第60話 ここから
昨日に引き続き今日もプリシラと一緒のボートに乗っているというありえない事態に、何度「これは夢なのでは?」と思ったことだろう。
それでも私の足の間にちょこんと座っているプリシラは、オールを漕ぐたびによろけて私に体重を預けてくるので、その重みが私にこれが現実なのだと教えてくれた。……幸せすぎる……
それに私の目の前にあるプリシラのふわふわの金髪からは、さっきのソラリス同様にうっとりするような彼女の香りが漂ってきて、何度顔を埋めたいと思ったか分からない。そしてついに我慢の限界を迎えて私は吸い寄せられるように彼女の髪に近づいて――
「――ねぇ」
「ひゃぅっ!?」
プリシラが不意にこちらを振り向いて、危うく心臓が止まるかと思った。
あっぶなぁぁぁぁぁ!! 危ないわ!!! もうちょっとで髪に顔を埋めて引っぱたかれることだった!! 頑張れ!! 私の理性!!
「ちょ、どうしたの? 変な声出して」
「な、何でもないわよっ!?」
でも、こんな長年恋焦がれた女の子と2人っきりでボートに乗って、しかも彼女を抱っこしているなんて状況。更に昨日はこの子と一緒に寝たんだという事も相まって……もうプリシラが愛おしくて、愛おしくて仕方なかった。
具体的に言うともう今すぐ教会に行って結婚式をあげたいくらい愛おしい。でも今の状況はプリシラの気まぐれによるものだろうし……そもそも私ってまだまだ嫌われてるだろうから、求婚なんてもってのほかだ。ここは淑女としての振る舞いをせねば……頑張れっ、私。
「そう……?」
だから言えない。あなたの香りにうっとりしていたなんて。ああっ……それにしても私のすぐ目の前にプリシラの薄ピンク色をした唇がっ……なんて可憐なんだろう。
でも、今朝あと少しでこの唇を奪うところだったのよね……惜しいことをした……いやいや、寝込みを襲うなんて淑女としてダメでしょ、ここは結果として止めてくれたソラリスに感謝をしないと……
「ねぇってば」
「ひゃぃっ!?」
「人の顔を見つめて黙らないでよ……なんか、その……反応に困るわ」
「ご、ごめんなさいっ……」
だって、あまりに可愛いから、つい。
「はぁ……ねぇ、ところで昨日のことなんだけど、その……」
「何?」
「……私達、一緒に寝たじゃない?」
「……!!」
プリシラの口から直接言われると、一層ドキドキしてしまう。……いや、結果的には何もなかったんだけど……うん。
「それで、その……へ、変なこと、しなかったでしょうね?」
ぎくっ!! な、なんでこんなこと聞いてくるの!? まさか、私がプリシラをツンツンしていた時に実は起きてた……!? いや、でも何か疑い半分って感じだし、もしかしたら……って疑惑程度なのかもしれない。
なのでここは確たる証拠が無い以上、しらばっくれないと……!!
「ま、まっさか~、そんなことするわけないじゃない」
「……ホントに?」
プリシラが、ジトっとした目を向けてくる。や、やばい、やっぱり少し疑われてる?
「ほ、ホントよ? 何もやましいことはしてないわ……」
私がしたのは、髪の毛に触って、ほっぺをつついて、唇もつついて、愛をささやいて……そしてキス未遂をしただけだし……
……おや? 有罪では?
「そうなの……? 私の気のせいかしら……まぁ私朝弱いから寝ぼけてたのね」
あっぶな!! やっぱり半分起きてた!! セーフ!!
「でも、繰り返すけど……クラスの誰にも喋っちゃダメだからねっ……!!」
プリシラが顔を真っ赤にして、む~っとした表情を向けてくる。可愛い。
「それは、プリシラが怖さの余り私にトイレに付いてきてもらった事? それとも1人じゃ寝れないからって私と一緒に寝たこと?」
「両方に決まってるでしょ!? バカなの!?」
「冗談だってば」
「んもうっ……」
プリシラは唇をつんと尖らせると、ぷいと私に背を向けて――私に体重を預けてきた……!!
「え、あ、ちょ……!?」
「それにしても――」
慌てる私とは対照的に、プリシラは実に落ち着いた声で話しかけてきた。
「こうしてあなたと一緒にボートに乗っているなんて……去年の私に教えてあげたとしても絶対に信じないでしょうね」
「それは……そうね」
私自身未だに信じられないし。数十年願い続けたことが、こうして私の腕の中にあるんだから。
「山で助けてもらって、デートをして、勉強を教えてもらって、お弁当を作ってもらって……もう何がどうしてこうなったのかしら」
そう言うプリシラの口調は決して弾んでいると言うわけでは無かったけど、それでも私の願望を抜きにしても悪い感じはしなかった。
「特にあなたの料理は絶品よ。何度でも言うけど、もう私、あなたの料理じゃないとダメみたいだもの」
「食べ歩きもほとんどしなくなったのよね?」
「だって……あなたの料理の方が断然美味しいから……」
「プリシラっ……」
料理、頑張ってきてよかった……心からそう思う。あとプリシラが食いしん坊で良かった。
「夏休みが終わっても、3食毎日作ってあげるからね」
「ホント!? 嬉しいっ……!!」
「……!!」
プリシラは花のような笑顔を浮かべて、こちらに再度振り向いた――というか、私に向かい合うように体を反転させた。
狭いボートの上でほとんど抱き合うような体勢になり、私の心臓の鼓動はますます速くなる。
「実は夏休みが終わったら、晩ご飯とか食堂のご飯に戻るのかと思うと憂鬱だったのよね。いや、あそこも悪くはないんだけど、あなたのとは比べ物にならないわ」
「そこまで言われると、照れちゃうわね……」
「それくらいあなたの腕は凄いのよ。私が保証するわ」
「そ、そうかなっ」
「そうよ、この私が保証するんだもの。間違いないわ」
プリシラはそこでにっと笑った。なんて可愛いんだろう。天使と言うものが実在するとしたらこういう子のことを言うんだろう。
それから水の上を向き合ってユラユラと漂う私達の間に、沈黙が訪れた。
「……ところで、あなた知っているかしら?」
そしてプリシラがポツリと喋り出す。
「何を?」
「私、あなたと初めて会った時……その……お友達になりたいって思ったのよ?」
「そうなの!?」
何それ!? ホント!? じゃあ、私さえあんな馬鹿な真似をしなければすぐにお互い仲良くなれていたってこと!? それが、自分の気持ちに気付かなかったばっかりに、人生のすべてを棒に振る羽目になるなんて……
「それなのにあなたときたら……」
「ご、ごめんなさい……」
「最初は『なんて綺麗な子なんだろう』って思ったのに……それが『あんな綺麗なのに、なんて性格の最悪な子なんだろう』って思うようになるのに、あまり時間はかからなかったわ」
「本当にごめん……私がバカだったの……」
心の底からバカだと思う。なんであんな手段を選んだんだろう。ただ、構って欲しかっただけなのに。
「それから2年間……ずっとあなたに意地悪され続けたわよね? あなたほど高位の貴族から意地悪されたんじゃ、よそに訴えることもできなかったし」
「ううぅ……」
本当に、本当に申し訳ない……
「でも……それがこうなるんだもの。人生って分からないわ」
そうね、それに私なんて人生をやり直しているし。
「その……ごめんなさい……」
「もういいわよ。こちらこそごめんなさい、別に蒸し返すつもりはなかったの。ただ……確認しただけよ」
そう言うとプリシラはふっと表情を緩めて、そして1つ息を吐いた。
「……ここで言っておくわ。……私、もうあなたのこと、嫌いじゃないわよ」
……えっ?
「だって考えてもごらんなさいよ。いくら怖いからって、嫌いな相手と一緒のベッドで寝るわけないでしょ?」
「そ、それじゃあ……!!」
「でも!! す、好きってわけじゃあないから……!! 勘違いしないでよね!!」
「え、っとそれは、つまり……」
どういうこと?
「つまり、その……ここから、やり直しましょうってこと。私達は、今日この日から出会った……的な? そう言う感じよ。私も昔のことは水に流すわ――ほら、ちょうど水はたっぷりあるわけだし」
プリシラはそう言うと、おどけたように辺りを指さした。
そのプリシラを、私は、
「プリシラっ……!!」
「きゃっ!? ちょ、ちょ……!!」
感動の余り思わず抱きしめてしまった。
我慢しなきゃいけないってのはわかっていたけど、どうしても抱きしめたかった。この後多分引っぱたかれるだろうけど、それでも私はどうしてもこうしたかったから。
「も、もうっ……」
しばらく思いっきり抱きしめた後、引っぱたかれることを覚悟して身構えながらプリシラを開放すると……なぜか平手は飛んで来なくて、プリシラは抱きしめられたことで乱れた衣服を直しているだけだった。
あ、もしかして服を直した後で引っぱたかれるのかしら? でも、直し終わった後にも手は飛んで来ず……それどころかプリシラは赤い顔をしてじっと私を睨んできた。
「そんなに、その……嬉しかったの? 私と仲直りできたのが……」
「もちろんっ……!! 私の人生で1番嬉しいわっ!!」
私はプリシラの問いに即答する。もう私はかれこれ100年近く生きてきたことになり、過去に戻って来てからは嬉しいことの連続だったけど、それでも間違いなくこれが1番嬉しかった。
「じ、人生って……大げさねっ」
そんな事は無い。全然大げさでも何でもない。何故なら私は、あなたとやり直したい、それだけを思って生きてきたんだから。
そして私はついに、ついにプリシラとの関係をスタート位置まで戻せたんだ……!
「ちょ……!! 泣くことないでしょ……!?」
「えっ……」
気が付けば私の両頬を涙が伝っていた。それは後から後からどんどんとあふれ出てくる。前の人生で涙は流しつくしたと思ってたのに、まだこんなに出るなんて。
それでもこの涙は悲しみの涙では無く、喜びの涙だってことが大きく違っていた。
「もうっ……世話が焼けるわねっ……」
「あっ……」
そして、その涙をハンカチで拭ってくれたのは他でもない、私が恋する少女、プリシラだった。
お読みいただき、ありがとうございますっ!!
これにて第3章完結となります!
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