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46 死でござる


「七十八回目……いい加減飽きない?」

「はァっ、はあッ――」


 息を切らして。

 身体に毒を回らせて。


 イリアが数えたのと同じだけの回数、ザンマはナインの首を斬り落としていた。


 たったいま再殺したはずの『聖騎士』は、すでに立ち上がって『逆光』を構えている。武器だけでも破壊したいと思うが、さすがにこれだけの達人に身体を犠牲にして武器を守られれば、ザンマといえどそれを的確に両断することはできなかった。


 間合いの外から、見えない階段を上るようにしてナインが距離を詰めてくる。黒衣の裾が翻り、上下の奇妙な距離感を保ちながら『逆光』を乱射。見切って躱すが、それは釣り餌。本当の目的はそうしてザンマの位置を誘導すること。イリアがかけた加速の補助魔法とともにナインがクド=クルガゼリオを超える速度で突っ込んでくる、




「――――〈鬼刃・斬魔〉」




 居合で、迎え討った。

 たったの一振りで八つ斬りにされたナインの身体が、ばらばらと宙から落下していく。


 七十九回目。


 納刀して二秒も経てば、もうナインは起き上がっている。

 けれど、今回は。


「……? どうしたでござるか」


 襲ってこない。

『逆光』を構えることすらせず、ただ立ちすくんでいる。


 イリアが、こっちを見ていた。


 じぃっ、と。心の奥底まで見透かすような――本当に見透かしている目で、ザンマを見ていた。


 そして溜息とともに、こんなことを言う。


「――――いいか、もう」


 はーあ、と気の抜けた声を出して、瓦礫の中から何かを探し始める。その背中を、ザンマはただ見つめている。イリアが引き抜いたのは、椅子。まだ使えるよね、と呟いて、二つを置いて、片方に自分で座った。


「ん、」


 そして、もう片方を指差した。

 座れ、というように。


「なに面食らってんのよ。……あんた、どうせ私のこと殺す気なんかないんでしょ? だったらいいじゃない。もう別に戦ったりしなくたって」

「何を、拙者は――」

「言い訳はいいから。さっさと座る。私だって弟の身体無意味にズタズタにされたらいい気分じゃないんだからね」


 ほら、とイリアは促す。

 しばらくの間、ザンマは迷った後に。


 結局は、その椅子に座った。


「さっき、クラヴィスとクドが死んだわ」

「……それを、なぜ」

「言ったでしょ、心が読めるって。はいじゃあクイズ。私が心を読める範囲はどのくらいの広さでしょーか!」

「……まさか、この街一帯を」

「ぶー。そんな弱いわけないでしょ」


 にこり、とイリアは笑って。


「国全部。ちなみにオンオフ機能なしね」

「――それは、」

「もう超うっさいからね。何百万とか何千万とか? そのくらいの奴らがずーっと耳元で喋ってんの。しかも誰かに助けを求める声ほど大きいからさ。ほんと最悪よ。何もかも」


 へっ、と悪態をついて足を組む。

 それから、気に入らない、と言いたげにザンマの顔を睨めつけた。


「――あんたって、私のこと苦手よね」

「は、」

「まああんたが好きなのって、男の子っぽいのとか、明るくて優しくて可愛いとか、そんなんばっかだもんね。そりゃ私は正反対のタイプだし苦手か。パーティにいた頃もヒナトがいるときはべらべら喋るくせにさ……。クラヴィスと話が弾まないのはわかるけど、私がいるときは必死で話題捻り出しなさいよ。ほんと気が利かないやつよね」

「待て、イリア。お主は一体何の話を――」

「お喋りに決まってんでしょ。ただの何の目的もない楽しいお喋り。ほら楽しい? こういうことしたかったんでしょ?」


 ふん、と鼻で笑って、イリアは、


「あいつら死んだらどうせもう勝ち目ないし。クラヴィスなんか死体もほとんど残ってないんだもん。私はもう何もかもどうでもいいし、あんたは私を殺したくない。だからこうやってあんたの嫌いな殺し合いからたのしーたのしーお喋りに切り替えてやってんでしょ。何、何か文句ある? 『優しいおねーたまありがとうございましゅ』くらいのことは言えないわけ?」


 もうすっかり、ザンマは会話の主導権を握れなくなっている。

 その原因に、イリアの唐突な行動に反応できなかったからというのはもちろんある。あるけれど、それは数ある理由のうちで最も小さなものに過ぎない。


 一番大きな理由は。


「文句は……ないが」


 本当に、そのことを望んでいたから。


 斬ろうと思えば、いつでも斬れた。ナインの攻撃を避けながらイリアに近付いてもよかったし、再殺してから蘇るまでの二秒のタイムラグは、ザンマの刃がイリアの心臓を貫くのに十二分以上の時間だった。


 毒を撒かれて、自身の生命を脅かされている中で。

 それでもなお、ザンマは。


 人を殺したく、なかった。


 イリアが頬杖を突きながら言う。


「ま、そりゃそうだと思うけどね。誰だって、何も好き好んで人なんて殺したくないわよ」

「……ではなぜ、イリアはこんなことを」

「なんでだと思う? 当ててみなさいよ。当てられたらご褒美あげちゃう」


 急に言われて、浮かんだのはついさっきの言葉からの連想。


「人の心の声が聞こえすぎることに嫌になったから……でござるか」

「正解。あんたやるじゃん。……あ、馬鹿にされてるのわかった? そんな怒んないでって。ほら、これあげるから」


 ひょい、と投げられたのは、小さな球。

 強烈な魔力が込められた。


「『ダンジョンコア』。余ってたからあんたにあげる。壊してもいいし、売ってもいいし、好きに使いなさい」


 なぜ、と訊きたい気持ちもあった。

 けれどきっと、もう諦めたということなのだろう。そう自分の中で折り合いをつけて、懐にしまった。素直でよろしい、とイリアは頷いて、


「まあでも、ほんとはそれ、半分くらい不正解」

「……では、本当は」

「弟がね、死んじゃったのよ」


 ほら、と言えばゆっくりとナインが歩いてくる。ついさっきまで争っていた相手。すでに死した『聖騎士』が。


「いつまで経っても起きてこないから部屋まで行ったら、首吊っててさ。遺書には『疲れました』って一言だけ」

「それは……」

「ねー。びっくりしちゃうでしょ。読心同士だけはお互い何考えてるかわかんないんからさ、ほんといきなり。もっとそういうのは早く言えっての。へらっへらして誤魔化してないでさ。……で、それ見たらいつか自分もそうなるのかなって思うじゃん。そうしたら教会のやつら、外聞悪いからどっかで戦死したことにしようとか言ってきてさ。もうプッツーン。殺しちゃった」


 あはは、とイリアは笑う。

 無理をしているように、ザンマには見えた。


「誰だって、他人より自分が大事だと思わない? 私は自分を大事にしようとしたらそうするしかなかったのよね。できるだけ人のいない静かな世界で暮らしたかったの。健気でしょ?」

「…………」

「……いや、あんたね。こんなのまともに取り合わなくていーのよ。なに普通に同情してんの。こんなのクズの思考よ。最悪の。やめなさい。真に受けて変に心動かすのは」

「しかし、拙者は、」


 ぴたり、と。

 手袋をつけたままの方の指で、イリアはザンマの唇を押さえた。


「あ、今、どきどきしたでしょ」

「…………」

「冗談よ。……あんたの悪いとこ教えてあげる。そうやって、手の届くところにあるもの全部に責任感じるところ」


 最後だからね、とイリアは呟いて、


「人間、っていうか生き物にね、責任なんてものはほとんどないの。ご飯食べに行ってハンバーグ食べながらさ、牛とか豚の一生について思いを馳せてる人間がどのくらいいると思う? やっすい服買うたびにその陰でタダ働きさせられてる哀れな貧乏人のことを考える? 道路を歩くたびに荒野を切り拓いた人々の尊い犠牲に感謝する? ……ただ普通にしてるだけの生活で、誰かを踏みつけにしてるかもなんて、悩んだりする?」


 しない。

 とは、言えなくて。


 イリアは、微笑んだ。


「そんなの考えるのは――『いいやつ』だけよ。それで、そういうことを皆に考えろなんて声高に言ってるやつはね、本当は『いいやつ』なんかじゃないの。だって、ちょっと考えればわかんない? そんなこと考えてたらさ、一体どこで幸せになるわけ? 稼いだお金なんて本当に物事を真剣に考えてるんだったら必要最低限だけ取っておいてあとは全部募金するべきじゃない。自分の余計な幸福なんか追い求める前に、不幸な人を一人でも減らすように一生、四六時中努力すべきじゃない。『いいやつ』はね、そんなこと言わない。そんなこと言うのが人を不幸にするだけだってわかってるから。たった一人で、一生貧乏くじを引き続けるの。……あんたは、そういうやつ」


 自分でわかる?とイリアは訊いた。

 何かを答えるより先に、もう続きを話し始めている。


「殺した方が世のため人のため――みたいなやつをぶっ殺しただけで一生そのことばっかり考えて生きてるやつ、ってこと。……いいのよ、そんなの。死んで当然のやつって、世の中にはちゃんといるの。あんたのお姉さん以外のクソみたいな家族とか、私とかね」

「そんなっ――」


 ことは、と声が沈む。

 わかっていた。あれだけの人を殺した人間は、誰からも許されたりはしない、ということを。


「あんたは強いし、人もいいから。たぶんこれから何人も、何十人も殺すことになるわ。あんたが望むと望まないとに関わらず、これからずっと。ずっと、そうなってく。たとえ殺さなかったとしても、自分が殺さなかったことで誰かが手を汚したこととか、この社会がどこかの悪党を殺しながら成り立ってるってことにすら罪悪感を覚えるようになる。やめなさい、って言ってやめられるなら世話はないけど――どうせこんなこと、あんたに言っても聞かないのよね」


 ぎしり、と椅子に凭れ掛かる。脚を組んだまま、手の甲で払いのけるようにして、彼女は言う。


「話はおしまい。友達のところにでも帰んなさい」


 一瞬、その言葉すらまともに受け取ってしまいそうになったけれど。


「そういうわけにはいかぬ。拙者は、お主を斬らねば――」

「ほら早速これだもん。もういいでしょ。あんたに私は殺せないわよ。こんだけ長々隙だらけで喋ってあげたのに剣も抜かないんだもん。ムリムリ。あんたには」

「だが――、」


 こればかりは、譲れないと。

 そう、思ったから。


「お主をここで仕留めなければ、」

「街に被害が出る。で、他の一生懸命がんばって人を殺してくれた友達に申し訳が立たない。……ほら、自分でなんか思うところない? 自分ってもしかして一生損する性格なのかなあとか思ったりしない?」

「たとえそうだとしても、拙者は――」


 立ち上がって。

 刀を、抜いて。


「それが、拙者以外にできないことなのであれば――斬る覚悟が、ござる」

「……あんたは、やらなくちゃいけないことばっか。やりたいことは、全部後回し」


 イリアが、ザンマから視線を外した。

 傍に立つナインを見つめて、小さく、こう囁く。


「――――おやすみ、ナイン」


 その一言を合図に、ナインの身体が崩れ落ちる。バラバラに。ボロボロに。元々あった、死体のように。


 イリアは、椅子から立ち上がらないで、ドレスの首元を指で引っ張って、押し下げた。

 ほら、とイリアは言う。ザンマは、目を見開く。


 腐っていた。


「――――それは、どういう」

「『ダンジョンコア』なんて耐えられるわけないでしょ。どいつもこいつも無茶苦茶やってんの」


 じゅくじゅくと、白い肌に毒泡が浮かんでは消えていく。

 どう見てもそれは『黒き神(チェルノボグ)』の毒の効果で。

 彼女を、蝕んでいた。


「こんなもん埋め込んだら死ぬに決まってるわよ。クドは『変身者(シェイプ・シフター)』の体質のおかげで進行が遅いだけ。私は常時回復魔法を使ってるから何とかなってただけで、ちょっと休めばこんなもん。クラヴィスなんかアホよ、あいつ。群体だから気を抜くと意識がバラバラになって戻んないの。魔法でコントロールしてたみたいだけど、私と同じでコアを取り込んでから一睡もできてないみたいね。……あんたが何もしなくたって、遅かれ早かれどうせ全員死ぬの」


 ザンマが二の句を継げずにいると、イリアは指を離して、


「話は終わり。私はどうせ死ぬから、あんたはもう誰も殺す必要はない。一応言っとくけど、最後の一人のモリアもそう。……ま、そもそもあいつは巻き込まれただけだから戦うつもりもないみたいだけど。しんどかったわ。この街の悪魔まで遠隔で操作するの。あいつやってくんないんだもん」

「ではお主らは、初めからずっと、死ぬつもりで」

「そんなの人間誰だってそうでしょ? ……死なない人間なんて、どこにもいないわよ」


 そんじゃさよなら、と言ったイリアは。

 もう、頬にまで、毒が回り始めていた。


 見ればわかる。

 冒険を共にしてきたから。


 ここまでこの毒が進んでしまえば、もうイリアの回復魔法でも、助からない。


 そして同時に、気付いたこともある。

 自分の身体からは――毒が消えている。かつて『夜明けの誓い』として肩を並べて戦っていたときと同じように。音もなく、傷が、苦しみが、癒されている。


 ようやく、ザンマはすべてを認めた。


 刀を抜くことなく、すべてが終わってしまったことを。

 終わって、くれたことを。


 もう、イリアは顔を伏せて、目も合わせない。

 更地になった階層の、唯一残っている階段へ、ザンマは背を向けて歩いた。


 そして最後に。


「イリア」


 誰が聞いても間違っていることを、口にした。


「ありがとう」


 ばーか、と小さく、声が聞こえた。


 階段を上る。

 振り向いたりは、しないまま。





 暗い部屋に、女が一人。

 弟の死体と、肩を並べて。


 もう口を開くことだってできないから、独り言だって心の中で、呟いている。



 あーあ。

 あんなに優しいんだったら、ダメ元でも誘ってみればよかった。


 ……無理か。



 本当は、あのとき。

 あの世界で一番強くて、弱くて、優しくて、脆い男が彼女に背を向けたとき。


 まだ、彼女には助かる見込みがあった。

『ダンジョンコア』で強化された回復魔法を使えば、あの状態からでも、持ち直すことはできた。


 でも彼女は、そうしなかった。


 最後の魔法を使う。


『聖女』の使う、聖守護壁。それで自分の身体を覆って、決して、死後にこの毒が洩れ出してしまわないように。


 自分が死んだあとのことを考える意味なんて、ひとつもなかっただろうに。

 それでも彼女は、そうした。


 嘘を吐きたくなかったからとか。

 裏切りたくなかったとか。

 誰かを殺すことよりも、信じることを選ばせてやりたかったとか。


 人を許せるようになりたかった、とか。


 想像することは、誰にでもできるけれど。

 真意を悟ることは、誰にもできない。


 もう心の声が聞こえる人間は、どこにもいないから。




黒き神(チェルノボグ)』の『ダンジョンコア』――――自壊。



 光の差さない、静かな部屋だった。




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