカッ……!!」
「な、なに? お腹すいたんでしょ?」
「もう、知らないっ!! バカバカバカっ!!」
プリシラは私の背中に回していた腕をほどくと、そのままプイと顔をそむけてしまった。
え、あれ……なんか急に機嫌が……
「あ、あの……プリシラ?」
「いいから、ご飯、作ってよっ! 私、お腹すいちゃったんだから……!!」
「う、うんっ……」
その日のプリシラは、かつてないほどお代わりをして、よく食べていた――




