第26話 お礼
「あなたが私に勉強を……?」
「うん」
『何言ってるんだこいつ』って気持ちが思いっきり顔に表れているプリシラが、まじまじと私を見つめてくる。
「いや、なんでそうなるの?」
「だって、困ってるんでしょ? プリシラ」
「いや、それはそうなんだけど……」
プリシラは、後頭部をぽりぽりと手でかいた。
「……そんなことをして、あなたに何の得があるって言うの?」
「得とかそう言う問題じゃなくて、私がプリシラを助けたいのよ」
「いや、そんなこと急に言われても……」
「信用できない?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
私が過去に戻って来てからの変化に、プリシラは未だかなり戸惑っているようだ。何しろ自分にあれだけ意地悪をしていた相手がパタリと意地悪を止めたどころか、モノに釣られてとは言えその相手とデートまでしてしまったのだから。
更に今度はその相手が自分を助けてくれるなんて言いだしてるんだから、プリシラの困惑も実にもっともな話だ。
「ソラリスも、私が教えてあげているのよ」
「ソラリスも……? 道理で、あの子も確か上位にいるものね」
「そうよ。試験が近くなると、いつも教えてあげているの」
「ふぅん……やっぱり仲がいいのね?」
それは当然だ。だって私とソラリスは生まれたときからの幼馴染で、私の1番の友達なんだから。部屋だって同じだし、これまでの人生でも、そして前の人生でもずっと一緒にいてくれたのよ。
「ソラリスと、その……」
「ん?」
プリシラは、何か聞きにくいことを聞くような顔をしている。
「……お付き合いしているの?」
「…………へ?」
何それ。何の話? 何でそうなるの?
「違うの?」
「違うわよ? 何でそう思ったの?」
「いや、だって……あなた達いつでも一緒にいるんだもの。それに傍から見ていても仲睦まじいと言うか……」
「そうかな?」
「そうよ。それに私、あなた達が付き合ってるって噂も聞いたことあるわよ?」
えっ、何それ初耳。
「でも、そう噂されても仕方ないと思わない? だって実際、あなた達それくらい仲良く見えるし」
「それは、まぁ、仲がいいのは当然だけど。だって彼女は私のお付きのメイドだし……それ以上に私の友達だけど」
私がそう言うと、プリシラは唇をちょっと尖らせて何か考えているような顔を見せた。
「そう……罪な女ね」
「え? 罪ってどういうこと?」
「まぁいいわ、忘れてちょうだい」
それっきり、プリシラはソラリスに関して聞いてこなかった。そしてちょっとの沈黙ののち、彼女がゆっくり口を開く。
「……それで? 私に数学を教えてくれるんだっけ?」
「……!! ええ!!」
私は自分でもわかるくらい声が弾んでいた。
「数学だけじゃなくて、あなたが望めば全教科だって教えてあげるわよ? 外国語と歴史もあまり点数良くないでしょ? たしか前の試験では赤点スレスレで――」
「だから何でそんな私の点数に詳しいのよ!?」
それはまぁ好きだから。
「はぁ……まぁいいわ。別に点数自体は友達にも話してたし、別に隠すような点数じゃないし――」
「いや、あまり大っぴらに出来る点数でもないと思――」
「それを言わないで」
プリシラはぴしゃりと言うと、ぷいと顔をそむけてしまった。でもこの少しむくれてるときのプリシラの横顔が、私的に可愛いプリシラの顔、筆頭候補なんだよね。
そして私がその可愛い横顔に見とれていると、プリシラがゆっくりと再びこちらに振り向いた。
「…………まぁ、それじゃあお願いしようかしら」
「いいの!?」
「いや、あなたが『いいの!?』っておかしいでしょ? あなたが私を助けてくれるって言うのに」
「それはそうなんだけど」
それでも、私的にはやっぱり『いいの!?』なのだ。だって断られることも想定していたからね。でもそれくらい彼女も切羽詰まっているってことなんだろうか。
「正直に言うと、あなたに教わるなんてやっぱり気が進まないけど……それでもあなた以上はいないってのも事実だからね……」
「そこはまかせてよ! 大船に乗ったつもりでいてね!!」
私はドンと自分の胸を叩く。
「はぁ、それじゃあお願いするわね。実を言うと、次の試験本気でまずいのよね……このままだと確実に赤点よ」
それはそうだろうね。だってあなたの未来はこのままだと19点だし。
でもその未来は私が変えてあげるから、安心してね!
「さて、それじゃあお勉強の場所だけど……私の部屋に来る?」
「それはイヤ」
即答されてしまった。しょぼん。でもこれはソラリスの想定内だ。
「じゃあ……図書室にでも行く?」
「……そうね、あなたの部屋よりはぜんぜんいいわ」
よしよし、上手くいった。まず私の部屋という断られるであろう案を出して、そこから図書館に下げればそこで頷くだろうという、ソラリスの読み通りだ。
他の選択肢としては教室くらいなものだけど、やっぱり放課後の図書室の方が、他にも恋人たちが仲睦まじくお勉強に来たりしていてムードがあるからね。
「でも、他の人に見られたくないし……場所は隅っこにしましょ」
「うんうん、そうだね」
隅っこで2人っきりの方が、よっぽど忍ぶお付き合いをしている恋人同士っぽいんだけど、どうもプリシラはその辺鈍いらしい。
「さ、それじゃ行こうか?」
ベンチから立ち上がった私に、プリシラが驚いたような顔をした。
「えっ? 今日からなの? あ、明日からでも良くない……? ……ね?」
――どうもプリシラはさっき自分でまずいと言っておきながら、それでもまだ自覚が足りないようだ。これは徹底的にいかねばなるまいて。
「プリシラ……?」
「うっ……」
わたしからじ~~っと見下ろされ、ついに観念したようにため息をついた。
「はぁ……わかったわよ……」
「よろしいっ」
大きくうなずく私に――
「じゃ、はい」
「え?」
プリシラがそう言いながら差し出してきたのは……彼女の右手だった。え? なにそれ? どういうこと?
「…………なによ? 早く握ってよ」
「……え!? いいの!?」
これは夢!? 夢なの!?
「だから、お礼よ。…………いや、こんな言い方すると自意識過剰みたいでイヤなんだけど!! えっと、何て言うか、ほら、あなたこの前のデートの時、『お礼に何かして欲しいことはある?』って言ったら『手を握って欲しいって』って言ったから……!!」
プリシラは、何というかもう聞き取れないくらいに早口だった。
「だ、だから、今回も借りを作りっぱなしって言うのもアレだし、すぐ返したいのよ!! い、イヤならいいのよ、別に手じゃなくても……!! でもあなたがあの時あんまり嬉しそうだったから、その……!!」
「プリシラっ……!!」
私はプリシラがまだ言い終わるか終わらないかのうちに、握る許可を貰えた彼女の手をとった。こうも早く、再び彼女の手を握れるなんて思っていなかった。なんて幸せなんだろう。
ああっ……プリシラの手の感触が再びこの手にっ……
「あなた……」
私の嬉しそうな様子を見て取ったのか、プリシラが苦笑する。
「私の手を握れて、そんなに嬉しいの?」
「うんっ」
「何がそんなに嬉しいのやら……まぁいいわ、行きましょ」
プリシラはそう言うとすっくと立ちあがり、私の手を引いて歩きだす。でもそっちは違う方向なんだけど。
「違う、こっちよ」
「え、あ、そうだっけ……」
もうこの方向音痴はやばいレベルね。そのせいで遭難したわけなんだし。まぁそのおかげで距離を縮めることができたんだけど。
「でも、また手を繋いでるとこなんて見られたら、その……」
「ああもうっ……いいわよ別に、こんなのあろうが無かろうがどうせ噂するでしょ」
「それは確かに」
全くもってその通りだった。まぁより盛んになるかもしれないんだけど。




