第86話 木端微塵に打ち砕いてあげるわっ
プリシラと私が形式的に付き合ってから、数日がたったある日。
「――さ、プリシラ、心の準備はいい?」
「え、ええ……」
プリシラが、やや緊張した面持ちで私の隣に座っている。
今私達がいるのはウィンブリア家の別宅で、今日ここでプリシラを結婚相手として求めている伯爵令息相手に、私達がお付き合いをしていることを告げて縁談を諦めてもらう予定なのだ。
もちろん私達が付き合っていると言うのはこの縁談をぶち壊すための嘘だ。出来れば本当に付き合いたいんだけど、まだまだプリシラは私に恋をしてくれてはいないだろうし。
ちなみに、私の方から先方に出向いてあげても良かったんだけど、流石にそれはプリシラから止められた。曰く『公爵令嬢の方から出向くなんてありえないわ、逆に相手に悪いわよ』とのこと。
プリシラの口ぶりからすると、どうやら相手の伯爵令息というのも別に悪い人というわけでもないらしい。
まぁ私からプリシラを奪おうとするなんて、その時点で私にとっては極悪人ではあるんだけど。
「…………」
それでも実家が凄くお世話になっている伯爵家がやってくるとなると、男爵家の次女であるプリシラからしたら緊張する相手の様だ。
「大丈夫、安心して、私が付いてるから」
「あっ……」
体をこわばらせているプリシラの手をそっと握り、私はにっこりとほほ笑んだ。
「プリシラを絶対お嫁になんかやらないから。こんな縁談、私が木端微塵に打ち砕いてあげるわっ」
「あ、ありがとっ……」
心なしか頬を染めているように見えるプリシラは、私の手を握り返すとそのままスッと私の方に、肩が触れ合うほどまで距離を詰めて来た。
「もう、何てお礼を言っていいか……」
「いいのよ、これは私のためでもあるんだから」
「……えっ?」
私の言葉に、プリシラが目を丸くする。その顔は、以前だったら私が卒倒しちゃうくらいに距離が近い。
「だって私、プリシラと一緒に卒業したいもの」
「あ、ああ……そっちね」
本当は、ずっとプリシラと一緒にいたいから、と言いたいんだけど、流石に踏み込み過ぎかなって。
照れくさくて頬をかく私のことを、プリシラが至近距離からじっと見つめてくる。
「――私も、あなたと一緒に卒業したいわ」
「プリシラ……?」
「だって――」
そこでプリシラはネコのようにクスリと笑い――
「あなたの手料理、もっともっと食べたいものっ」
「そっち!?」
そっちなの!? んもうっ!!
「だって私、あなたの料理の虜だから。今朝のご飯も美味しかったし」
「そりゃどうもっ」
「あ、怒った?」
「怒ってないわよっ」
「冗談よ、冗談っ。――それ以外でも、あなたと一緒に卒業したいって思ってるわっ」
「えっ」
「私だって、ただの食いしん坊じゃないんだからっ……」
プリシラは小さくそう言うと、私にそっと体重を預けて来た。
「プリシラ……」
「クリス……」
私達はじっと見つめ合い、そして私はそっとプリシラの頬に手を伸ばし――
「――お嬢様? 先方がお見えですが」
「わー――――――――――!?」
「きゃー―――――――!?」
いつの間にか私たちの背後にやってきていたソラリスの言葉に、私達は飛び上がった。え、えええ!? い、今私、何をしようとしていたの……!?
「そ、ソラリスっ!?」
「はい、お嬢様の忠実なメイドのソラリスですよ~」
な、何かソラリス、笑っているけど笑っていないと言うか、凄みのようなものを感じるんだけど……
それにいつの間に私達の後ろに!?
「いやいや、ノックはしたんですけど反応がありませんでしたし。それに何やらお2人の世界に入られていたようでしたので――お邪魔でしたか?」
「そ、そんなことないわよっ!!」
プリシラが真っ赤な顔をして、私からぴょんと距離を取りながらソラリスに叫んだ。
「そうですか~。あ、それはそうと、今言った通り伯爵令息様がいらっしゃいましたよ」
「あ、そ、そう……じゃあ、お通しして?」
「かしこまりましたっ」
ソラリスはスカートをちょんと摘まみ、優雅にお辞儀をして見せた。流石に私のメイドなだけあって、思わず見とれるほどの所作だ。
「む、むっ……」
部屋から出ていったソラリスを見届けた後、プリシラがむくれた顔をしながら再度距離を詰めて来た。
「どうしたの?」
「別にっ……!」
「いや、別にって……」
どう見ても、怒ってるんですけど……
「プリシラ?」
私がじっと見つめると、プリシラはちょっと沈黙したのち、ゆっくりと口を開いた。
「……ただその、仮にも婚約者の前で他の子に見とれるものじゃないわよってだけよっ……」
「こ、婚約者……!?」
え!? えええ!?
「だ、だってそうでしょ……!? 今の私達って、将来結婚する『ってことになってる』んだから……それって婚約者以外の何物でもないじゃない……!」
「そ、そうだけどっ……」
あくまでそれは、演技と言うかフリと言うか……!! え、あれ? でももしかして今のプリシラって……
「その……」
「なに?」
「……焼きもち、焼いてるの?」
「……!!」
いや、そんなまさかね、プリシラが焼きもちなんてそんな――
「………………かもしれないわねっ」
「はぇ?」
思わず間抜けな声が出てしまった。え? 何? 私の聞き間違い?
「だ、だってあなた達、すっごく仲がいいんですもの……だから、その、えっと……と、友達! そう、友達として焼きもちを焼いちゃうのよっ!!」
「そ、そっかぁ……」
なんだ、友達として、かぁ……残念。……あれ? でもその前に婚約者としてとかなんとか言っていたような――
「そ、それより!! ほ、ほら、リボンが曲がってるわっ」
「え? そう?」
「そうよ――ほら、直ったわ」
プリシラは私の胸元にあるリボンに手をかけてちょいちょいといじった。ううん、でも完璧なメイドであるソラリスに着せてもらったドレスで、リボンが曲がってるってことも無いと思うんだけど……
「あ、来たみたいね」
部屋に近づく足音で、私は私のプリシラをさらいに来た不届きもの――別に悪いことは何もしていないんだけど、私の心情的にね――が来たのを察して身構えた――




