第36話 【ソラリス】お嬢様が幸せなら
ソラリス視点でのお話です。
「昨日のお嬢様、可愛かったなぁ……」
プリシラにお弁当を『全部あーんで食べさせる』というとんでもないことをやってのけたお嬢様は、もうこれ以上ないほど幸せそうだった。
そんな幸せそうなお嬢様を見て、私も幸せな気持ちになると共に――胸の痛みも感じてしまっていた。
「お嬢様……」
ここ最近、お嬢様は変わった。凄く変わった。具体的に言うと今年度の入学式の日あたりから、まるで生まれ変わったと言えるほど変わったのだ。
それまでのお嬢様は、まるでプリシラのことを目の敵にするように日々意地悪ばっかりしていたのに、それがその日を境にパタリとやんだ。
――それはまぁいい、だってプリシラに意地悪なんかしてもお嬢様にいいことなんて何もありはしないんだから。私も付き合って意地悪してはいたけれど、正直あまりいい気持ちはしなかった。だって別に私はプリシラに悪感情はなかったんだから。
それでもお嬢様がそうしたいと考えたなら、私はそれに従った。それが私の務めだったから。――たとえそれが間違ったものだったとしても。
それなのに――お嬢様の趣味と言ってもいいほどだったプリシラへの意地悪を、お嬢様が止めるなんて。それどころか、それまでのことを償うかのようにプリシラに優しく接し始めたのだ。
最初の一か月は、それはもうけんもほろろで、全く相手にされていなかった。でもそれは当然で、2年間も意地悪をしてきた相手が突然手のひらを返したら疑うのは無理もないことだ。何を無駄なことをしているんだろうかと思ってみていたけれど……
「それなのにっ……」
お嬢様から聞いた話では、プリシラに『もう意地悪をしない』ということを証明するため、あろうことか燃え盛る炎に足を突っ込もうとしたらしい。自分がどれだけ尊いご身分なのか、お嬢様には自覚が無いんだろうか?
でもその身を挺した振る舞いによって、お嬢様はプリシラにもう敵意が無いことを信じてもらうのに成功したらしい。……まさかそんな手があるなんて思ってもみなかった。……いや、お嬢様のことだから、手とか策とか小賢しいことは一切考えていなかったと思う。つまりただただ純粋に、プリシラと仲直りしたかったという事になる。
「そんなに、なんですか……」
私は手を痛いほどに握りしめ、未だ夢の世界にいるお嬢様を見つめる。
そうまでしても、お嬢様はプリシラと仲良くなりたかったのだ。あれだけ嫌っていたのに、それなのに……でも、好きと嫌いは裏返しのコインのようなものって言うし、あれだけの執着を見せて執拗なまでにプリシラに意地悪をしていたという事は逆に言えばそれだけ強い想いが隠れていたと言うことになる。
――お嬢様は、プリシラに恋をしている。それも信じられないほどに。
ご自身の気持ちに気付いてからのお嬢様は、本当に一途だった。私の策もあって、デートをすることにも成功し、お勉強も教えてあげ、お弁当まで差し入れることができた。
あれほどに嫌われていたはずなのに、気が付けばプリシラのお嬢様に対する悪感情はかなり薄まってきているのを感じられる。もちろん現時点でも恐らくマイナス評価だとは思うけれど、それでも今年度の始業式時点に比べたら天と地と言ってもまだ足りないくらいだ。
そう、仲は劇的に改善してきている。他ならぬ、私自身の協力によって――
自分でもどうかしてると思う。私にとってプリシラは、愛しのお嬢様が想いを寄せている恋敵でしかない。
その恋敵と、お嬢様の仲を結びつけるように人一倍努力をしているのが、他でもないこの私。
「どうかしているっ」
分かっている。それでも私は、お嬢様に笑っていて欲しい。
今だから思うけど、お嬢様がもし自分の恋心に気付かず、そしていつか年月がたった時、もうプリシラが取り戻せない存在になった時――お嬢様は人生で最大の絶望を味わうことになっていただろう。
その絶望はお嬢様を蝕み、その人生は後悔と懺悔しか無くなってしまう――そんな未来がありありと浮かんできた。まるで我が身で経験したかのように、ハッキリと。
だから私は愛しいお嬢様のためにも、お嬢様とプリシラの仲を取り持たないといけない。それがたとえ恋敵に塩を送る行為だとしても、だ。
「でも、そもそもが無理な話なんだけどね――」
――私とお嬢様では、身分が違いすぎる。
お嬢様はこの国でも指折りの大貴族である、ウィンブリア公爵家の公爵令嬢。片や私はそのお嬢様に仕える平民のメイド。そもそも住む世界が全く違う。
昨今では貴族でも身分違いの恋を実らせて結婚するという事も無くは無くなってきているけれど、それはあくまでもまだ下級貴族に限った話。公爵令嬢がメイドと結婚なんてありえない話だ。
そもそも私はお嬢様に恋愛対象として見られてないから、そんなことを考えるだけでも大それたことなんだけど。
それでもプリシラなら、お嬢様と結婚できる。
その事実に、私の胸がズキリと痛む。
プリシラは下級とは言えれっきとした貴族。お嬢様とは爵位が比較にならないものの……私と比べたらそんなもの障害とは言えないレベルの話なのだ。まぁ肝心のプリシラがまだまだお嬢様のことを苦手に思っているからそれもまた遠い話なんだけど、それでも私よりは遥かに近い。
そんなプリシラに、私がある意味肩入れするなんてほんとバカげている。私が欲しくて欲しくて、でも決して手が届かないその星に、手を伸ばせばギリギリ届く位置にいるプリシラに何で私が協力しないといけないんだって思う。
まぁ今のプリシラからしたら私の協力はいい迷惑なんだろうけど。現にお嬢様とプリシラとの噂をこっそり広めて外堀を埋めていっているのは私なんだし。
――それでも私は、お嬢様のためにプリシラとの仲を取り持つ。
だって私の幸せは、お嬢様が幸せになる事なんだから。お嬢様が幸せなら、私はそれで満足なんだ。
……とは言うものの……まぁ、できれば、その……結婚なんて大それたことは言わないけど……ご寵愛を頂いて、可愛がってもらいたいとは切に願っている。
そのためにこっそりと努力は欠かしていないんだけどねっ。
さて、今日もねぼすけなお嬢様を起こさないと! 私は気合を入れなおして、気持ちよく寝ているお嬢様の肩に手をかけたのだった。




