第18話 彼女の爪痕
12/7に大幅に書き直しました
「ふっぐっ……うううっ……」
舞台に幕が下りて拍手が鳴りやまぬ中、私の隣の席からはむせび泣く声がずっと聞こえていた。その鳴き声の主は……当然プリシラだ。
「素晴らしかった……素晴らしかったわっ……」
よっぽど感動したんだろう、さっきからそれしか言えないほどに語彙力が低下し、涙で顔がぐしゃぐしゃになっている。
プリシラの言う通り、確かに素晴らしい舞台だった。脚本は古典の名作だけのことはあって非の打ち所がなく演出も最高、それに役者もプリシラが言う通り素人でも凄さが伝わってくるほどの名演だった。
でも私は途中からそれどころではなくなっていた。
「………………」
なぜかと言えば、それは私の左手に原因がある。ひじ掛けに乗せられている私の左手、その左手に覆いかぶさる形で乗っかって……いや、握りしめているのは――
「ああっ……こんな幸せでいいのかしらっ……」
――さっきから感動で我を忘れている、プリシラの右手なのだから。
クライマックスで舞台に没頭したプリシラは無意識でひじ掛けを握り締めようとして、その上に乗っている私の左手に気付かず代わりにそれを握りしめていた。
そして今も気付いていない。
「………………」
私の手を、プリシラの手が握っている。いや握っているどころか痛いほどに爪まで立てられている。てかかなり痛い。でも放して欲しくない。出来ればこのまま時が止まってしまえばいいのに。
恋する相手に爪を立てられている、その夢のような現実に、『こんな幸せでいいんだろうか』というセリフは私にこそふさわしいと思った。
本当に、本当にこの公演を見に来てよかったと、マリーベルにどれだけ感謝しても足りないくらいだ。
「はぁっ……最高だったわっ……あなたもそう思うで、しょ…………?」
プリシラがようやっと我に返り、私の方に振り向きながら感想を求めようとして――自分の右手が何を握っているかにようやく気が付いた。
「…………ひゃっ!?」
プリシラの手が私の手から離れた。ああっ……もっと握っててほしかったのにっ……
「ご、ご、ご、ごめんなさいっ……!! 私、夢中になっててっ……!!」
「あ、いや、いいよいいよ」
「本当にごめんなさいっ……!! ああっ……こんなに爪痕がついて……」
私の左手にくっきりと刻み付けられた彼女の爪痕を見て、プリシラがうろたえる。
「痛かったでしょ? なんて謝ったらいいか……」
「いや、ホント大丈夫だから、全然痛くないから」
正直言うとけっこう痛かったけど、それでもプリシラから付けられた爪痕だと思うと、不思議と全然これっぽっちも悪い気はしなかった。むしろ最高だとさえ思えた。私ってほんとプリシラに惚れてるのね。
「で、でもっ……」
たとえそれが嫌いな私相手だとしても、傷つけてしまったことに心から悪いことをしたって顔をしているプリシラ。ほんと、いい子なんだなぁ。
「それよりさ」
「えっ」
私は気恥ずかしさをごまかすように話を切り替えた。
「……最後に2人、会えてよかったね」
「そうね……死の間際だけど会えた2人は幸せだったでしょうね」
本当は想いあいながらも、ふとしたすれ違いから起こった事件で道を違えた2人は最後の最後、主人公が死の床に伏しているところで再会を果たした。
途中までは私の人生を見てるかのようだったけど、それでも結末は違った。私と違って最後に会うことができたんだから。私の場合は自業自得なんだけど。
「でも、私はもっと幸せかも……」
「えっ? 何か言った?」
だって私は奇跡によってこうしてやり直す機会を貰うことができたんだから。そしてそのために、私はさらに手を尽くさないといけない。そのためだったらコネだろうが何だろうが、使えるものは何でも使ってやろうじゃないか!
「なんでもないよ。えっと……それでなんだけど……」
「何?」
そこで、いまだ興奮冷めやらぬ様子のプリシラに、用意しておいたとっておきのサプライズを繰り出すことにする。これは昨日お父様に会いに行って頭を下げて、特別に計らってもらった隠し玉だ。
「ねぇ、マリーベルのこと、そんなに好き?」
「勿論よ! 彼女以上に好きな女優はいないわ!」
彼女の好きって言葉にちょっとジェラシーを感じるけど、女優さんに焼きもち焼いても仕方ないよね。
「えっとね……これで一応今日のデートプランは終わりなんだけど……まだ時間ある?」
「いや、それは、まぁあるけど……それがどうかしたの?」
「実は、プレゼントがあって……」
「プレゼント?」
もったいつけるような私の態度に、プリシラが興味を示す。でも私はさらにじらして彼女からの視線を楽しむことにする。
「きっと喜んでくれると思うんだけど」
「へぇ、何かしら」
彼女はそうは言っているものの、そこまで期待してないって感じだ。確かにそれはその通りだろう。並大抵のものでは嫌いな私から貰っても大して嬉しくないに違いない。そう、並大抵のものなら、だ。
しかし私が用意してきたのは、そんじょそこらじゃ用意できない代物なのだ。
「この後ね――」
「うん」
たっぷりと溜めて、私はそれを彼女に告げる。
「――マリーベルと会えることになってるんだけど、会いたい?」
「…………は?」
一瞬何を言われたのか分からないって顔になったプリシラは、その意味するところにしばらくしてから気付き、顔色を変えた。
「……ええええっ!? う、ウソでしょ!?!?」
「ホントホント、もう話は通してあるから。楽屋に来ていいって」
「楽屋に!?」
昨日のうちにお父様を通じて話は通してあった。これもコネの力ってやつだ。まぁ私自身の力じゃないんだけど。
「ホントに!? ホントにホントなの!?」
「だからホントだって」
しつこく何度も私に尋ねるプリシラだけど、それがどうやらホントだとわかったのか――私の手をぎゅっと握った……!!
「ありがとうっ……!!」
「わわわわわ……!?」
プリシラが、私の手をまた握ってる!? これは夢なの!? それとも天国!? ああっ、もう死んでもいいかもっ……!!
「私、ずっとマリーベルに会いたいと思っていたの!! 嬉しいっ!!」
プリシラが子供みたいに目を輝かせて、彼女の爪痕がまだ残る私の手を握っている。
サプライズを用意しておいて良かった、と心の底から思った。




