42 カウントダウンでござる
「ぜ、はッ――」
走っていた。
アーガンは、夜の中を。
『ブラックパレード』の本拠地を抜け出して、第三拠点に向かって。
あのとき自分たちを襲ってきたのは、どう見たって『ダンジョンコア』の保有者だった。つまりは、襲撃。
一人だけで来るとは思えない。
『ダンジョンコア』の数は四つ。あの場にあったのが一人で、残りは――、
バン、と勢いよく第三拠点の扉を開けた。
「ぶ、無事か……」
中に詰めていた冒険者たちが、驚いた顔でアーガンを見ている。交代の時間だったかしら、と時計を確認して、けれどまだまだ夜は長くて。
「どうしたんですか? アーガンさん」
「敵の本隊が、こっちに、到着した……」
息を整えながら、伝えるべき情報を端的に口にする。
ざわっ、と一気に波紋が広がった。
「ざ、ザンマさんは!?」
「一人で大型戦力を食い止めてる。こっちにも来るかもしれない。守りを、固めて、」
休みなく走ってきたから、酸欠が酷い。ただでさえ『ダンジョンコア』の封じ込めに普段からエネルギーを使っているところを、『ブラックパレード』の本拠地からここまで休みない全力疾走だ。肺に濡れた綿布を被せられたような苦しさ。くらり、と視界が暗くなる。
だというのに。
「守りを、って……。特A級が来るんでしょう!? 俺たちでどうすれば……」
そんなことを、冒険者たちが口々に言うものだから。
思わず、声を振り絞ってしまって、
「うだうだ言ってないでとっとと――――!」
「ありゃ」
シアがいた。
最悪のタイミングで。
エントランスの仕切り口の向こう。一般市民の避難所になっているホールの方からちょうどシアが顔を出したところに、滅多に怒らない男アーガンの十年に一度の怒りの炸裂の瞬間が、完璧に被ってしまった。
そして、ばっちり目も合った。
一番見られたくないところを見られた。
「ご、ごめんね。お邪魔だったよね」
「あ、いや――」
「だ、大丈夫! アーくんが頑張ってるの、ちゃんとわかってるよ。こんなときだから、怒ることもあるよね」
気にしないでね、と言ってシアはススス、と引っ込んでいく。
アーガンだって、できるものなら言い訳したい。でもどう考えても言い訳の余地はなかったし、その上そんなことをしているような場合でもない。
かえって冷静になれた、と前向きに考えるしかない。
頬を両手で叩いて、心を落ち着けて。
改めて、言った。
「警戒網敷いて防戦体勢に入ってくれ。雑魚悪魔相手なら今までと同じ対応で。『ダンジョンコア』の保有者が来たら応戦せずオレを呼ぶこと。基本の待機場はここにいるようにするから。できればコア保有者との戦い以外ではオレは呼ばないようにしてくれ。そっちに足止めされると最悪拠点が崩壊する。あと休憩入ってる奴らも適度に呼び戻して――」
「あの、コア保有者はどう見分ければ――」
ああ、とアーガンは頷いて、
「さっき向こうの情報を盗ってきた。『夜明けの誓い』のイリア=パーマルとクラヴィス=デイルヴェスタ。それからこの間の通り魔、クド=クルガゼリオ。このへんはお前らの中に顔わかるやつらがいるだろ。そのへん上手く判別できるやつ織り込んで編成頼む」
「も、もう一人は」
「モリア」
しん、と静まった。
無理もない、と思う。
「お前らの知ってるモリアだよ。『ルナ☆サバ』のモリア。……この街の住人なら誰でも顔は――」
「あの、彼女なら、」
一人の冒険者が、おずおずと言った。
「中に、避難民として……」
さあっ、とアーガンの顔から血の気が引いた。
(マズい――マズいマズいマズい! 最悪のパターンだ!)
起こらなくはないだろうとは思っていた。そもそも自分のように『ダンジョンコア』を抱えている人間がすでにライトタウンに入り込んでいるパターン。よりにもよって避難所の中に普通に紛れ込んでいて、人質に取られてしまう状況。
そして、最悪なことに。
コア持ちと渡り合おうとしたとき、全く火力の加減ができない、自分のところに。
「あ、アーガンさん……」
「――わかった。第三拠点は封鎖。外に出せるやつは外に出してくれ。ギリギリまでバレないように、秘密で。でも素早く」
「だ、大丈夫なんですか!?」
いいや、と答えてやりたい。正直に。
大丈夫なわけがないだろって、思いっきり叩きつけてやりたい。
『ダンジョンコア』を持ってるからなんだ。A級だか特A級だか知らないが、自分が冒険者として積んだキャリアはここでの夜間パトロールくらいしかない。命を脅かすような相手と戦ったことなんて一度もないし、本気だとか全力だとかそんな言葉と一度も縁を結んだことがない。
戦闘経験なんて、ほとんどない。
シェロの言葉を信じてはいるけれど、自分のことは何も信じられていない。
ザンマに代わってもらえばよかった、という気持ちがとめどなく溢れてくる。頼むよ。助けてくれよ。オレじゃ無理だよ。だってこんな場所で『ダンジョンコア』の力を使ったら。
みんな、死ぬに決まってる。
のに。
「――――大丈夫。オレが何とかする」
涙が出そうだった。
呼吸が上手くできない。勝手に背筋が震える。膝が曲がらないからつまずかないように歩くだけでも精一杯。
人を殺すのが、怖い。
でも。
(オレが――――やるしかないんだ)
自分しか、いないのだから。何もしなければ、何もできないままでみんな死んでしまうのだから。砕けそうな身体と心を奮い立たせてアーガンは、冒険者たちの視線を浴びながら避難所の中に入っていく。モリアの姿を探して、すぐに見つかった。
ステージの上。
シアの隣。
歌って、踊りながら。
「ライブ……? なんで――?」
「豚どもーーーっ!! 生きてるかーーっ!!?」
うおおおおお、と耳をつんざくような雄たけびが響く。熱気。避難中だというのに、凄まじいほどの。
混乱して、しかしずっとそのままではいられない。とにかくステージに上がらなければ、とアーガンは前に進もうとする。
「悪い、ちょっと通してくれ!!」
「今日は私のラストライブに来てくれてありがとーーっ!!」
無理やり人と人の間を駆け抜けても、何も文句をつけられない。みんな、ステージの上から聞こえてきた言葉に気を取られているから。
「ラスト……?」
「解散?」
「モリアちゃん引退?」
「なーんーとっ! 今日は折角の最終回ということで、私の憧れの先輩アイドルを呼んじゃってまーす! みんなには教えたことなかったけどね! こちら、『光のはじまり』のシアさんでーっす!」
「あ、どうもどうも~……って、ええっ? 憧れって、いやそれよりラストライブ? え? モリアちゃんアイドル卒業しちゃうの?」
「よくぞ聞いてくれました!」
足は速い方だと思っていた。けれど、この大きな避難所の端から端まで走るのは、その程度じゃどうにもならないくらいの長距離走で。
ステージに辿り着く前に。
モリアは、大切なことを口にした。
「私は『ダンジョンコア』を体内に埋め込まれた魔人なんだ。適合が上手くいかなくて、コアが臨界寸前の。――タイムリミットは90分。やれるのは5曲くらいかな。それが終わったら私、この街を出て誰もいないところまで飛んでいくからさ。これが、最後のお願い」
祈るように、モリアは両手を胸の前で組んで、
「歌わせて――――ずっと、ここに立つのが夢だったから」
あ、と。
そのときアーガンは足を止めた。
足を止めて、じっと、ステージを眺めた。
(――――なんだ、)
震えが、止まった。
涙も、もう流れなくなった。
だって、これは。
ステージに立っている彼女の目は、瞳は、仕草は、表情は、存在は。
自分が恐れていたものでも、なんでもなくて、
何度も何度も自分が応援してきた、
ゴミみたいで、悲惨で、最悪で、哀れで、どうしようもない世界のなかでようやく自分が見つけた、
自分のことを、生かしてくれた、
幸せにしてくれた、
憧れと、友達と、居場所をくれた、
その姿、そのままだったから。
(――――アイドルなのか、あの子)
もう何もする必要がないことを、アーガンは悟った。
自分が――悪魔の力なんかで破壊するものなんかここには何もないということを、感じ取った。最悪の人生の終わり。終着点はここにあったということを、心の底から、感じることができた。
音楽が流れ出す。
声援が聞こえ始める。
アーガンは、この街の名前を思い出していた。二年を過ごした、この大好きな街の、一生忘れられないだろう名前を。
光の街。
あらゆる輝きが、星のように散りばめられたこの街で。
合図が鳴った。
光のようにまっすぐに、何かがどこかへ、進んでいく合図。




