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第61話 構わないわっ

「よしっ! いい焼き加減ね。早くプリシラ起きて来ないかな~」


 別荘から帰って来てからも、私はプリシラのために毎日ご飯を作ってあげていた。今日も朝早くから仕込みをして、お手製のパンを焼いて学園内の厨房でプリシラが起きてくるのを待つ。何とも言えない幸せな時間だった。


「いい匂いですね、お嬢様っ」

「そうね、焼き立てのパンの香りは嗅いでるだけで幸せになるわ」


 朝からよく食べるプリシラのため、私はソラリスにも手伝ってもらい大量のパンを用意していたんだけど――


「……あれ? おかしいわね」


 プリシラが来ない。


「そうですね。プリシラ、遅いですね。……寝坊でしょうか」

「いやいや、あのプリシラがご飯に遅れるなんてありえないし……」

「ちょっと私、見に行ってきましょうか?」

「そうね、お願いできる?」

「わかりましたっ」


 そしてソラリスがプリシラの部屋まで行って帰って来て、そして告げた内容に私は驚いた。


「……風邪?」


 それは、プリシラが風邪をひいて寝込んでいるという事だった。


「はい。扉の前でプリシラからそう聞きました」

「えええ……? だって昨晩もあれだけ食欲があって……いや、そう言えば普段5人前は食べるところを4人前しか食べてなかったわね。あれは具合が悪かったのからなのかしら」

「4人前でも大概ですけどね……あれだけ食べてたら普通具合が悪いなんて思いませんよ」


 そうね、私も「プリシラにしてはちょっと控え目ね」くらいにしか思わなかったし。これが普段1人前しか食べない人が半分しか食べなかったりしたら変に思うだろうけど、5人前が4人前だし。


「そっか……風邪じゃあ仕方ないわね」

「そうですね」


 となれば、私のするべきことは1つだ。


「プリシラの看病に行ってくるわ」

「……は!? お嬢様が、ですか!?」

「そうよ」


 愛しいプリシラが熱で臥せっているというのに、私が行かないで誰が行くと言うのだろう。それに、この前プリシラからは「もうあなたのことは嫌いじゃないわ」なんて言われちゃったし、部屋にくらい入れてもらえるかも……!!


「そんな、いけませんっ、もしお嬢様が風邪をうつされりしたら……!!」

「いいの、それでも私は行きたいのよ」


 プリシラの風邪ならむしろ望むところだ。だって私はプリシラを愛しているんだから。


「お嬢様っ……ではせめて私もご一緒に……!! お嬢様だけを危険な目には会わせられませんっ……!!」

「いや、ここは私1人で行くわ」

「で、ですがっ……!!」


 なおもソラリスは食い下がろうとする。でも私の都合でソラリスに風邪なんか引かせたら申し訳ないし、ここはどうしても断らないといけない。


「だって、私が風邪を引いたら誰が私の看病をしてくれるの?」

「そ、それは……」


 これは方便と言うやつだけど、それでもソラリスはぐうの音も出せなかった。


「…………わかり……ました……そこまでおっしゃられるのでしたら……」

「ごめんね」

「いえ……お気を付けて」


 そして私は寝込んでいると言うプリシラの元へと向かった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 プリシラの部屋の扉の前に立ち、私は深呼吸をする。そう言えば私、ここまで来たの初めてだ。


 コンコン


 扉をノックする。……返事が無い。


 コンコン、コンコン


 再度ノックをして――しばらく待っていると中からペタペタと元気のない足音が聞こえて来た。


「ちょっと……また来たの……? 言ったでしょ、私風邪ひいてるって……」

「プリシラっ」

「……え? あなたなの? なんで?」


 扉越しにプリシラの声が聞こえた。その声は普段と違ってとても弱々しい。


「風邪ひいてるって聞いたから、看病に来たの。……開けてくれない?」

「ちょ……何考えてるのよっ……そんなのダメに決まってるでしょ!?」

「……やっぱり、私なんかを部屋に入れたくない?」

「そう言う意味じゃないわよ、バカッ……ゴホッ、ゴホッ…………風邪、うつしちゃうでしょっ」


 バカと言うプリシラの声には、やっぱり元気が無かった。


「いいから」

「えっ」

「風邪、うつってもいいから」


 あなたの風邪なら、とは流石に言えないけど。それでも私の偽らざる本心だった。


「そんな、あなた自分の立場が分かってるの……? あなたは公爵令嬢で大事な体なのよ? 私なんかの看病なんてしていいわけが――」

「いいからっ、立場なんて関係ないわ。私はあなたのことが心配なの。お願いっ、開けて、プリシラっ」

「………………」


 しばらくの無言が続いた後――ゆっくりと扉の鍵が開く音がした。そして開いた扉の隙間から、寝間着姿のプリシラがちらりと顔をのぞかせた。


「プリシラっ……!!」

「…………もうっ…………知らないわよ? うつっても……」

「ええ、構わないわっ」


 私は即答した。それ以外に答えようが無いし。


「はぁ……あなたってばホントにバカね……わかったわ、入って……」


 私はプリシラに促され、配膳用のキャスター付きワゴンを押しながら部屋に入る。


「……何それ」

「これ? プリシラをお世話する一式よ。病人でも食べやすいようなご飯とか、体を拭くためのお湯とかが入れてあるわ」

「そ、そう……用意がいいのね」


 それはそうと――私は初めて入るプリシラの部屋に感動していた。

 ついに、ついに看病のためとはいえお部屋に招かれたんだっ……!! ああっ……いい匂いっ……あ、なんか脱いだままの服がその辺に……


「ちょっと、あまりジロジロ見ないでよっ」

「ご、ごめんなさいっ」

「もうっ……」

「あ、ほらプリシラ、まず寝ないと」

「そうね……」


 プリシラはよたよたと歩きながら寝室のベッドへと向かっていき、そこで私はあることに気が付いた。


「……あれ? プリシラって1人なの? ルームメイトは?」


 この2人部屋には、ベッドとかその辺に1人分しか生活の気配が感じられなかったのだ。


「ああ、家の都合で実家に帰ったわ。今は私1人なのよ」

「そうなの?」


 おかしいな。確か前回では、プリシラは卒業までずっと2人部屋でルームメイトと暮らしていたはずだけど。どこかで運命が変わってきてるんだろうか?


「ふぅっ……」


 そしてプリシラが疲れたようにベッドに横たわった。具合はあまりよくないようだ。


「大丈夫?」

「結構辛いわ……実は昨日の夜から食欲が無くて……」

「……」


 4人前食べてたけどね!! ぺろりと!! そのせいで全然具合が悪いなんて気づかなかったし。


「それじゃあ朝食も無理そうね。病人でも食べやすいようにパン粥を用意してきたんだけど……」

「えっ」

「だったらせめて水を――」

「……食べるわっ」

「えっ」


 食べるの?


「だって、せっかく作ってきてくれたんでしょ?」

「じゃ、じゃあ、用意するわねっ!! でも、あまり食べられないかと思って少な目に作ってきたんだけど」


 少な目と言ってもお鍋にいっぱいあるけどね。これでも普段のプリシラにしたらおやつ程度の量だけど。

 そして私はパン粥をお鍋から器に取り分けて、プリシラに手渡そうとして――


「いやっ」

「え」


 なぜか受け取ってくれなかった。何故に?


「どうしたの? 何か気に入らないことでも――」

「……………………食べさせてっ」

「へ?」


 今、何て……私の聞き間違い?


「食べさせてって言ったのっ」


 聞き間違いじゃなかった!!


「だ、だってあなた、私の看病に来てくれたんでしょ? だったら、これくらい聞いてくれてもいいじゃないっ……」


 プリシラは、風邪だというのに妙に早口でまくし立てた後、 こ、これって……!! プリシラが私に甘えて来てるの……!? ホントに!? たぶん風邪で弱ってるからだろうけど、まさかこんな……!!


「なによその顔っ……だって、あなた私にいつも最初は『あーん』してるじゃない。それが何で今日に限って普通に食べさせようとしてくるのよっ。どう考えても逆じゃない!?」


 確かに、私とプリシラの間で決めたルールとして、ご飯の時の最初の数口は私がプリシラに『あーん』をするという事になっていた。それが、念願のプリシラのお部屋に入れたことで浮かれちゃっていたらしい。


「ごめん、つい忘れてたわ」

「私にこんな恥ずかしいこと言わせるなんて……もう、バカっ……」


 プリシラはよっぽど恥ずかしかったのか、布団を引き上げて顔を隠してしまった。


「じゃあ、ほらプリシラ、『あーん』っ」

「……」

「もうっ、機嫌直してよ。ほらほらお腹空いてるでしょ? ほら、『あーん』っ」

「………………あ、あ~んっ」


 そしてようやく顔を出してくれたプリシラのお口に、私はスプーンを運んだ。


「むぐむぐ……おいしいわっ。あなたが作る物って何でもおいしいのねっ」

「よかった。いっぱいあるからじゃんじゃん食べてねっ」

「ええっ」


 それからプリシラは風邪だというのに、私の『あーん』でお鍋いっぱいのパン粥をぺろりと平らげたのだった。

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