第45話 なんで!?
「うわぁっ……おっきぃ……」
湖がすぐ近くに見えるようになると、プリシラが興奮したように振り返った。
「ね、凄いわねっ」
「そうねっ」
私は何度も来ているから目の前の景色にこそ感動しなかったものの、プリシラと一緒に遊びに来たんだという事を改めて実感できて、そのことに胸がいっぱいになった。しかも一緒に手を繋いでという、あり得ないような奇跡までセットなのだからなおさらだ。
「早く行きましょ?」
「あっ、そんな急いだら危ないって……!!」
はやる気持ちを押さえられないように急いで駆け出したプリシラだけど、極度の運動音痴のプリシラがそんなに急いだら――
「きゃっ……!?」
「わわっ……!!」
言わんこっちゃない……!! プリシラは足をもつれさせてバランスを崩し、そのまま頭から地面に突っ込みそうになる。けどそこは手を繋いでいたことが功を奏し、私は咄嗟に手を引いて抱きとめるような形でプリシラを地面とのキスから救出することができた……!!
「あっ……」
「だ、大丈夫?」
思いがけず私の腕の中に納まることになったプリシラを見つめると、プリシラは呆然と言った感じの顔をしていた。危うく到着早々にケガをするところだったんだから無理もないけど。それにしても軽い、あれだけ食べているというのに何だこの軽さは。何度も何度も思うけど、世の中って不公平だと思う。
「え、ええ……ありがとう……助かったわ」
「もう……プリシラってば運動音痴なんだから。気を付けないとダメだよ?」
「あなたが運動出来過ぎるだけだと思うんだけど……」
それもまぁあるかもだけど、私の場合は鍛えているからだし、プリシラの運動音痴はそれを差っ引いても筋金入りだと思う。なんて言うか私よりよっぽどお嬢様らしいって言うか。まぁプリシラも男爵令嬢だしれっきとしたお嬢様なわけなんだけど。
「足とかくじいてない?」
「あなたのおかげでね……どこも痛くないわ」
「そう、それは良かった」
私の目の前でプリシラが傷つくなんて耐えられない。昔はあれだけプリシラに意地悪していたというのに、都合がいいと自分でも思うけど。
そんなことを考えていると、腕の中のプリシラが何か言いたそうに私のことを見つめてきた。
「何? プリシラ?」
「その……そろそろ離してくれない?」
「あ……!!」
私は無意識にギュッと抱き留めていたプリシラを慌てて解放した。
「ご、ごめんっ……!!」
「もうっ……まぁ、助かったし、いいけどね……」
プリシラがやや赤い顔をしながら乱れた服を直すのを見て、ついさっきまでプリシラが私の腕の中にいたことを実感する。
抱けば折れそうなほど華奢な体と、鼻をくすぐったプリシラの髪の香りを思い出して胸がドキドキした。出来ればもっともっと抱きしめていたかったなぁ……
「――はいっ」
「え?」
「え、じゃないわよ。ほらっ」
そんなよこしまなことを考えていた私に再度プリシラから手を差し出され、思わずうろたえてしまった。
これ、また手を握っていいってこと!? いいの!?
「もうっ、早く行きましょ?」
プリシラは焦れたように私の手を取って、今度は慎重に、でもなるべく急いで湖へと向かって歩いて行く。
「急ぐとまた転ぶよっ?」
「そうしたら、またあなたが助けてくれればいいじゃない」
「えええ?」
そんなことを言いながら、手を繋いだままの私達は湖まで到着した。プリシラってば微妙に息を切らしているけど、本当に運動はダメらしい。それでも目の前に広がる景色にプリシラは目を輝かせていて、そして色々と見て回っているうち、あるものに目を止めた。
「見て見て! ボートですって!」
遊覧船や大勢で乗るボートとか色々あるけれど、プリシラが特に興味を引かれたのは2人で乗る小さなボートらしく、それを見て子供みたいにはしゃいでいる。可愛すぎる。
「乗りたいの?」
「え、あ、その……の、乗ってみたいけど……その……」
「けど?」
プリシラは空いている方の手で髪の毛をいじっている。これは、プリシラが恥ずかしがったりしているときにする仕草で、私が凄く好きな仕草だ。
そしてプリシラは、ややためらいがちにゆっくりと口を開いた。
「……私……泳げないし……」
「……は?」
いやいや、転覆なんてしませんけど? 例えそうなってもボートに掴まればどうとでもなるし、周りにいっぱい人がいるから助けてもらえるよ?
「それに私、どうやって漕ぐかもわからないし……あなたと私で乗るなら、私が漕ぐのが筋ってものでしょ? まさか公爵令嬢たるあなたに漕がせるわけにはいかないし――」
「大丈夫よ、私慣れてるから。私に任せて?」
「えっ?」
ここに来た時はよくソラリスを乗せてボートで遊んでるし。ソラリスは「お嬢様に漕いでいただくなんて……!!」っていつも言うけど、だって自分で漕いだ方が楽しいんだもの。
……それに、方向音痴のプリシラに漕がせたりしたらどこに連れて行かれるか分かったものじゃないし、そもそもプリシラの細腕でオールを漕げるとも思えない。
私は戸惑うプリシラの手を引いてボートがある方へ向かっていき、係の人に案内されて私達はボートに乗り込んだ。その際日傘も手渡されたので、それをプリシラに渡す。
ボートと日傘とプリシラ、何とも絵になりそうだった。
「さ、それじゃあ行くよ?」
「え、ちょ……!! ほ、本気なの……!?」
「勿論、さ、しゅっぱーつ!」
まだプリシラは戸惑っているみたいだけど、私の腕を信じなさいっ。私はオールを握る手に力を込めて、漕ぎだした。
「わわっ……!?」
ボートは私の漕ぐオールに合わせてゆっくりと水面を滑るように進んでいき、私の目の前にはプリシラが日傘をさしてちょこんと座って、目を白黒させている。
「ボ、ボートってこんな感じなのね……っ」
「もしかしてプリシラ、ボート初めて?」
「え、ええっ……私の実家って山ばっかりだし、海も湖も無いもの」
そう言えばそうらしかった。となると、プリシラの初デートに続いて初ボートの相手も私が貰ったという事か……ちょっと、いや、とても嬉しい。
「どう? 初ボートの感想は?」
「楽しいわっ」
最初はおっかなびっくりって感じだったけどすぐになれたらしく、水に手を付けたりしてはしゃいでいる。もう可愛すぎるんだけど。
それにしても、まさかプリシラから言い出したからとは言え2人っきりでボートに乗れるなんて思ってもみなかった……幸せ……
「――ねぇ」
「何?」
私が幸せを噛みしめつつオールを漕いでいると、プリシラが私のことをじっと見つめながら話しかけてきた。
「ボート、慣れてるって言ってたけど……誰かと、その……よく乗ったりしたの?」
「ああ、ソラリスとね。ここに来た時はいつも2人で乗ってるのよ」
「…………………………ふぅん?」
なんだろう? なんか妙に間があったような?
「私、ボートが好きでよくソラリスを連れ出してたのよ。ソラリスは『お嬢様に漕いでいただくなんてとんでもありません』って言うんだけど、でもやっぱり漕ぐ方が楽しいから」
「……そう」
「それでね、ソラリスったら魚が跳ねたのに驚いて立ち上がったら、バランスを崩してそのまま水に落ちちゃったことがあって――」
「――ねぇ」
私の言葉を遮るように、プリシラが口を開いた。
「え、何?」
「……今、あなたは私をエスコートしてるのよ? ……そういう時には他の女の子の話をするものじゃないわ」
「え、あ、そうね、ごめん……」
あれ? でもそれってデートの時のマナーのような? それになんかこう、今のって焼きもちっぽいような気も……いやまさかそんな、プリシラが私に焼きもちなんて焼くわけないし、気のせいよね。
不思議な沈黙が2人の間に流れ、私はしばらく黙って漕いでいた。その沈黙を打ち破ったのは――プリシラの方からだった。
「――ところで、漕ぐのって楽しい?」
「え、ええ、楽しいわっ」
内心まだ動揺している私をよそに、プリシラはオールを漕ぐのを興味深そうに見つめている。
「私でもできるかしら」
「え、そりゃあ教えたらできるでしょうけど、でもプリシラの座ってる所からじゃ漕げない――」
「じゃあそっちに行くわ」
「えっ」
プリシラはゆっくりと立ちあがると、おっかなびっくりと言った感じで私が座っている方へと歩いてきて――
「よっと――」
――背を向けて、私に体重を預ける感じで私の足の間にちょこんと座ったのだ……!!
「――!?!?!?!?」
私は思わず声にならない悲鳴を上げる。
「ほら、どうしたの? 教えてよ」
「え、あ、えええ!?」
「ほら、早く」
「え、あ、う、うんっ……えっと、こ、このオールを持って、こうして……」
「こうかしら?」
――それから私はボートに乗っている間中ずっと、プリシラの体の重みを感じながら彼女にボートの漕ぎ方を教えることになったのだった――なんで!?




