第34話 私、お腹すいてるんだけど
「どうしたの? 食べないの?」
「え、いや、でも、だって……」
プリシラは目の前に差し出された至高の卵焼きを前にゴクリと喉を鳴らしつつ、私から『あーん』をされていると言う事実に固まっていた。
「……な、なんでこうなるの?」
食べたいと言う思いと困惑がごちゃ混ぜになったような顔をしているプリシラに対して、私は彼女がやらかしたミスを指摘してあげる。
「――だってさっきプリシラ、『食べさせて』って言ってたよね? だからこうして『食べさせて』あげるのよ」
「……!?」
プリシラの顔に「しまった……!!」って感じの表情がアリアリと浮かぶ。でももう言質は取っちゃったんだよねぇ?
……まぁそうは言うものの私自身心臓バクバクで、それが顔に出て無いか不安だったけどそれでもここまで来たら強気で押すしかない。
「ほ、ほら、『あーんっ』」
「え、ええ……でもっ……」
プリシラは周りをきょろきょろと見回している。こんなとこを誰かに見られたら、今度こそ噂が決定的になると思っているのかもしれない。でも噂的には既にもう手遅れの気もするんだけど。
「そ、それは言葉の綾ってもので、そんな意味じゃなくて、その……」
「だーめ、こうしないと食べさせてあげないから」
「そ、そんなっ……」
私から無情な宣告を受けたプリシラが、恥じらうように口元に手を当ててモジモジとする。めっちゃ可愛い。
「で、でもっ……、私、その……『あーん』なんて、そんなはしたないこと……初めてなのにっ……」
これがプリシラの初『あーん』!? ならばぜひ私が貰わなくては!!
私は内心の興奮を押し殺して、努めて冷静に話を続ける。
「まぁまぁ、プリシラ、よく聞いて?」
「な、何をよっ……」
「私は何も、全部を私が『食べさせて』あげないとダメって言ってるわけじゃないのよ?」
「えっ……?」
ここからが、ソラリスから授かったこの策の用意周到なところだ。
「この一口、一口だけ『あーん』をさせてくれたら、後は自由に食べていいから」
「ひ、一口だけ……?」
私はプリシラの目の前でフォークを揺らすと、彼女の目がそれに釣られて右に左にふらふらと動く。よし、もう一息だ。
「そう、一口だけ。そうしたら、このお弁当の中身はみ~んなプリシラのものよ? どうかしら?」
プリシラに安堵したような気配が流れる。それはそうだろう。いくら最高に美味しそうなお弁当とは言っても、まさか全部を私から『あーん』で食べさせてもらうなんて彼女からしたら冗談じゃないに違いない。
「……そ、それなら……まぁ……」
勝ったっ!!
恥じらうような、それでもなお躊躇するような表情を浮かべるプリシラに、私は心の中で喝采をあげた。
「し、仕方ないわね…………ホントに一口だけでいいのね?」
「ええ。いいわよ」
私は内心飛び上がりたいほどだったけど、何とかそれを堪えて頷く。
最初に全部『あーん』だと思わせといて、そこから最初の一口だけと譲歩することで条件を飲ませるという、ソラリスの策がドンピシャで当たった。流石よソラリス。
「じゃ、じゃあ……プリシラ……?」
「わ、わかったわよっ………………あ、あーんっ……」
――可愛らしく拗ねるようにぎゅっと目を閉じて、口を上品に開いたプリシラに私は心から震えていた。
プリシラに!! 私が作った料理を『あーん』出来る日が来るなんて!! 今日の日記は長くなりそうよ!! それにしてもプリシラのお口の中、歯並びもいいし凄く綺麗……
「…………はいっ……あーんっ」
私の前で目を閉じてお口を開けているプリシラをずっと見ていたい衝動と、手の震えを必死で抑え込み、私は念願のプリシラへの『あーん』を実行した!!
「あむっ……むぐむぐ……」
じっくりと味わうようにお口をモグモグしているプリシラは、もう言葉にならないほど可愛い。まぶたにはしっかりと焼き付けたけど、それでもどうにかこの光景を永遠に保存する手段は無いものだろうか。これからの科学技術の発展に期待するところ大である。
そしてプリシラはそれをゴクリと飲み込み――
「――素晴らしいわっ……」
「やったぁっ……!!」
賞賛の声をあげた。
そんなプリシラに、私は我慢できなくて思わずはしゃいでしまう。
「卵焼きをここまでのものに仕上げるなんて……あなた、本当に凄いわ……ちょっと尊敬しちゃう。だってこんな美味しい卵焼き、今まで食べたことないもの」
大はしゃぎする私を見て、プリシラはどうやら私が作ったものだってことを信じてくれたようだ。
「で、でしょ~? ここまで来るには大変だったんだから」
食べさせる相手もソラリス以外いなかったけど、それでもあなたに食べてもらうところを想像して、そんなの叶わない願いだと分かっていてもずっと練習してきたんだから。そのありえないと思っていた夢が、ついに今日叶った……!!
「そう……本当に、努力したのね……」
プリシラはそう言うと、感動で震えている私のことをじっと見つめてくる。
「――さっきの非礼を改めて謝罪させてもらうわ。ごめんなさいっ……あなたの腕は素晴らしいわ」
「も、もう、いいってば。ほら、それより食べて食べて?」
私はずいっとお弁当箱を差し出したけど――何故かプリシラはそれを受け取らない。
「どうしたの? 食べていいのよ?」
「……ええ、そうね。それじゃあ……」
「???」
不思議がる私に対し、彼女は予想外の台詞を口にする。それは本当に、本当に予想外で、このパターンは流石のソラリスでさえ想定できなかった。その、言葉とは――
「……『あーんっ』」
「……ほぇ?」
――え? 何? 何が起きてるの?? プリシラったらまた目を閉じて、お口を開けて待ち構えているんですけど!?
「ぷ、プリシラ……?」
「……何よ? 早く『食べさせて』よ。 ……私、お腹すいてるんだけど」
プリシラが!! 私に!! おねだりしてる!? ウソでしょ!?
「ええええええ!? で、でもっ!? 一口だけって、さっき……!!」
うろたえる私に、プリシラは片目を開けてうっすらとした笑みを浮かべてみせる。
「これが、あなたへの謝罪と……そして敬意よ。その……どうしてか分からないけど、あなた私に『あーん』、したいんでしょ?」
「……!!」
こんなの……こんなのって……!!
終始私が優勢だったのに、これじゃあ逆に私の完敗じゃないか……!!
勝負の最後の最後で大逆転を食らった気分だったけど、それでもこんな大逆転なら何度食らってもいいものだと思えた。
「ほら早くっ、……『あーんっ』」
そんなことを考えている私を、プリシラが急かすようにおねだりをしてくる……!!
「え、ええっ……!! 卵焼き以外も美味しいんだからっ!!」
そうして私は今日この日、人生で最も幸せなお昼休みを過ごすことができた。なぜなら、私がプリシラのためを思って作った大盛りのお弁当箱の中身は、私の『あーん』によって、全てプリシラのお腹に収まったのだから――




