37 潜入!侍エージェントでござる
「申し訳ない。王族を受け入れられるほどの設備ではありませんが……」
「いえ、十分です。……正直言って驚きました。見事な手腕だ。自由都市のライトタウンがこれだけ速やかに防衛体制を取れているとは……」
ライトタウン第一防衛拠点、『イストワール商会』内部。
カイトとノージェス――王国騎士団長が握手を交わしていた。
王らを連れたノージェスが避難してきたのはつい先ほどのこと。寝耳に水の状況にカイト自らが対応に当たり、ようやく間に合わせながら彼らを匿うことができた。その手際の鮮やかさは普段慣れ親しんだ『ホワイトランタン』の面々すら「さすが没落貴族」と舌を巻いたほどで、「誰が没落貴族だ」とカイトはそいつらの頭を丁寧にひっぱたいて回った。
気疲れを拭うようにカイトは肩を回して、
「いえ、急造ですしほとんど俺のしたことはありません。個人戦力としては『ひかラブ』……アイドルオタクの集団にすら負けてますし、リーダーシップだってたかが知れたものです。ライトタウンはかえって自分の足で何かをするっていう気質がありますから、そっちの影響だと思いますよ」
「カイトさーん! 水道ぶっ壊れそうってこっちで言ってまーす!」
「後で行く! 先にそのへんの魔法士に見てもらってくれ!」
「リーダー! 味わかんなくなったからちょっとスープ飲んで感想ちょうだい!」
「いや……、あの、俺いま大事な話を……。ちょっと塩気強いから嵩増しした方がいいぞ」
「…………」
「……いえ、ときどきはこういうこともありますけどね? そりゃあ、誰だって誰かに頼りたいと思っているものですから」
恰好がつかないのを誤魔化ようにカイトは話を切り替えて、
「王が来たとなればヒナト様も呼び戻したいところですが……。すみません。第二拠点から離すのは……」
「構いません。……想像がつきますよ。こういうときに輝く人だ、あの姫様は。それに、王族は一箇所に固めない方がいい」
そう言ってもらえると、と胸を撫で下ろして、それから不意に、深刻な表情に変わる。
「王都陥落というのは」
「事実です。事前に出回っている情報と我々の持っている情報はほとんど同じかと。……『聖女』イリア=パーマルと『大魔道』クラヴィス=デイルヴェスタ。このふたりによって、王都はほとんど防衛機能を喪失しました。現在は教会勢力及び公爵私設軍により占領下に置かれています」
「彼らの目的は?」
ノージェスは被りを振る。
「わかりません。……おそらくこのふたりの個人的な理由があるのでは、と思われていますが」
「個人的……?」
「ええ。……彼らの私兵は、ほとんどが死体でした。『聖女』か『大魔道』のどちらかがネクロマンシーを行っている可能性がある」
カイトの身体が固まる。
ネクロマンシー。死体を操る呪われた禁術。何百年も前にその魔術を扱う『ロードデーモン』が出現したときは国を挙げての大戦争になり、結果として国民の一割が死亡したという、歴史書の中で目にするような大災害。
それが今、この時代に。
「この二人がライトタウンに襲来すれば、悪魔と死兵の大軍勢です。……こちらに、それに対応できるだけの戦力は?」
「……正直に言うと、かなり厳しいですね。でも、望みがないわけじゃない」
驚くノージェスに、カイトが語る。
『ダンジョンコア』を巡る話。すでにヒナトを経由して騎士団まで回っていた報告の内容をもう一度。
そしてこちらに、敵方が持つ四つのうち三つを何とかできる戦力がある、と。
「ネクロマンシーを使っているのはおそらくコア持ちでしょう。……そいつを短時間で斃してしまえば、こちらにも勝機はあります」
つまりは、とノージェスが言う。
眼鏡を押し当てて、冷や汗を流しながら。
「強力な単体戦力の潰し合いに勝てば勝利。負ければ敗北、と……」
まるで決闘だ、と。
そう、溢した。
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「……なんかこうして見ると、やっぱりザンマってちょっとおかしいくらい強いよな」
「む。……まあ、確かにそうかもしれぬな」
「否定しないんかい」
『ブラックパレード』本拠地。
その奥の奥。たったいま手刀で気絶させた男を床に寝かせて、アーガンとザンマは進む。侵入成功からすでに十五分。いまだに誰にもバレないままに、ふたりは敵拠点の中枢へ至ろうとしている。
「そうなるように鍛えられたでござるからな。背が高い、と言われて高くないと答えるのもおかしな話でござる」
「……そういや、ザンマの過去話って結局詳しくは聞いてなかったな」
右の曲がり角から誰かが近づいてくる。ザンマはすり足のような歩法でその角に素早く張り付いて、その誰かが角を折れる瞬間、蛇のように腕を絡め締め落とす。
ゆっくり、白目を剥いたその『ブラックパレード』の構成員を床に寝かせる。アーガンが横から割り込んで、ひょいっとその瞼を閉ざして瞳を隠した。乾いちゃうと可哀想だしな、と言って。
「そうでござるな……。拙者、生まれはそれほど大したものではござらん。ただの市井の、道場主の子でござった」
「道場持ってるって結構すごくないか?」
「否、それほどでも。生国では剣術が盛んでござってな。小さな道場くらいは珍しいものではござらん。なにせ今にして思えば国民の三割ほどは『サムライ』のじょぶを持っていた。……もっとも、あの国ではじょぶなどという考え方は大して重く見られてはござらんかったが」
「へえ? そんな国もあるんだな」
「結局最後に物を言うのは肩書ではござらんよ。まあとにかく、そこまで大した道場でもなかったのでござる。父も母も早くに亡くし、門下生など月に数回も来ぬ。唯一の身内は年の七つ離れた姉だけでござったが、剣術師範だというのに割烹の仕事に出ている時間の方が長いような有様。有体に言って、貧乏でござったな」
「姉貴もやっぱ、強いわけ? ザンマみたいに」
「否。力を抑えたアーガン殿でも互角くらいでござろう」
何か意外だな、と階段へ。さらに地下へと降りていく。階段の向こうは日の光もまるでない暗闇だから、アーガンが灯火で照らしながら。
「それで? そんな状態でどうやって強くなったんだよ」
「こう見えて拙者、幼い時分はやんちゃ坊主でな。気に入らぬ悪漢を棒で叩いて回っておったのよ」
「恐怖だな」
「その頃は弱いものでござる。いけ好かぬ大人に食って掛かっては殴られるというのもザラよ。そのころ自然に抜けた乳歯がござらん。すべて殴られて欠けていったのでござる」
「……いま、オレの中でザンマのイメージがガラガラ崩れていってる」
ふ、とザンマは笑って、
「むしろ崩れるいめぇじがあるだけ儲けもの。礼儀作法やらは、義兄と義母に多少は教え込まれたのでござる。……姉が結婚することになってな。相手は割烹料理屋で出会った男――それが拙者の国の若殿でござった」
「ワカトノ?」
「この国で言うところの王子でござるな」
えぇっ、とアーガンは驚いて、
「最近王侯貴族の知り合いが増えるな……」
「おかげで拙者も貧乏生活とはおさらばでござる。たったひとりの姻族ということで随分可愛がられて、剣術が好きだとわかると古今東西あらゆる流派の武芸師範を呼んで、その技を指南していただいた」
「なるほどね。ってことは、そのときにか」
「うむ。半分はな」
「半分?」
「残りの半分は、義兄と義母との斬り合いの中で身に付けた。……死線を越えて得られる力、というやつでござるよ」
階段は連続していない。各階から各階へと移動するたびに場所を変え、必ずフロアを横切るように動かなければ次の階には辿り着けないようになっている。対襲撃者用の造りで、だからふたりはまた歩いていく。ときどき、警備員を寝かしつけながら。
「ある日、義兄の部屋に呼ばれた。……そこで見たのは、姉の死体と返り血を浴びた義兄の姿でござる」
「…………そりゃあ、」
「初めから、だったのでござるよ。最初から義兄も義母も姉には何の興味もなく……幼い拙者の棒振り遊びの中に見出した天稟を鍛えるのが……そして完成した拙者と斬り合って殺すのが、目的だったのでござる」
アーガンの手が、中途半端に持ち上がる。
ザンマの肩に手を置こうとして、けれどそれは、力なく元の位置に戻っていく。
俯いたまま、言った。
「なんだよ、それ……」
「剣狂い、とでも言えばいいのか。戦乱の色濃い時代でござった。強ければ誰でも王になれた。ゆえ……あのふたりは、力を求めていたのでござる。それがやがて歯車を違えて、力ではなく果し合いと闘争、それ自体を望むようになった」
「…………あのさ、前に言ってたのって」
ああ、と。それでも穏やかに、ザンマは頷いた。
「斬り殺した。義兄も、その奥の義母も。怒りに任せて、死に顔もわからぬほどにズタズタに引き裂いた。強かったでござるよ。二人とも、ほとんど化け物でござる。拙者に指南に来た各流派の達人たちをその帰り際、戯れに惨殺していたほどの者たち。極東の上から二指はまず間違いなくあの二人でござった。……それからでござるな。拙者の剣腕がこれほどになったのは」
十四のときでござった、と。
短く、ザンマは付け加えた。
「国主を斬り殺してはもはやそこにはいられぬ。そうして海へ出て、今はここ、というわけでござる。……つまらぬ話でござったな」
「つまんなくなんかねえよ」
ザンマは振り向かないまま。
背中で、アーガンの声を聞いた。
「つまんなくなんか、ない」
「…………ありがとう」
それからしばらく、ふたりは無言で歩き続けた。
その足が止まったのは、ここだ、と思ったときのこと。
「……怪しいな」
「うむ。どうもここだけ扉が分厚い」
「封印魔法もかけてある。……ダメだな。オレの力で外すとかなり大袈裟になる」
「下がっているでござる」
言うや、ザンマが腰を落として扉に向き合う。アーガンが十分に距離を取ると、ふッ、と突風のような息を吐いて、
抜刀。
音すらもせず。
「『断刀・非鉄』――」
ず、と岩の上に置かれた石が滑り落ちるように、扉の上半分がずるりと崩れた。
「……いやもう、なんか。何も言えないわ、オレ」
「曲芸でござるよ」
その崩れた扉を手で掴んで床に置きながら、ザンマは言う。
その中は、書斎になっていた。




