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40 夢の蝶でござる



「――クラヴィス! どういうことだ!」

「……ザンマではない、か」


 久しぶりだな、と夜の中に佇んでいるのは。

 銀髪の『大魔道』。クラヴィス=デイルヴェスタ。


 ヒナトにとってはなじみ深い顔。

 けれど、今こうして向かい合って、仲間として駆けつけたわけではないことは容易くわかる。


「何をした……そいつらに!」

「邪魔だったからな。少し眠ってもらった」


 あたりには、警備に当たっていた冒険者たちが転がっている。

 外傷はない。ただ突然気を失ったように無防備に。眠っているかのように、倒れ込んでいる。


「もっとも――俺が死なない限り、彼らが眠りから覚めることはないが」


 憂いを帯びたような表情。けれど淡々とした口調で。

 彼は告げる。――自分が敵であることを。


「……兄様?」


 剣を握るヒナトの後ろ。杖を握りしめて駆けてきたのはヨルフェリア。

 彼の、妹で。


「ど、どうして……」

「ヒナトにヨルフェリアか。……ザンマ=ジンがここにいないのは残念だが、『勇者』と『補助魔法士』なら、そう組み合わせは悪くない」

「質問に答えろ、クラヴィス!!」


 犬歯を剥き出しにして、ヒナトは。


「どういうことだ……お前、なんでこんなことをしてる!」

「答えが必要か?」


 刹那。

 ヒナトはヨルフェリアを抱えて後方へ跳んだ。


「きゃっ……!」

「ぐぅ――ッ!」


 ほとんど第六感じみた超反応によってすら、ダメージは避けられない。爆風に煽られて地面を転がり、再び剣を構えて立ち上がったときには、もう今の攻撃の正体はわかっている。


「無詠唱――!? お前、まさか……」

「当然の話だ。ザンマが近接戦闘でお前に勝るのと同様に、魔法戦闘では俺の方が遥かに上。……自分が剣と魔法の両方に優れているとでも思っていたのか? 全くの逆だ、半端者」

「言ってくれるじゃねえか――!」


 自前の補助魔法。それを唱え始めるときには、もうヒナトは駆け出している。


「こういうのは手札が多い、っつーんだよ!」


 身体強化を終えれば剣に強化魔法をかける。宝剣は光を帯び、二人の間にあった距離は瞬く間に縮まっていく。


 簡単な話だ。

 ヒナトは、こう考えていた。魔法戦闘の間合いは中~遠距離。それで勝てないというなら、近距離戦闘に持ち込めばいい。ごく単純な思考ではあるが、『勇者』というあらゆる場面に対応可能な万能性の高いジョブを最大限に生かした戦法でもある。


 確かに有効な戦術だった。

 自分が相手より反応速度に優れている、という前提に立てば。


「な――ッ!」

「魔法戦闘に勝る、というのはな」


 急激に、身体が重くなった。

 水の中でもがいているのに近い。脚が鉛のように重くなって、ついさっきまでの駆け足が、駄馬にも劣る速度に変わる。


「相手から魔法を奪う、ということだ」

「呪縛魔法――!」


 クラヴィスが指を鳴らせば、それは姿を現す。地面から伸びる荊の蔦。それがヒナトの身体に絡みついて、ギチギチと軋みを上げている。相手の力や速さを奪う魔法の一つ。どれほどの力を込めても、ヒナトはそこから抜け出せない。


「ち、っくしょ……!」

「剣と魔法の両方を使ってようやく俺と同格だ。……魔法を失えば、俺の方が上。わかりきった話だろう」


 ブーツの底を鳴らして、クラヴィスがゆっくりと近付いてくる。

 戦闘中とは思えないほとの落ち着きで。誰もこの場に敵などいない、というように。


 だから、援軍が駆けつけた。


「姫様!!」

「ヒナト様が敵と戦ってる!」

「みんな、陣形を――!」

「来るんじゃねえ、馬鹿野郎!!」

「同意見だな」


 叫ぶヒナトに、クラヴィスが頷くと、駆けつけた冒険者たちのうちの一人――もっとも実力のある『ホワイトランタン』の幹部に向けて、


 ただ、指をさした。


「あ――?」


 それだけ。

 それだけのことで、Bランクの、決して弱いとは言えない冒険者が膝から崩れ落ちた。


 しん、と静寂が訪れる。誰も、何が起きたのか理解できなくて。


「やめておけ。お前たちでは俺に勝てない。歯向かうようなら、少々荒っぽい手段も取るぞ」


 動けない。

 攻撃とすら呼べないようなただの一撃で、力の差がわかってしまったから。


『大魔道』。魔法士の頂点。その中でも隔絶した実力をこの男が持っていると、理解してしまったから。


「てめぇは、何が、目的で――」

「お前も無理に動くな。棘が刺されば苦痛を伴うだろう」 

「ふざけんな!! 中途半端なこと言いやがって……てめえの目的はなんなんだ!!」


 ひた、とクラヴィスはその足を止める。

 呟いて。


「そんなに……それが知りたいか」

「兄様!!」


 呼びかけたのは、ヨルフェリア。

 クラヴィスと目が合えば、ほとんど泣いているような表情で。


「嘘、なんですよね。だって、ボクが家を出るときだって、兄様が――」

「そういえば、お前に言おうと思っていたことがある」

「え、」

「安心しろ。きっとお前にとってはいい知らせだ。父――デイルヴェスタ公爵及び母、兄、お前を虐げていた全員だがな」


 ふ、と彼は微笑んで、



「全員殺したよ。――よかったな。これでお前は、本当に自由だ」

「――嘘」



 ヨルフェリアは。

 この兄が笑ったところを、一度も見たことがなかった。


 デイルヴェスタ公爵家第三子。自分と同じ、家のための人形でありながら、自分より遥かに優秀だった兄。自分が公爵家を出たいと言ったとき、その魔法で逃がしてくれた、ほとんど感情を見せないけれど、確かに優しいと信じていた、唯一の家族が――


「――そんなことしたら、もう、戻れないじゃないですか……」

「――やはりお前も、俺には似ていない」


 人を殺して、綺麗に笑っている。


「ヒナト。そんなに訊きたいなら答えてやろう。――俺に目的などない」

「あァ!?」

「生来感情の薄い性質でな。俺は何をしても、何をされても大して心が揺らがない。……空虚だ。この世界に満ちるすべてが」

「何を――!」

「だから、こう思った」


 さらに一歩。

 クラヴィスは、前に踏み出して。



「虚ろなものは、虚ろなままに――この世界を、在るべき形に戻そうと」

「ふざっ、けんなァあああああッ!!」



 宝剣が光る。全身の力を振り絞って、ヒナトは唱える。


「〈切り拓く力を(ファースト・)ここに(スター)〉――!!」


 この地に最初に降り落ちた、もっとも古い力。初代の王より連綿と受け継がれてきた、この国で最も気高い、星の力を秘めた剣。


 それが今、クラヴィスの呪縛の魔法を光で焼き切って、ヒナトの身体を自由にする。身体機能を過剰なまでに強化する。かつてこの地を支配していた特A級の、伝承に残された悪魔を滅した誇り高き一撃を――、



 クラヴィスが、止めたりしなかったのは。

 力の差を、見せつけるため。






「――――〈魔人転化(デモナイズ)〉」






 あ、と。

 呆けた声を、ヒナトは溢した。


 目の前で起こったことが、理解できなかったから。


 確かに、宝剣はクラヴィスの身体を貫いたはずだった。間違いなく、特A級悪魔を屠るだけの大いなる一撃が、彼を切り裂いたはずだった。


 だというのに、その瞬間に。

 彼は、無数の蝶と姿を消して。


夢の蝶(オネイロス)』。

 彼のダンジョンコアに宿る特A級悪魔の特徴は、その死体からは判明していなかった。けれど今ヒナトには、はっきりとそれがわかる。


 群体。

 夢想のように捉えどころのない、幻惑の中にひらめく悪魔。


 背後から耳元に、こんな囁き声が聞こえてくる。


「過去――そんなものが、本当にあると思うか?」


 クラヴィスの手が、輝ける宝剣へと伸びる。その刀身を、指の先でほんの少しだけ抓む。


 唱えるのは、究極の魔法。




「〈この世界()は存在し()ていない()〉――」




 王国の歴史が、粉々に砕け散る。




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