第62話 後ろ、向いてて
「ああっ……美味しかったっ……」
「おそまつ様でしたっ」
「さっきまで全然食欲も無かったのに、やっぱりあなたの作ってくれるものなら食べられるわね。私、あなたのご飯、大好きよ」
「プリシラっ……」
嬉しいことを言ってくれるなぁもうっ。こういうことを言ってくれるから、作り甲斐があるのよね。
「これなら朝、あなたのご飯を食べに行っても良かったかしら?」
「こらこら、だめでしょ。寝てないと」
「ふふっ、冗談よ」
冗談なんて言ってるプリシラだけど、何か半分くらいは本気っぽい。プリシラの食欲恐るべし、ね。
「あっ、プリシラ、汗かいてるわよ」
額に汗が浮かんでいたのでハンカチを取り出して額の汗を拭ってあげると、プリシラはくすぐったそうに目を細めた。
「ありがと、感謝してるわ」
「そんな、これくらいで何を言ってるのよ」
むしろお礼を言いたいのはこっちの方だ。だってずっとずっと、生涯をかけて会いたいと願っていた女の子の看病までさせて貰えてるんだから。
「それだけじゃなくて、その……うつるかもしれないのにわざわざ来てくれて……」
「私が来たかったから、来ただけよ。あなたのことが心配だったから」
「そ、そう……」
私が即答すると、プリシラは肩にかかっている髪の毛をくるくるといじりだした。
何か熱で弱っているせいか、その様は何とも色っぽく感じられてしまう。
「あ……えっと、額、触らせてもらってもいい?」
「え?」
「あ、その、熱がどれくらいかなって、でも、イヤなら別にいいけど――」
「……いいわよ」
プリシラはそう言いながら、自分の前髪を片手で持ち上げて自分のおでこをあらわにした。
プリシラのおでこ……初めて見ちゃった……! 可愛いいいぃぃ!!
「ほら、触って?」
「え、あ、いいの?」
「いいからこうしてるんでしょ……ほらっ」
「じゃ、じゃあ、失礼して……」
恐る恐る、私はプリシラのおでこにそっと手のひらを当てる。私はついに愛しいプリシラのおでこに触ることを許されたのだと思うと、涙が出そうになってしまった。
「……」
「どう?」
「え、あ、な、なんでもないわよっ……!!」
「いや、何でもないとかじゃなくて、熱はどう? ってことなんだけど」
あ、そ、そうよねっ、つい額に触れた嬉しさで思考が飛んでたわ。
「そうね、結構あるわね……」
「やっぱり……頭、ぼーっとするもの」
「じゃあ――やっぱりコレの出番かしら」
私は持ってきた荷物の中から薬瓶を取り出す。そしてその中身をカップに注ぐと――その黒色のどろりとした液体からはこの世のものとは思えないような匂いが漂ってきた。相変わらずひどい匂いだ。
「……ねぇ、なにそれ」
「これ? これは我が家秘伝の飲み薬よ。味と見た目と匂いとのど越しと後味はともかく、効き目は抜群よ」
「それ……効き目以外全部酷いって言ってない?」
「言ってるわよ」
子供の頃は風邪をひいてこれを飲まされたくないがゆえに、体を鍛えるようになったくらいだし。
それくらいヒドイ代物なのだ、こいつは。
「ま、まさか、それを私に飲ませようって言うんじゃ……」
「そのまさかよ。はい、プリシラ」
私はその地獄の釜もここまで酷くないだろうという香りを放っているカップを笑顔で手渡した。
「ちょ!? 本気なの!? 絶対これ、飲んじゃダメな匂いしてるわよ!?」
「大丈夫、大丈夫。鼻だけじゃなくて、喉も飲んじゃダメって押し返そうとしてくるから」
「何が大丈夫なの!?」
「でも、効き目は凄いから」
「効き目が良ければ許されると思ってない!?」
「まぁまぁ騙されたと思って」
「騙されても飲みたくないわよ!?」
そうは言っても、これ、本当に効くのよねぇ……
それから私達は押し問答を重ねて、食後のデザートを1品増やすという交換条件でどうにかプリシラに薬を飲ませることを同意させた。
太っても知らないわよって言ったら「私食べても太らないし」って返してきたのには少しイラっとしたけどっ。
「うううぅ……こんなものを飲ませようとするなんて……いじめっ子っ……」
「あなたの体を思ってのことよ。ほら、頑張ってっ」
「わかってるわよっ……………………せいっ!!」
プリシラは、気合の掛け声とともにカップの中身を一気に飲み干し――――あまりの不味さにベッドの上でのたうち回った。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!!?!?!!????」
「わかるわ、私も飲んだ時そうなったもの」
私は子供の頃以来飲んでないけどね。だって鍛えてあるし。絶対私それ飲みたくないもの。
それからしばらく悶えていたプリシラが、ようやっと口をきけるくらいまで回復して来た。やっぱり恐ろしいわ、この薬。
「うっ……ぐぐぐっ……なんて味なの……? ホントに口に入れて良かったの……?」
「良薬は口に苦し、よ」
「程があるわよ!! あなたの料理を天上の調べとするならこれは地獄の子守歌よ!?」
「いやぁ、天上の調べなんて、照れちゃうわ」
「それくらいヒドイって言ってるのよ!!!! バカなの!?」
プリシラが涙目を浮かべながら口を押えて震えている姿に……なんかこう、ゾクゾクっといけない気持ちが湧いてくるよねっ、いけない、いけない。
「それはそうと――」
「それはそうとじゃないわよ!!」
「その……服、着替えた方がいいと思うわよ。だって、ほら」
今気が付いたんだけど、その、目のやり場に困ると言うか……
「えっ」
私が目を逸らしながら、プリシラの汗でぬれた胸元を指さすと――
「きゃっ!?」
プリシラは慌てたように胸元を覆い隠した。
その胸元は、汗でぬれた肌に薄い寝間着がぴったりと張り付いて――その豊かな膨らみの形まではっきりとわかるようになっていたのだ。
「え、えっち……!! バカッ!! ヘンタイっ!!」
「だ、大丈夫、今気づいて全然見てないから、その……!!」
「ウソッ……!! 絶対見たでしょ……!! えっちっ!!」
はい、ウソです。しっかりと見ちゃいました。
「と、とにかく、汗で濡れたままってのは良くないから、体を拭いて寝間着を着替えた方がいいわよ? ほら、体を拭くお湯も用意して来たから」
「じゅ、準備がいいのねっ……」
そう言うプリシラは今もなお腕で胸元を覆い隠したままだ、やっぱり恥じらうプリシラっていいなぁ……
「じゃあ私は部屋を出てるから、その間に体を拭いて――」
「あ、待ってっ」
「え?」
部屋を出ようとする私のことを、プリシラが引き留めた。
「その……悪いんだけど、着替えを取ってもらってもいいかしら……?」
「え!?」
「だ、だって、まだ熱でぼ~っとしてて立つのも億劫なんだものっ……そりゃ公爵令嬢たるあなたにこんなことを頼むのも悪いとは思うわよ? でもあなたは私の看病に来てくれてるんでしょ!? だ、だから……」
いや、それくらい甘えてもらっても全然構わない……と言うか、むしろご褒美と言うか……
「い、いいの?」
「いいから言ってるのよっ……その、着替えはそこの引き出しに入ってるから……」
プリシラはそれだけ言うと、プイと背を向けてベッドに横たわってしまった。どうやら動きたくないと言うのは本当らしい。
「それじゃあ……失礼して……」
私は言われた通りに壁際にある引き出しを開けると……そこには色とりどりで可愛らしい寝間着が収められて、普段これらを着てプリシラが寝ているのだと考えると思わずゴクリと喉を鳴らしてしまった。ヘンタイか、私は。
そしてちょっと悩んだ後、その中から1番プリシラに似合いそうな寝間着を取り出して、寝ているプリシラに手渡した。
「はいっ、これ」
「ありがと…………ふぅん、これを選んだのね」
「これが1番似合うかなって」
「ええ、これ、お気に入りなの。ありがとね」
プリシラはそう言うと、にこっと微笑んでくれた。
その笑みに私の方が恥ずかしくなっちゃって「え、えっと……じゃ、じゃあ私は外に……!!」と改めて急いで外に出ようとしたところを、
「待って」
「また!?」
また、引き留められた。
「その……別に、外に出てなくてもいいわよ」
「えっ」
はい? 何言ってるの?
「えっと……後ろ、向いてて」
「えっ、でもっ」
「いいから、だって看病に来てくれたんでしょ? それを追い出すというのも悪いわ」
いやいや!? 悪いなんてことないと思うんだけど!?
…………うん、でもまぁ、プリシラがそれでいいって言うんなら、私に拒否する理由はないよねっ……!!
「で、では……」
私は体を拭くための一式を手渡した後、ベッドで体を起こしているプリシラから背を向けて椅子に座った。
「んしょっ……」
そして、私の背中の向こうからプリシラが汗で湿った服を脱いでいる気配が伝わってきた。
「……!!」
私の後ろに、今、着替えをしているプリシラがいる……!! そのことに私の体は震えた。
ちょっと振り向けば、愛しいプリシラがあられもない姿をさらしているなんて、前の人生を考えたら夢のような状況だ。と言うか夢なんじゃないかと思って頬をつねってみたけど痛かったからどうやら夢ではないらしい。なんてことだ。
「ふぅっ……気持ちいいわっ……ありがとねっ」
「い、いえいえ、どういたしましてっ」
どうやら体を拭いているところらしい。早く、早く拭き終わって、服を着てっ……!! 出ないと私の心臓が持たない――
「ねぇ」
「ひゃうっ!?」
心臓、止まるかと思った。不意打ち止めてっ。
「な、なに?」
私は勿論後ろを向いたまま、背後のプリシラに応える。
「ちょっと……その、もう1つお願いがあるんだけど」
「お願い?」
この状況でお願いと言われても、一体何を――
「背中、手が届かないの……申し訳ないんだけど拭いてもらっていいかしら?」
――――――――えっ?




