第46話 よく私の心臓が持ったものだ
天国と言っても全く過言ではないどころかむしろ天国でも全然釣り合わないほどに幸せだったプリシラとのボートも終わり、名残惜しさを感じつつも私達は岸へと向かった。
本当はいつまでもプリシラとくっついてボートを漕いでいたかったけど、プリシラが「お腹がすいたわ」と言い出したので仕方が無かったのだ……ぐすん。
それからはお店でご飯を食べたり湖畔を散策したりして遊んでいたけど、再度プリシラの「お腹がすいたわ……やっぱりあなたのご飯が食べたい」が出たあたりで別荘に戻ってきていた。
「あ、お帰りなさいませ、お嬢様、プリシラ様」
「お帰りなさいっ、クリス様っ、プリシラっ」
別荘ではソラリスとエルザさんが部屋のお掃除をしながら出迎えてくれた。当然の様に2人共メイド服だ。
「おやおやおやご両人、仲良く手なんか繋いじゃってまぁ、妬けちゃいますなぁ~」
「……!! こ、これは、その……!!」
デートの間中ずっと握っていてくれていた手を、エルザさんから指摘されたプリシラが慌てて離した。ああっ……もっと握っててほしかったなぁ……
「そ、それはそうと、2人共遊びに行かなかったの?」
プリシラが照れをごまかすように2人に尋ねた。そう言えば後で来るって言っていたような気がしたけど、結局2人とは会えなかったのよね。
「いえ、行きましたよ……」
「行きましたけど……ねぇ?」
ソラリスは何か複雑そうな顔をしていて、エルザさんはニヤニヤとからかうような笑みを浮かべている。え? 何、どうしたの?
「あんな熱々のところを見せられましたら……その……」
「そうそう、お邪魔するわけにはいきませんね~。ねぇソラリスちゃん?」
「はい、ちょっと声をおかけするのをためらいまして……結局エルザ様と喫茶店でメイド談義に花を咲かせておりました」
え、熱々って、その、もしかして……
「いやぁ、それにしてもプリシラもやるわねぇ~」
「な、なにがよっ……」
エルザさんはプリシラの肩に手を回し、もう片方の手でほっぺたをプニプニとつついている。……羨ましいっ。
「またまたぁ、とぼけちゃってぇ。私ばっちり見ちゃったんだから。ね? ソラリスちゃんも見たわよね?」
「は、はい……見ちゃいました……」
見ちゃった、と過去形って事は……見たのは今手を繋いでいた事ではないだろう、となると……
「え、だ、だって、その、アレは岸から離れていて、周りには誰も……」
そう、プリシラが私に体を寄せてきたのは周りに人目がないのを確認してからのことだったし、他に見ている人がいないからこそあんな行動に出たんだと思っていたけど……
「いやいやぁ……甘いねぇプリシラ。遊びに来てて気が緩んじゃったかな~?」
エルザさんは笑いをこらえきれないって感じで、テーブルの上に置いてあった――双眼鏡を手に取った。
「んなっ……!?」
「バードウォッチング用の双眼鏡よ。2人はどこかな~って探してたら、岸から離れてボートに乗っているみたいだったから、これで見てみたらまぁビックリ」
「お2人が、その……ぴったりと仲良くくっついてボートに乗られていて……」
見られていた……!! は、恥ずかしいっ……!!
「ああこれはお邪魔するわけにはいかないなって……ぷぷぷ、ねぇプリシラ?クリス様にたっぷりと甘えられたみたいでよかったねぇ~」
「ち、ちが――」
「何が違うの? 2人っきりであーんなに甘々にいちゃついていたのに。見てるこっちが思わず赤面しちゃったわよ」
「だ、だから、違うってのにっ……!!」
「あ、あの……お嬢様? どうしてそんなことに……?」
こっちが聞きたい。何でプリシラがあんな行動に出たのか、私でも全く分からないんだから。分かっているのは、プリシラがすっごく軽かったって事と、たまらなくいい匂いがするってことくらいだ。
「いやいや、ソラリスちゃん、わかってないわねぇ。プリシラは普段学校ではあまり公にイチャイチャできないから、ここぞとばかりに彼女に甘えたってことよ。何せ相手は公爵令嬢様だからねっ」
いや、彼女じゃないんですけどね? そもそもプリシラからは友達とさえ認識されてるか怪しいし、たぶんプリシラにとって私はせいぜい、美味しいご飯を作ってくれるクラスメイトってくらいの立ち位置だろう。
「イチャイチャなんてしてないってば!!」
「ええ~? アレをイチャイチャじゃないって言うんなら、大抵のことはイチャイチャじゃなくなるよ~? なにせ2人っきりでボートに乗ってるばかりか、2人でぴったりとくっついて仲良くオールを漕いでいたんだからね~」
……改めて指摘されると、とんでもないことをしてたんだなって思う。
風がそよぐたびにプリシラのふわふわの金髪が私の鼻をくすぐって、何度この髪に顔を埋めたいという欲求と戦った事か。
それにプリシラは極度の運動音痴でオールを漕ぐたびにバランスを崩すから、それを支えるためにその細い腰に手を回して支えていないといけなくて、もうあまりの幸福感にほとんど昇天しそうだったし、よく私の心臓が持ったものだと感心してしまう。
「そ、それは、その……!! き、気の迷いと言うか……その、わ、私にも色々事情があるのよっ……」
「事情って何?」
「そ、それは………………い、言いたくないっ……」
「はいはい、甘えたくなったのね?」
「違うって言ってるでしょぉ!?」
プリシラは顔から湯気を出して反論しているけど、エルザさんは全く取り合おうとせずにからかい続けている。どうもエルザさん的には幼馴染のプリシラをからかうのが楽しくてしょうがないらしい。
「いやいや、でも私は嬉しいよ。プリシラにクリス様みたいな素敵な恋人ができたんだもんね……。クリス様、この子のこと、よろしくお願いしますね? 素直じゃなくてツンツンしてて意地っ張りですけど、根は可愛いいい子なので」
「ば、バカッ……!! 何言ってるのよっ……!!」
抗議しようとするプリシラだけど、エルザさんにガッチリとホールドを決められているので身動きが取れない状態だ。
プリシラにそんなことをできるエルザさんを毎度のことのように羨ましく見ていると――ソラリスがトトトと近づいてきた。
「えっと……お嬢様、プリシラ……様と楽しい時間を過ごせたようで……良かったですね」
「あ、うん、ありがとっ。私も正直驚いたんだけどね」
なんか今日のプリシラ、凄く積極的だったというか……いや、ホントわけが分からない。でも、幸せだったしまぁいっか。
「あ、そうだ、そろそろ今日の晩ご飯の準備をしないと、プリシラのお腹の虫が暴れ出しちゃうわ」
「…………そうですねっ」
さて、それじゃあソラリスと手分けしてやっていきましょうっ。
「ソラリスはお肉の下ごしらえからお願いね。プリシラってばいつもよりお腹空いてるみたいだから多めによろしくっ」
「……はいっ、わかりました、お嬢様っ。プリシラ様ってばお嬢様のお料理の虜ですものねっ……。えっと、いっぱい作って喜ばせてあげましょうっ……!!」
……? なんかソラリス、どことなく変な感じがするような……? 元気は元気なんだけどカラ元気と言うかなんというか……
「どうなさいました? お嬢様?」
「え、あ、いえ、なんでもないわ。じゃあ、取り掛かりましょっか」
「はいっ」
私は小首を傾げつつ、腕まくりをして厨房へと向かったのだった。




