第110話 あの日のこと
「んっ……」
夜、ふと目が覚めた私が隣を見ると、3人の嫁達がすやすやと気持ちよさそうに眠っていた。
今日も何とか嫁達から逃げ切ったけど、日に日にアタックは激しくなってきている。今夜も寝る前には1時間にわたって3人の嫁達から代わる代わる唇を求められ、あわや服を脱がされそうになったところで何とか制止して寝ることになった。
このままだと私、式の前に食べられちゃいそう……でもそれだけは何とか回避しないと。そりゃあ私だってみんなから可愛がってもらいたいけど、それでも式の前に一線を越えるなんてあってはいけないからねっ。
「ふぅっ……」
私は1つ大きく息を吐いて――そこで急速に襲って来たお手洗いに行きたい感に、私はブルっと身を震わせた。
ちょっと寝る前に水分を取らされ過ぎたかしら、早くお手洗いに行かないと……と思ったところで、プリシラが腰にしっかと抱きついていることに気が付いた。
「え……ちょ……」
このままでは、大変なことになってしまうんだけど? 私を含めて4人が寝ているベッドで粗相なんかしたらそれこそ一大事で、まさにテロよ、テロ。
そう思った私は、悪いとは思ったけどプリシラの肩をそっと揺する。
「プリシラ……プリシラっ……」
「んんっ……」
「ねぇ、手、ほどいて……? じゃないと私っ……」
「んん……むにゃ……」
寝起きの悪いプリシラを何度も何度も揺すって、それでも全然起きる気配が無い。
「ねぇっ……ねぇってばぁ……お願いっ……起きてっ……」
さらに強く強く揺さぶり、ようやっとプリシラがうっすらと目を開けた。
「ん……んにゅ……?」
「プリシラ……っ」
「……どう、したの……? くりす……」
「手、離して……? その……お手洗い、行きたいのっ……」
「んぇ……?」
寝ぼけているプリシラは、私の腰をがっちりとホールドしていることに気付いていないようだ。早くしてくれないと、その、私っ……
「ぷ、プリシラ……お願いっ……」
「……といれ?」
「そうよ、だから……ねっ?」
「私も……行くっ……」
「えっ」
プリシラは寝ぼけまなこを擦りながら私から手を離すと、ムクリと起き上がった。
そして私の手をぎゅっと掴んで、そのままよろよろと扉のほうに歩いて行こうとする。
「ちょっ、ちょ……プリシラも、お手洗い行きたいの?」
「うん……そう……」
なんか凄く寝ぼけているみたいなんだけど、大丈夫かな……?
私は迷子の子を案内するかの如くプリシラの手を握りながら、暗い廊下をカンテラの灯りを頼りにペタペタと小走りで歩いて行った。
でも、こうして廊下をプリシラと2人で歩いていると、夏の別荘に行ったことを思い出すなぁ。とか考えていたら、
「…………ふぇ?」
「えっ」
私のすぐ後ろを歩いていたプリシラが、突然変な声を上げた。
「どうしたの? プリシラ」
「…………なんで私、廊下歩いてるの?」
「……は?」
もしかして、今目が覚めたの? たった今まで寝ぼけてたの?
「いや、お手洗いに行こうとしたら、プリシラも私も行くって言ったんだけど」
「そう……なの?」
「覚えてない?」
「うん」
プリシラってば完璧に寝ぼけていたらしい。なんてこった。
「えっと……プリシラだけ寝室に戻る?」
「いやよ……こんな広いお屋敷、怖いもの……あなたと一緒にいるわ」
「そう、じゃあお手洗いに一緒に行きましょ?」
「ええ……わかったわ……」
それから慌ててお手洗いに駆け込んで、私が無事尊厳を守ったところで寝室に戻ろうとすると――
「……ねぇ、ちょっとお話ししない?」
「え?」
「だって……思わぬ形だけど久しぶりに2人っきりになったわけだし……ね? いいでしょ?」
「じゃあ、ちょっとだけよ……?」
そして私達は客間の1つに入り、暖炉に火を付けた。冷え切った部屋に、暖かい炎がじんわりと暖かさを与えてくれる。
……でも、このシチュエーション……こうして私とプリシラの2人っきりで火を囲んでいると、どうしてもあの山での出来事を思い出してしまう。あの、プリシラが遭難して私が助けに行ったあの日のことを――
「ねぇ」
「!? な、なに?」
「こうしてると……思い出さない? ……あの日のこと」
「それって……」
私が思い出していた、あの日のこと……よね?
「私が山で遭難して……あなたが助けに来てくれた日のことよ」
「…………」
「あの頃の私、本当にあなたのこと嫌いで……それなのに、あなたがいきなりやって来たから本当にびっくりしたわ」
「それは……そう、よね」
雨に散々打たれて凍えながら震えていたはずなのに、それでも私にだけは絶対に近寄って欲しくないって感じだったし、我ながらよくもあそこまで嫌われたものだと思う。
前世では……そんなプリシラにいら立った私がひどいことをして……それで2人の仲が修復不可能なレベルで完全に終わったのよね……本当に、本当に昔の私ってば……
「だから、私を助けに来たんだと言われた時は……驚いたわ」
「ごめんね……」
いっぱい、いっぱいいじわるしてきて。
「あ、だから、謝らなくていいってば……私はもう許したって何度も言ったでしょ? それに……」
プリシラはぽすりと私の肩に頭を乗せてきた。
「私に構って欲しかったからいじわるしていたんだっていうのも、今となってみたら可愛く思えて来たし……だってそうまでして、私に執着していてくれたってことなんだもん」
「プリシラ……」
「だからね、まぁ結果オーライってやつよ」
プリシラの微笑みが、暖炉からの灯りに照らされている。
「それでいい、のかしら……」
「私がそう思ってるんだから、それでいいのよ」
「あっ……」
私は、あっという間にプリシラに抱きしめられて、その腕の中にいた。
「あなたをこうして嫁にできるわけなんだしっ。言ったでしょ? 私、あなたと初めて会った時、あなたをお嫁さんにしたいと思ったって」
「形的には、プリシラが私の嫁なんだけど……」
「まぁいいじゃない。実態はこうなんだから」
「それは……まぁ、そうだけど」
形の上では私が3人の嫁を貰う、という事になるけれど……実際は私が3人の嫁になるようなものだもんね。
「はぁ……早く式の日が来ないかしら。いい加減生殺しも辛いわ」
「ちょ、ぷ、プリシラっ……」
プリシラが、私の耳をハムハムと甘噛みしてくる。私はくすぐったさから逃れようとするけど、プリシラは私のことをがっちりと抱きしめたまま離さない。
「いっそのこと、この場で……」
「こらこらこら!」
ベッドの方チラチラ見るのやめれ!! 式までダメって言ってるでしょ!?
「だってぇ……せっかく付き合ってるのに、むしろ付き合ってるときの方が2人っきりの時間減ってない?」
「それは、まぁ……そうだけど……」
「だから、ね? せめて今晩は一緒に寝ましょ?」
「ダメでしょ!?」
こんな状態のプリシラと2人っきりでベッドに入ったりなんかしたら、絶対私食べられちゃうもん!
「絶対何もしないからっ」
「ウソだっ!!」
「まぁウソだけど」
早! 認めるの早!! せめてもうちょっと取り繕おうよ!?
「ちぇ~。まぁそれも冗談だけどっ、あの子に隠れて抜け駆けするのも何か負けた気がするし」
「これは抜け駆けじゃないの?」
「これくらいならセーフよセーフ、だってお手洗いに行った帰りにちょっとお話しているだけじゃない」
こうして私、抱きしめられているけどね? それにしても……
「やっぱり何気にプリシラとソラリス、仲いいよね……?」
「またそれ? やめてよもうっ、あの子は私の……そうね、恋敵ってやつよ? あなたを奪い合う、ね」
「こ、恋敵って……嫁でしょ?」
「嫁でも恋敵は恋敵よっ。私からしたらソラリスが羨ましくて仕方ないんだからっ」
羨ましい……? プリシラが? ソラリスを?
「そう、なの?」
「そうよっ、だってあの子は私の知らないあなたのことをいっぱい知ってるんだから。……羨ましいに決まっているじゃない!」
「そ、そっかぁ……えへへ」
「そこで喜ばないでよっ、照れるでしょっ……もうっ」
照れ隠しなのか、プリシラがあぐっと耳をさらに甘噛みしてきた。
「まぁでもほら、私達はここから思い出を作っていけばいいじゃない」
「それもそうね、それじゃあ……今から思い出、作っちゃう……?」
だからベッドの方を見るなと言うに!
「んもうっ……!!」
「だから冗談だってば。ほら、私が本当に変な気になっちゃう前に戻りましょ? あの子達が目を覚ましでもしたら私、正座させられてお説教されちゃうわ」
「それはそれで見たい気もするけど」
「こらっ」
プリシラからデコピンをされて、それから私達はこっそりとベッドに戻った。




