第42話 血迷ったわ
「ねぇ」
「……!?」
一瞬何が起こったのかわからなかった。それくらい私にとっては驚愕に値することだったのだ。
今日の授業も全部終わり、教科書などを片付けてカバンに入れていたところ――
「ねぇってば、聞いてるの?」
――プリシラに、話しかけられた……!?
いや、もしかしたら私じゃない誰かに話しかけたのかもしれないけど、でもプリシラは私の真ん前に立って、私のことを見下ろしている。
これは、どう見ても私に対して話しかけている……!! そんな馬鹿な……!! 今まで一度たりとも教室で声をかけられたことなんて無かったのに……!!
声をかけるときはいつも私からで、それもあまり見られたくないとかで人目を避けてきたのに、それがプリシラから、それもまだ教室に人が大勢残っている状態で話しかけてくるなんて……!!
「ちょっとっ」
「あ……!! え、ええっ」
「聞こえてるじゃない。もう、無視しないでよね」
プリシラはそう言うと、両手を腰に当ててちょっとむすっとした顔をした。
いやいや、無視してたんじゃないよ!? あまりの事態にフリーズしていただけだよ!? だって教室でプリシラが話しかけてくれるなんて、夢にも思ってなかったから!!
「で、……なに?」
「その……えっと……」
胸の高鳴りを必死で抑えながら私が尋ねると、プリシラはそこで口ごもってしまった。何か言いたいことがあるようだけどどうしたんだろう。お昼には私のお弁当をお腹いっぱい食べたはずだけどもうお腹がすいたんだろうか? だってプリシラの胃袋って異次元に繋がってるんじゃないかってくらいよく食べるもの。
「もしかして、お腹でもすい――」
「バッ……!!」
「むぐっ!!」
お腹がすいたのかと聞こうとした私の口は、一瞬で伸びてきたプリシラの掌で塞がれてしまった……!! プリシラのお手々が、私の口に当たってるっ……!! なにこれ、どんなサービスなの!? ありがとうございます!!
かと思ったら更にプリシラは顔を赤くしながら私の耳元に口を寄せてきた……!!
「バカなの……!? 私の食事のことは言っちゃダメでしょ……!! これでも体面ってものがあるんだから……!!」
プリシラの熱い吐息が……!! 耳に……!! 当たってるっ……!!
「ご、ごめんっ……」
「気を付けてよね……もうっ……実はよく食べるってこと、みんなには内緒なんだからっ」
その秘密を知ってる数少ない1人であることに、優越感を感じてしまう。
それはそうと、小声でひそひそ話をする私達に凄く注目が集まってるけど、いいのかなぁ……。私達、もう噂的には付き合ってることになってるらしくて、それは未だにドンドン尾ひれが付いて拡散中らしいんだけど。
最新の噂では、もう私とプリシラは家公認の仲で卒業と同時に結婚することになってるらしい。なんてこった。
顔を赤く染めたまま、ゆっくりと離れていくプリシラに名残惜しさを感じる。もっと私の耳元で囁いて欲しかったなぁ……
それに、プリシラってばご飯の量のことを気にしてるけど、私としてはいっぱい食べるプリシラが可愛いと思うんだけど。
「おほん……」
プリシラは気恥ずかしさをごまかすように1つ咳払いをした。でもそこで周りの視線が集まっていることに気付いたらしく、慌てたように早口でまくし立ててきた。
「え、えっと、その、ちょっと頼みたいことがあったのよ……!! その、ほら、もうすぐ期末試験じゃない? で、その、またあなたにお勉強を教えてもらいたいなって……!! 前に言ったでしょ? また勉強教えてくれるって、だから、えっと……」
そうは言うけど、まだ期末にはもうちょっと時間があるんだけど……それでもプリシラが自主的に勉強を教えてくれるよう頼んでくるなんて、これは凄い進歩だ。私にはそれを断る理由なんて全く無い。
それにプリシラの数学って、その……かなりアレだし、時間があるに越した事はないからね。
「いいわよ。教えてあげる」
「そ、そうっ……!! じゃあ、お願いするわねっ」
なぜか教えてもらう側なのに偉そうに胸を張っているプリシラだけど、そんな偉そうにしている時のプリシラがとても可愛く見えてしまうのは惚れた弱みってやつなんだろうか。
そんなことを考えていると、プリシラの周りに彼女の友達が集まってきた。
「よかったねぇ~プリシラ」
「彼女と仲良く試験勉強……いいわねっ……これぞ青春よっ」
「しかもお相手はクリス様……!! 羨ましいっ……!!」
「だ、だから付き合ってないって言ってるのにっ……!!」
プリシラの反論は周りのかしましい声に虚しく消えていく。
「どこで勉強教えてもらうの?」
「バカねぇ。それはもうクリス様のお部屋か、プリシラの部屋に決まってるでしょ? そしてそのまま夜のお勉強も……きゃっ」
「いいなぁ~。私も恋人と夜のお勉強したいっ」
「あらあら、おませさんねぇ。……じゃあ私とどうかしら? その、夜のお勉強……」
「……え!! あ、うん……、じゃあ、夜、部屋に行くね……」
……なんか教室に新たな百合の花が咲いたようだけど、とりあえず気にしないことにしよう。
「ああもうっ……!! ほら、行くわよっ!!」
「え、あ、ちょ……!!」
私はプリシラに手を掴まれると、そのままずるずると教室の外へと連れて行かれてしまった。
私の手を握っているプリシラの手はやや汗ばんでおり、それが余計に私の胸を高鳴らせる。
「あ、あの……!!」
「何よっ……!!」
ずんずん歩くプリシラに声をかけるとその場で足を止めたけど、振り返ったその顔はもの凄く赤い顔をしていた。
「ああもうっ……やっぱり教室で声なんてかけるんじゃなかったっ……血迷ったわ……」
「あははは……」
「ほらっ、さっさと行きましょ?」
「あ、いや、だからその……」
「どうしたの? 歯切れが悪いわねっ」
いや、その、プリシラの向かってる方向がね……
「その……どっちかの部屋で勉強するの?」
私としては、それでもかまわないというか、むしろそっちの方がいいんだけど。
「そんなわけないじゃない。図書室に決まってるでしょ?」
あ、やっぱり、ただ間違えていただけなんだ――
「そっち、寮の方向よ」
「え!? あ、あれ……?」
「もう、プリシラってホント方向音痴よね……校舎で迷子になるのってプリシラくらいのものよ?」
「だ、だってっ……その、慌ててたからっ……じゃあ、こっちねっ……」
「違うわ、こっちよ」
「え?」
そしてまた違う方向に歩き出そうとしたプリシラの手を握ったまま、私達は図書室へと向かったのだった。




