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43 少女夢舞台、でござる



 たとえば、ある一人の女の子の話。


 この世界に普通の子なんていうのはどこにもいないけれど、誰かに自分のことを訊かれたら、きっと自分のことをそうやって呼んでしまうような女の子の話。


 彼女の人生が切り替わったのは、ほんの少し前のこと。

 具体的に言うなら、二年前くらい。


 突然知らない集団に攫われて、身体を改造されて、物騒な代物を心臓に埋め込まれた。


『ダンジョンコア』。内包する悪魔は『終末の獣』。すべてを破壊する、どんな人間にだって荷が重い強大な悪魔。


 彼女の生活は変わった。どころか、顔も、形も、何もかも。


『ダンジョンコア』に適合する人間は稀だと言う。ほとんどの人間は魔力に耐えきれずに内臓がドロドロに溶けて死んでしまう。とんでもないことをしてくれて、とんでもないことをされたということは分かったけれど、もうそれ以上のことは何も考えられない。狂わないようにするだけで精いっぱいで、あるいはどうにかして狂ってしまおうと一生懸命だった。


 すべてを亡くして、化け物になって、それでも生きることは続いてしまう。

 たとえ四六時中、頭の中に殺せ殺せと声が響いていたとしても。


 自分を改造してきた頭のおかしな老人は言った。お前はいつか世界を滅ぼすために生まれたんだよ。そんなわけがないだろうと思ったし、自分の生きる意味を勝手に決められるのも不快だった。最初に殺すのはこいつにしてやろうかと思って腕を振りかぶれば、間抜けな声を上げて逃げ出していった。どっちが強いのかはよくわかったけれど、それでもその場所から離れはしなかった。離れて、どこかで一人で生きていく自信がなかった。どこかで死んでいく諦めも、まだなかった。


 自分の他に、三人の魔人がいた。まだら金髪で、とんでもなく目つきの悪い男。銀髪で、四六時中氷でできた人形みたいに表情を崩さない男。亜麻色の髪で、言うことなすこと何もかも当たりがキツい女。考えうる限り最悪の仲間たち。自分たちが斃した悪魔から取り出されたコアで人体実験をすることを、ひとつも止めなかった最低の人間たち。


 それでも自分より全員年長なことには変わりなかったから、ときどき愚痴を吐き出した。本当に自分がそう思っているのかもわからないままに、死にたい、と何度も溢した。


 金髪の男は言った。


「死ぬくらいなら殺せよ」


 亜麻色の髪の女は言った。


「じゃあ死ねば?」


 銀髪の男は何も答えなかった代わりに、少女を連れ出した。行き先も告げぬまま。ひょっとしたらこの仏頂面の男にこれから自分は殺されるのだろうか、と不安になった。でも少し考えて、それならそれでもアリなのかもしれないな、とも思った。


 でも、結局彼は、少女を殺さなかった。


 連れ出した先は、小さなステージだった。

 自分と同じくらいの年の女の子たちが、歌って踊る。そんなステージ。


 少女が思うに一番優しかった魔人はこの男だったけれど、同時にこの男が魔人の中で一番嫌いだった。だって、悪人が優しくて何の得があるっていうんだろう? 悪い奴なんてただ殴られて殺されて、めでたしめでたしで終わるための生まれつきの害虫でしかないのに。御伽話しか読んだことがないような子どもだってわかる理屈。自分が何かに優しくするたびに誰かを傷つけていることに、きっと一生気付かないような人間なんだろうと思った。


 そしてとうとう、男は一番言っちゃいけないことを言った。


「どんな化け物だって、あんな風に誰かに愛されることはある」


 隠し持っていたナイフで男の脇腹を刺した。死にますように、と願いをかけて、念入りに刃をひねったり回したりした。それでも男はひとつも顔色を変えないで、少女を置いてどこかへひとりで去っていってしまった。


 言葉は呪いだった。

 三人のアイドルが歌って踊って、応援されて。そういうものをずっと見ているうちに、彼女は思ってしまった。


 自分だって、誰かに愛されたい。


 案外と、簡単にデビューは決まった。自分を攫った悪の組織はちょっと目を離すと馬鹿みたいに汚い手を使うから、魔人の中でもずっと同じ街に留まっていた金髪の男に頼んで、変なことをしないように見張ってもらった。予想していた反応は拒絶だったけれど、そうじゃなかった。あんまり頭が働くタイプじゃないから全部とはいかなかったけれど、それでも随分、不正を減らすのに役立ってくれた。正々堂々やりたい、と言えば、ふうん、とそっぽを向いた。どんな顔をしていたのかは、だから見えなかった。


 面倒だったのは亜麻色の髪の女で、とにかくこっちが頼んでもいないのにぎゃーぎゃー煩かった。あんたは自分の見せ方ってものがわかってない。ふわふわした状態でやるから観客もふわふわした気分で何も残らないまま帰ってく。というかそもそもあんたにはセンスがない。そんなことを言って勝手に衣装を作って勝手に押し付けてきた。アイドルの一体何を知ってたっていうんだろう。まあ確かに、自分のセンスよりも女のセンスの方が上だったのは認めるけれど、とにかく鬱陶しかった。何となく嫌いな姉、というのはきっとあんな感じの距離に立っている。


 気付けば、最初に見たあのアイドルたちよりも、ずっと高い位置に立っていた。


 あまり達成感はなかった。こんな悪の組織の中にいてすべてを自分の実力だと自惚れるようなやつがいたらそいつの頭に脳ミソは入っていない。不正塗れの汚い道を歩いてきた自覚はある。そもそもがこんな人体改造を平気でやって顔色ひとつ変えない極悪集団にずっと身を置いているのだ。いつでも逃げようと思えば逃げられたはずなのに。一度も人を殺さないままでも段々、自分も同罪だという意識は湧いてきていたし、清廉潔白ですなんて信じて貰うつもりも毛頭ない。


 ただ、ステージの上から見た光の海は、途方もなく綺麗だった。 


 何度も何度もステージに立った。歌った。踊った。愛された。そんな夢舞台の上に立っていても見えないところで現実は進んでいく。金髪の男が捕まった。もう時間の問題だと思ったら、今度は世界を滅ぼすから手伝えと言う。真顔のままの亜麻色の髪の女を見てとうとうこいつも狂ったのかと思ったけれど、よくよく考えたら最初に会ったときからもうずっとこの女は狂っていた。ついでに自分を改造してきた老人はなんだか焦って一人で死んだ。ざまーみろ。悪党には相応しい最後だと思った。たぶんいつか自分もあんな風に死ぬんだろうなと馬鹿らしくなった。


 銀髪の男がやって来て「逃げたければ逃げてもいい」と言った。自分にそれができることなんてもう何億年も前から気付いていた。あえてそれをしなかった罪悪感を今さら刺激されたような気がして、死ねと叫んで物を投げつけてやった。いずれ死ぬさ、と男は言った。そんなの誰だってそうだ。そしてその頃もう少女は知っていた。あの化け物連中と違って結局自分は選ばれた人間でも何でもなくて、何をしてもしなくても『ダンジョンコア』とやらのせいで死ぬっていうこと。しかもただ普通に死ぬだけじゃなくて、大爆発して街ひとつ分くらい巻きこんで盛大に死ぬってこと。ああそう、じゃあもういいです。こうして世界の敵の仲間入り。


 老人が死んでからの悪の組織は馬鹿を絵に描いてそのままだった。元々魔人三人組の方が圧倒的に立場が強かった上に、唯一そこそこ対等に立ち回れていた老人が死んだから。その老人にしたって不老不死になりたいなんていうアイドルの二億倍くらい難しい夢を追いかけていた半ボケのおじいちゃんで、つまりはもうそんな中途半端な悪の組織に勝ち目はなかった。これから世界征服するものだって勘違いしながら、世界を滅ぼそうとしてる頭のおかしな三人組の手駒として使われた。


 わけのわからないうちにそのわけのわかんない連中が街を襲い始めた。特に打ち合わせも何も聞いていなかったから適当に近くにあった避難所に逃げ込んだ。というか、ステージのある場所。どうせ歌って踊りたかったんだろうな、と自分で思った。世界の敵の分際で。


 不思議なことに、そこには憧れの先輩アイドルがいた。運命? べつにそんなことはなくて、その人の職場がその近くだったから。薬局。実は一度だけ変装して行ってみたことがある。リップクリームを一個だけ買った。会計してる間いつものあの天使みたいな隙だらけの顔でじーっと見られていたから、たぶん気付かれたと思う。嬉しかった。


 ライブをやりたいと避難所の持ち主が言い出した。そしてそのオファーは自分じゃなくて先輩アイドルの方に行った。よく見てるじゃん、と感心する反面、やっぱり私じゃダメか、とがっかりする気持ちもあった。でも実際、不正まみれの化け物が評価されて、一生懸命やってきたアイドルが押しのけられるような場所だったらこんなに長い間身を置いたりしなかったとも思う。自分が居られない場所こそが素晴らしいって、なんて悲しいことなんだろう。そんなことを考える資格がないことも、よくわかっていた。


 そのアイドルは、破格の条件を提示されてもなお渋っていた。何をやってんの、とどういう目線なのか少女自身わからなかったけれど、腹を立てながらそれを聞いていた。受けちゃえばいいのに。受けたら絶対盛り上がるのに。というか受けたところを私が見たいのに。受けて。受けてよ。受けろ。


 気付けば「一緒にやろう」と言い出していた。


 なんて図々しいお願い。でもそのアイドルはそんなことをまるで気にする素振りも見せない人で、ちょっと押したら簡単に押し切れた。ステージに交代交代で立ったことはあったけど、同時に立つのは初めてのこと。ありがとう神様、最後に私にこんな幸運をくれて。死ね。地獄に落ちろ。


 さすがこの街にはそういう商売の人が集まってるだけあって準備はトントン拍子。自前の衣装は持ってきていないから、貸衣装部屋から持ってきた適当な服に裏で着替えて、簡単に打ち合わせ。


 何を思ったか、少女は訊いた。


「どうしてアイドルを始めたの?」


 うーん、と悩んでそのアイドルは答えた。


「人の笑ってる顔が好きだから」


 あーあーあー。急にすべてが恥ずかしくなって、何もかもお終いだって気持ちになってしまった。最初から終わってたってことはわかっているけれど、気持ちの問題としてそうなっちゃったんだから仕方ない。自暴自棄。自己嫌悪。誰かに愛してほしいって、どれだけくだらない願いだろう。この人の隣にいるのが恥ずかしい。汚い心が恥ずかしい。全世界に向けて喧伝したい。どうもこんにちは私は出来損ないの偽物アイドルです。こっちの人は本物のアイドルなんです。皆さんどうかちゃんと自分のことを想ってくれる人のことを好きになってくださいね。


 そう思いながらステージに上がったら、うっかり口が滑ってしまった。

 自分は化け物で、もうすぐ盛大に爆発して死ぬんですって、つい馬鹿正直に言っちゃった。だからみんな死んでね、なんてことは流石に開き直って言うことはできなくて、歌うだけ歌ってどこかに飛び去ってひとりで死にます、なんて言っちゃった。へえそうなんだ。口から出てくる自分の言葉を聞きながら結構素直に納得してた。私ってそうすればよかったんだ。


 歌わせて、って自分が言っているのがわかった。ずっとここに立つのが夢だったから、って。ここってどこのことだろうって、ちょっと考えたらわかった。あんまりにも切ない願い事。自分で情けなくなるくらい大それた。


 あの日の小さなステージでこの人を見たときから、ずっと一緒の舞台に立ちたかった。

 嘘なんか吐かないで、正々堂々。たとえ化け物だとしたって。


 感傷に浸って、目を閉じて少し泣いた。瞼を開けたら夢はおしまい。みんな恐怖で引きつって我先にって逃げ出して、ひょっとしたらそこでドミノみたいにお互いが崩れ合って、初めての間接殺人でもすることになるのかもしれない。


 でももう、これで十分。

 そう、思ったのに。



「――――え?」



 光の海が、そこにあった。



 自分の言葉を思い出していた。言ったよね? ちゃんと伝えたよね? 化け物だって。もしかして本気にされてないのかな。あーあ、あんなやつの言うこと聞いて変なキャラ付けするんじゃなかったかも。そりゃちょっとくらいは愛着もあるし気に入ってたけどさ。頭がおかしいやつから貰ったものを使ったって、結局人を不幸にするくらいしか使い道なんて、


 ないのに。


「動ける? モリアちゃん」


 隣から、優しい声。


 言われるがままに、動くのかな、なんて自分の身体を動かして確認して、そのあとこくこく馬鹿みたいに首を縦に振って伝える。


「それじゃあ、声は出る?」


 出るのかな、って思って確かめようとして、あれ、って気付いた。


 声も出せなくなるくらい、泣いてた。


 溺れて呼吸も怪しくなるくらいにとめどなくて、隣のアイドルが自分の衣装の裾でそれを拭ってくれて。あーあ、それ貸してもらったやつだよ。買い取りになっちゃうよ。バイトたくさんして資金厳しい癖にそんなことしていいのってどうでもいいことばっかり頭に浮かんできて、情けない声でようやく言えた。


「だ……出ぜ、まずっ……」

「そっか」


 卑怯なくらい、破滅的なくらい、世界一個くらい救えちゃうような笑顔で、その人は言った。



「じゃあ、一緒にライブできるね」



 馬鹿みたいだと思った。


 何もかも。こんなの全部。もうすぐ周りを巻きこんで死にますって言ってるアイドルに向かってペンライトを振ってる観客たちも。その横でいつもみたいにライブを始めようとしているアイドルも。何もかも。何もかも馬鹿みたいで。愛するってことのぜんぶがわかったような気になった。


 昔、隣のアイドルを見たときに思ったことを、思い出していた。

 生まれ変わったら、こんな人になりたいって。


 でも今。隣に立ってみて、ひょっとしてって、思ってる。

 もしかしたら、生まれ変わってもまた自分になりたいのかもしれないって。


 きっと、そんなわけはないんだけど。

 素敵な勘違いだから、そのままにしておきたくて。


 音楽が始まる。身体が動き出す。歌声が紡がれ始める。




 今なら自分の人生の最後に「めでたしめでたし」ってつけてやってもいいのかもしれないって。


 強く、そう思った。




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