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エピローグ そしてまた、いつの日かでござる



 あれから半年が過ぎて。

 ライトタウンにも、冬が来ていた。


 こんこん、と扉をノックして。

 ヨルフェリアは、部屋の中に入っていく。


「しつしつしっつれ~い。市長殿、今日の書類をお持ちしたでござる~」

「いやいいよ……お持ちしなくて……」

「そういうわけにはいきませんなあ」


 どしゃっ、と。

 紙束にあるまじき音を立てて机の上に置かれたそれを、絶望的な表情で見ているのは、カイト=イストワール。


 ライトタウンの、若き市長。


「こ、こんなにあるのか……!?」

「明日からお休みですからね。みなさん嫌なことは今日のうちに終わらせて気持ち良ーく遊びたいみたいです」

「ぼ、僕の休日は!? どこに……!」

「まあまあ。これでも些末なやつは副市長決裁で終わらせておきましたから。三分の一くらいにはなってるんですよ?」


 くぅうううう、と苦渋の声を上げるカイト。ちらり、とヨルフェリアのことを見て。


「あの、手伝ってくれたりは……」

「ああっ、悲しい! あの優しいカイちゃんが午後から有休を取っている職員にそんな、そんなご無体なことを……! 権力を握ってっ、汚れてっ、しまったっ……!」

「えっ、そうだっけ」

「そうですよ。結構前にもう出してますよ、休暇届」


 今日ライブなんですから、と言うヨルフェリアに、カイトは台帳をめくって、


「あー、ほんとだ。だからシェロくんが朝からバタバタしてたのか……」

「物販並ぶの諦めて午前中は普通に仕事してたボクに感謝してほしいですね」

「うーん……。確かに」


 台帳を閉じて。

 げんなりするような書類の束をカイトは自分の前に引き寄せて、ニッコリ笑顔でこう言った。


「それじゃまあ――楽しんできて」

「言われなくともっ。それじゃ、お疲れ様でーす」


 部屋を出るとき、市長室の大きな窓から、少しだけ雪が降り始めているのが見えた。





「買っといてくれました!?」

「……買っておいた。が、久しぶりの第一声がそれか……」

「いーじゃないですか。今さらかしこまるような仲でもないですし」


 はい、とシェロに手渡された紙袋に、べりべりせんきゅー!とヨルフェリアは頬ずりをしながら、席に座る。どうせすぐに立つことにはなるだろうけれど。


「やっぱ混んでました?」

「人は多かったが……やはり人の捌きが上手い。それほど待つことなく買えた……」

「スタッフいい人入りましたねえ、やっぱ。伝説のライブの影響は未だ健在、って感じで」

「未だというか……永遠に続くんじゃないか」

「どうですかね。いつか色褪せていくものだってありますし。それに『光のはじまり』だったら、また塗り替えちゃうかもしれませんよ」

「伝説を?」

「伝説を」


 ふっ、と二人のオタクが笑う。

 顔を見合わせて、あの日を懐かしむように。


「わっ、冷たっ」


 ぺたり、とヨルフェリアが自分の頬に触れた。

 それから、両の手のひらを空に向けるように広げて、


「やっぱりちょっと降ってますよね」

「雪……今年は初めて」

「ステージ、スリップしないといいんですけどね」

「滑るならMC中だろう……」

「あ、そんなこと言ってー。いけないんだー。ゼンタちゃんに言ってやろ」

「やめて」


 開演までの時間を、二人は近況報告を重ねながら、過ごしている。


 たとえば、こんなこと。


「副市長殿は……今日も仕事、大変だった?」

「いやまあ、普通ですね。昔はああいうの相当仕込まれましたし……。大変なのはカイちゃんじゃないですか? 商売はともかく、政策とかあのへんのところ全然未経験でしょう」

「それでも……選挙で選ばれたのだから仕方がない……」


 あの『魔人襲撃事件』のあと。

 街の中核を占めていた『ブラックパレード』のほとんどが国に逮捕・投獄され、残った大勢力の旗頭といえば『イストワール商会』のほかはなくなった。


 市民の誰もがこのまま自動的に『イストワール商会』中心の統治が行われるものと考えたが、そこに待ったをかけたのがその跡取り、及び事件解決の立役者の一人であるカイト=イストワール。


 彼はこう言った。


「みんなで考えて、ちゃんと政治を決めよう。この街にはそれをするだけの力がある」


 その結果実施された緊急市長選挙。市民の『普通にお前がやれ』という声に推されて、あれよあれよという間にカイトは市長になった。別に誰もそのことに疑問は覚えなかった。驚いていたのは当人ばかりで、他の住人たちはそりゃそうなるだろ、としか言いようがなかった。


 揉めたのは副市長。政治ができるとなると知識階級がいい。元貴族なんていうのがいればなおいい。実務が抜群にできたりしたらもう最高。それらすべての条件を満たすのは、『魔人襲撃事件』解決の立役者でありながら、事件首謀者との血縁関係もあるという複雑な立場に置かれた彼女、ヨルフェリア=デイルヴェスタ。


 やめておいた方がいいんじゃないか、というのが半数の意見だった。悪意だけではない。どう考えてもこんなに複雑な立ち位置の人間を政治の場にやったら各所と揉めるだろう、という当然の判断。ヨルフェリア自身、別にそんなことをしたくはなかった。


 なのに結局副市長に収まった理由は二つ。

 一つは、カイトが仕事量に音を上げたこと。

 もう一つは、王族の中でも民衆から隔絶した支持を得ている『勇者』ヒナトが「いいんじゃない?」と言い放ったこと。


「早くカイちゃんにも慣れてほしいですよ。ボクもさっさとやめたいです。仕事は普通ですけど、立場が難しいですし……。ヒナちゃんも王宮のパワーバランスに苦労してるみたいですけど。こっちも気疲れしますよ」

「ヒナトさんは……人気が出過ぎたな。女王に推す動きもあるし……」

「あれ、王族がその気になっちゃってるんですよねえ。宝剣バラバラにできた兄様に勝ったっていうことで、初代越えみたいな空気になっちゃってるそうで」

「政治は……大変だな」

「そんなこと言っちゃってえ」


 うりうり、とヨルフェリアはシェロの脇腹を肘でつついて、


「聞いてますよ。未だにノージェス団長から熱烈オファー受けてるんでしょう? 『第一分隊長の席を用意するから!』って」

「……最近は、団長の席を空けると言われるようになった」

「あっはっはっは!!」


 からっと笑うヨルフェリアに、シェロはちょっと不機嫌顔で、


「笑いごとではない。……私は、もうどこの組織に所属するつもりもない」

「団長も焦ってるんでしょうね。今回ので『ロードデーモン』が一気に掃討されたとはいえ、やっぱり騎士団の弱体化は否めませんし。元々の力不足も感じてるでしょう。そりゃあ、自分がなすすべもなく負かされた相手を倒したシェロっちがいたら、勧誘したくなりますよ」

「……私も、気持ち自体はわからないでもないが」

「ボクの副市長とシェロっち騎士団長、どっこいどっこいのヤバさですからね。……まあ、シェロっちには街の用心棒が似合ってますよ」


 あーあ、ボクも早くそっちに戻りたーい、と。

 空を見上げて言えば、口の中に雪の粒が降り落ちて、舌の上で溶けて消えた。


 用心棒と言えば、と。

 ヨルフェリアは口にした。


「今頃ザッくん、どこにいるんですかねえ」


 シェロはそれに、さあ、と応え。

 けれど。


「元気には……しているだろう」


 やがて、開演を告げるブザーが鳴る。

 三人のアイドルたちが出てくる。今日のセンターを務めているのはシア。


 マイクを握りしめて、思いっきり、叫んだ。




「わたくし! シアは! 今日! 28歳に! なりましたーーーーー!!!

 おめでとう私! ハッピー! ホワイト! ばーすでええええええ!!!!」





 シアの隣に立って呼び掛ける、ローとゼンタに倣って。


 あるいは、ここにいない二人の友達の分まで代弁するようにして。


 思い切り、ヨルフェリアとシェロは叫んだ。




「いえーーーーーーーい!!!!」

「おめでとーーーーーー!!!!」








――――なあ、生まれ変わったら何になりたい?



 いつかの、どこかの、遠い場所。


 クソみたいな人生だったよな、と龍は言った。

 抱えられた獣は、こう答えた。



――――でも……。



 龍は笑った。そうだよな、と言って。



――――それでも、って言いたくなるよな。



 そして彼らは、どこまでも加速して、上昇して、飛翔していった。


 これは、誰よりも高いところまで飛んだ、龍と獣の話。


 あるいはどこにでもいる、青年と少女の、



――――なあ、生まれ変わったら……



 彼らの友達だけが、何となく知っているだけの、そんなお話。




――――生まれ変わったら、誰とまた、会いたい?







 がたん、と大きく揺れて、馬車は足を止めた。


 乗客たちは顔を見合わせると、御者台から下りてきた男に問いかける。


「どうかしたんですか?」

「いえね、どうも地面の弱いところを食っちまったみたいで」

「車輪が動かないのか」


 参ったな、と言ってぞろぞろと、乗客たちが連れ立って外に出て行く。

 車輪を眺めながら、口々にこんなことを言った。


「ありゃあ、こりゃ完全に嵌ってるな」

「布でも噛ませてみるか?」

「いや、積荷を一旦下ろしてから持ち上げた方がいいかもしれねえ」

「ああいや、お客様方、すみませんすみません……」


 馬車の中に残っていたのは、二人だけだった。

 一人は、乗客の中にいた夫婦の子ども。ほんの幼く、何にでも興味を持ち、今は自分の他、もう一人馬車を降りずにいた客に手を伸ばしている。


 眠っている男だった。

 東洋風の衣装。武骨な大刀。耳に何かを付けていて、そこから微かに音が聞こえているのが、ひょっとするとネズミよりもずっと耳のいい人間であればわかったかもしれない。


 子どもの手が、その男の頬に触れた。


「む?」


 男が目を開ける。それからすぐに、幼子の手が触れていることに気付く。ぺたりぺたり、と熱を持つ柔らかい手のひらは、何かを求めていることがわかる。


 男は耳から、そのアクセサリーを外した。


「聴いてみるでござるか?」

「うー」


 耳の近くに、ひょい、と持っていってやる。

 子どもの目が、大きく広がる。


 そこに流れているのは、音楽だった。


「『スリーピース・カラフル』という曲でな……」

「ダメだな、こりゃあ!」

「やっぱり一旦積荷を下ろすしかないだろうな」

「ああ、すみませんお客様方。こんなに長い時間足止めしちまいまして…」


 男は外から聞こえてくる声に、振り返る。

 飲み込んでしまうと危ないから、と子どもからそのアクセサリーを取り上げて、機嫌直しにひとつ、大きな手で頭を撫でてやる。


「どうかされたのでござるか」


 ひらり、と馬車から下りると、男は訊いた。


「いや何、泥濘にハマっちまってな。出られんのよ」

「どれ」


 男は屈みこんで、状況を確認すると、馬車の底の部分に手をかけた。


 おいおい、と乗客たちは言う。


「お兄ちゃん、いくらなんでも積荷ごとは――」

「せやっ」


 持ち上がった。

 大人十何人分あろうか、という重さの馬車が、いとも軽々と。


 そして男は御者に言う。


「いまのうちに、軽く馬に引かせてもらえると」

「あ、はい! 今すぐ!」


 唖然とする周囲にも素知らぬ顔で、男は信じられないような剛力を発揮したまま、馬車を再び走らせる。


 夜の食事時には、もう人気者だった。


「お兄ちゃん、どっから来たんだい。やっぱり東の方か?」

「生まれはそうでござる。が、しばらくは王国の方に身を寄せてござった」

「刀を持ってるってことは、やっぱり冒険者? どこかダンジョンにでも行くのかい?」

「一時は。けれど今はただ、生まれの国に墓参りに帰る道中というだけにござる」

「あー、ぶー」

「それ、うちの息子が気にしてるみたいなんだけど、何かの魔法具かい?」

「うむ。音楽の聴こえる魔法具にござる」


 へえー、何が聴けるんだい、と誰かが問えば、


「アイドルの曲にござる。拙者、少々オタクでござるので」


 その答えに乗客たちが、意外や意外、いやでも案外いまどきはああいう人の方が――なんてことを語っていると、御者が恐縮して顔を出した。


「あのう、お客様。昼間は本当にありがとうございました」

「なんの。ただのちょっとした手伝いにござる」

「あいや、そんな。あの中には交易用の食料も入っておりましたから。あんまり足止めを食らうようなら、我々も大損を食らっちまってたところです。……お礼と言ってはささやかですが、どうぞこれを」


 そう言うと、小さな、輝く球を二つ、男は手渡された。


「これは?」

「いえ、それが語ると嘘っぽくなっちまうんですが、そりゃ空から降ってきたものでしてね」

「空から?」

「そう、空から。この間、今みたいにこうして火を囲んでいたところに、夜空に流れ星がひゅいっと流れた。けどどうもそれが不思議なことに、いつまで経ってもその尾っぽが途切れない。こりゃ不思議なもんだ、と見つめていたらね。それがどんどん大きくなって、ついには目の前まで落ちてきちゃったじゃありませんか。いやあ、びっくりはしたものの縁起がいいと思ってねえ。なにせ石にも見えるが、何かの卵のようにも見える。宝石とは違うようだからお金にはならないでしょうが、どうぞお客様、旅のお守りにでも取っておいてくだせえ」


 その話を途中まで聞いて、男はふふ、と笑いを溢して。

 最後まで聞き終われば、口を開けて、大いに笑った。


 ぽかん、とその光景を見守っていた人たちに、男は目尻に浮かんだ涙を拭うと、あいや失礼、と一言告げて、


「かたじけない。ありがたく貰い受けよう。拙者、光るものは大好きでござる」


 そうして食事は終わり、誰もが寝付いたころになって、ひとりだけ。


 その男は、馬車から下りて、空を見上げた。


 満天の光の海を見つめながら、こんな言葉で、問いかける。






「――――届いたでござるか?」






 ことり、と手の中で、星の欠片が返事をした。








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[一言] ほんとうにどの作品も面白い……
[良い点] 良い作品でした。
[良い点] 面白い [一言] 対比や成長、心理描写が大変素晴らしいです。 惚れました
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