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41 黒き神でござる


「アーガン殿。ここは拙者に任せて拠点へ」

「でも――」

「どうせここではアーガン殿の本気は出せぬ。イリアはここで――」


 拙者が引き受けよう、と。


 刀をすらりと抜いたのは、ザンマ=ジン。『ブラックパレード』本拠地、地下深く。対峙するのは『聖女』イリア=パーマル。そしてその傍に控える――大振りの筒のような、奇妙な武器を携えた細身の青年。


 アーガンが部屋から出て行くと、ようやくイリアが口を開いた。


「呆れた。あんた、不意打ちでナインの攻撃食らっても死なないわけ?」

「……そちらが、以前言っていた『聖騎士』の心当たり、とやらでござるか」

「そーよ。あたしの弟。ナイン=パーマル。……義理だけどね。教会孤児」


 ナインの着込んだ装束にはザンマも見覚えがあった。詰襟の黒衣。教会の聖職衣。その横に立つイリアもまた黒衣のドレスに長手袋。それぞれまるで肌を見せない服装に身を包んでいる。


 喪服のようにも見えた。


「とりあえず――あんたと狭い場所でやるのは嫌だから、ナイン。風通しよくしちゃって」

「――ッ!」


 ナインが武器を握る腕を、まっすぐに伸ばす。咄嗟、ザンマは壁を駆け上がると、その攻撃範囲から逃れ、


 破砕音。


「魔法具か――」

「そ。教会所蔵第一級封印魔法具『逆光』。……あのさ、当たり前みたいに避けないでくれる? これ一応、教会の最終兵器って言われてるやつなんだけど」

 

 ズガガガガ、とナインの持つ『逆光』から漆黒の魔法が連続して放たれる。それは部屋の壁を、柱を、次々と破壊し、更地に変え、最後に残るのは三人のための地下戦場。


 そのへんで、とイリアがナインの肩を叩けば、その連射も止まる。


 ようやく、ザンマは訊いた。


「イリア……これはどういうことにござるか」

「…………」

「答えを、」

「あ、いや、ごめん。答えるって。今はちょっと、あんたのことどうやって虐めてやろうか考えてただけ」


 うーん、とまるで緊張感のない様子で、イリアは腕を組み、首を傾げ、


「あ、そうだ。それならこうしましょ。これからナインが目いっぱい攻撃するから、あんたそれに反撃しちゃダメね」

「は、」

「避けるくらいはしていいわよ。そうじゃなきゃ流石に乗りづらいだろうし。それで、あんたがちゃんと無抵抗でいる間はあたしもちゃんと質問に答えてあげる。じゃあ、はい。よーいスタート」


 黒衣の青年が飛び出してくる。


 並の疾さではない。〈変身(シェイプ・シフト)〉時のクド=クルガゼリオとおよそ同速。手に持つ『逆光』から放たれた弾丸を先行させ、その陰からザンマの懐へと迫っている。


「戯けたことを――ッ!」


 弾丸を一閃。身を屈めて突進してくるナインの顔に向けて前蹴り。両腕を固めてガードしてきたのを押し切って、それでもなお突進の威力が弱まらない。


「回復かッ!」

「『聖女』ですから」


 圧し折れた腕がイリアの回復魔法によって瞬時に回復する。蹴りの威力をダメージとして受け切ったあと、さらにナインは前へと駆けてくる。


「くっ――」


 倒される。

 咄嗟にザンマはその腕を足場に、宙に翻る。空中前転。ナインの頭を飛び越えて地面に手を突いて振り返ってすでに上を取られて迎え討とうとした刀が、


「な――」

「はずれ」


 空を切った。


 馬鹿な、と思う。空中に飛び上がった生き物というのは基本的に脆い。身体のコントロールができない。上昇のために使った跳躍力と星の重力の奴隷でしかない。予想した場所に刃を置けば絶対に当たる。


 はずなのに。


「空中跳躍――ッ」


 ナインは、二度跳んだ。

 宙に見えない足場があるかのように――いや、実際にそこに、あったから。


『聖女』の戦闘補助は、回復魔法だけではない。

 そのことを、今、ザンマは思い出した。


 完全に上方を取られた。右腕で刀は振り切って身体が開いている。ナインの踵が完璧な角度で空から降ってくる。


 衝撃。体重を、片腕で受け止めて骨が軋んで。

『逆光』の砲口はザンマの頭に向けられている。


「仕留め――」

「〈秘剣・月光〉!」


 一瞬だけ、踵を受け止めたザンマの手が引けた。

 ほんの僅か。当人同士でしかわからないようなごく短い時間と距離、ザンマの腕はナインの踵から離れて。


 その隙間が、加速距離。

 ザンマの腕が、刃物のような鋭さで、ナインの足を半ばまで切り裂いた。


『逆光』の引き金はもう遅い。見当違いの方向へと破壊の矛先を向け、バランスを崩したナインが地面に背中を打ちつける。


 その胸を、ザンマの足が踏みつけた。

 みしり、とその奥の床まで亀裂が走るような力で。 

 

 ふッ、と短く強く、ザンマは息を吐く。

 それを呆れたような顔で、イリアが見ている。


「――どこからツッコめばいいわけ? あんた、腕に刃物でも仕込んでんの?」

「仕込んでいるというなら――」

「あ、いい。技を仕込まれたとか言うんでしょ。いい、いい。つまんないからそれ。ていうかあんた、あたしの話聞いてた? 反撃するなって言ったじゃない」

「……どういうつもりなのでござるか」


 刀を手に、ザンマはイリアに近付く。

 もう、目の前にいるかつての仲間が敵だということは、わかっていた。


 それでも。


「それ訊いてどうするわけ?」


 冷たい顔で、イリアは言った。


「あたしが今から『実はこんな悲しい過去があってみんなを殺しまわってるんですぅ~』『ひぃ~んザンマくん助けてくださ~い』とか言ったら何。こっちに寝返ってくれるわけ?」

「そういうことを言っているのでは――」

「ほら答えらんない。バシッと答えればいいじゃない。何か理由があるなら。違うでしょ。ないからそうやって一時しのぎみたいな言葉が出てくる。理由を探してるだけでしょ? 気持ちよーくあたしのことを殺せるだけの。『理由とかないですただ人を痛めつけて殺すのが好きなだけで~す』ってあたしが答えたら自分が悪者にならずに済むもんね。それだったらどれだけあたしに酷いことしても寝て起きたらスッキリ爽快で明日からも清く正しく美しい真人間としての人生が送れるもんね。甘えんじゃないわよ。あたしはあんたを気持ち良くするために生まれてきたわけじゃないわ」

「違う! 拙者が言いたいのは、そうではなく……」


 ザンマが叫べば、イリアは饒舌だった口を含む。

 ただ一言だけ、こんな台詞を残して。


「そうじゃなくて、何よ」


 自分でも。

 ザンマはそれが何なのか、わかっていなかった。


 何かを、自分は言おうとしている。そのことだけはわかる。だって、そうじゃないならここでイリアに一太刀を振るうだけで全ては終わっている。『聖女』と言っても直接の戦闘能力が高いわけではない。一対一で負ける道理がない。今この瞬間に街が四つの『ダンジョンコア』保有者の攻撃を受けているかもしれないと思うなら、この場は可能な限り速やかに終結させるのがいいに決まっている。


 それでも刀を振るえないのは、理由があるからだと。

 わかっているはずなのに、それは言葉になってくれない。


 かつての仲間の前に、立ち尽くしている。


「……不幸な生き物よね、あんたも」


 結局、先に口を開いたのはイリアだった。


「別に、どこにでもいるような普通のヤツなのに、力ばっかり強くなって……。殺すだの殺さないだの、そんな物騒な話、本当は関わりたくないんでしょ? 剣に興味があったのだって本当は子どものころだけ。今は全然興味なんかないのに、それしかないから必死で縋りついてる。それがなくなったらあんた、いままで自分が何のために生きてきたかわかんなくなっちゃうもんね」

「――ッ!」


 なぜそれを。

 ザンマは弾かれたように瞳を大きく開く。


 イリアは、同情するように、優しく笑っていた。


「――あたしは人の心が読めるのよ。神官系混じりの最上級ジョブはみんなそう。弟もね。だから、あんたの隠してたことも、ごめんね。全部知ってる。計画の邪魔だからってパーティから追い出したとき、あんたがどれだけ傷ついたのかも知ってる。……傷つけないと出て行かないと思ったから、そのつもりで話したんだもん」

「――――馬鹿な」


 そんな力があることを、ザンマはまるで知らなかった。出会ったことのある神官系の最上級ジョブは、これまでの人生でイリア、それからついさっき打倒したナインの二人だけ。本当にそんな力があるのか、知識としてはわからない。


 けれど。

 どう考えても、目の前にいるイリアは、自分の心に触れていた。


 イリアが歩いて、近付いてくる。

 無防備で、隙だらけで。


 ザンマは動けない。


「あんたがライトタウンに行ったって話聞いたときは笑っちゃった。アイドルとかハマってたでしょ。そういうの好きそうだもんね。綺麗なものっていうか、輝いてるものっていうか。でも、うん。あんたにはそっちの方が合ってると思う。好きな人がいて、その人を応援して、友達とつるんで何となく幸せに暮らして、って。そっちの方が、きっとあんたには――」


 ザンマの目の前で、イリアが止まる。

 手袋を外して、真っ白な細い手指を外気に晒して。


「似合ってたと、思うんだけどね」


 ぺたり、とザンマの頬に、触れた。





「――――〈魔人転化(デモナイズ)〉」





 本能だった。


 考えるよりも、感じるよりも、もっと先。

 義兄と義母との斬り合いで目覚めたのと同じ場所。ザンマの剣鬼としての、生命に深く根付いた本能が、彼女の手から距離を取らせた。


 一瞬を数えるために六十を進む時計があったとして、その最初の一刻みにも満たない。


 それでも心筋が捩くれて死にかけているのが、自分でもわかった。


「今ので死んじゃえば楽だったのに」

「イリ、あ――お主は――」


黒き神(チェルノボグ)』。漆黒の人型。死を与え、死を奪う特A級悪魔。


 能力は大まかに二つ。


 ザンマの背後で、胸骨を砕かれたはずのナインが起き上がる。


「ネクロマンシーと、」


 イリアが漆黒に染まった手を、宙に振る。

 漏れ出したのは、怖気の走るような黒い瘴気。


「死毒。……いくらあんたでも、これなら死ぬでしょ」


 心臓を押さえる手を離して、ザンマは刀を握る。呼吸が荒い。荒くなれば荒くなるほど毒を吸い、さらに消耗していく。


 長くは保たない。

 けれど目の前にいるのは、死してなお動くAランク相当の教会騎士と、それを操る究極の補助神官。


 すでに、ナインの身体に傷はない。




「それじゃあ、そろそろ本番始めましょ。死んでる相手にどう戦うつもりか見せてみてよ、」




 人殺し、とイリアは言った。




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