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02  出会え出会えでござる



 小高い丘の上で、人家ひしめく街並みを見下ろしながら素肌を風に晒して、ザンマ=ジンは考え込んでいた。


「辞世の句が……、思い浮かばんでござる!」





 その後の馬車は、無事ライトタウンに到着した。そしてザンマは、同道した人々から一身に感謝をうけることになった。


 御者は「御代はいりやせん」と言ってタダ乗りさせてくれた。

 護衛らは「つまらんものですが」と言って短刀を譲ってくれた。

 老夫婦は「何かあれば頼ってください」と言って高級そうな名刺をくれた。

 商人らは「金です」と言って金をくれた。

 少女は、


「お兄さん強いんだねー! 私からはこの回復ポーションと……あと、こういうの興味ないかもしれないんだけど、せっかくだから、はいこれ! ライトタウンで開催する大型フェスのチケット!」

「てぃけっと、にござるか……」

「なんでネイティブっぽい発音に直した?」


 なんらかのチケットをくれた。


 しかしザンマの足取りは一直線だった。死ぬなら見晴らしのよいところがいいというのはサムライの常識である。天晴れな光景を目の前に腹を切ってこそ切腹よ。そういう思考の下、ライトタウン――文化の発信地と名高い王国第二の都市を一秒も観光することなく、こうして街はずれの小高い丘で上裸になって小刀を握りしめていた。


「辞世の句が……、思い浮かばんでござる!」


 わざわざ二回言うくらいには思い浮かんでいなかった。

 サムライたるもの、辞世の句を詠んでこそ切腹というもの。詠まないことにはその腹切っても切られない。風流を解することもひとつ、サムライに求められる技能ではあったが、ザンマはその手蹟に並ぶものなき能書家である(字がとっても上手いという)ことを頼りに少年期を誤魔化してきたから、作句がまるで不得手だったのである。


 ただひとりで死ぬのだから、その出来不出来を誰に咎められることもなかったが、それでも死に際の一句というのは重たいものだった。


「……風にでも、訊いてみるでござるか」


 ザンマは目を閉じた。そして、耳を澄ました。

 風の声を聞いて、そこに句を見つけようとしたのである。


 そのままどれほどの時が経っただろうか――不意に、ザンマの心に、言葉が浮かんできた。



 冬風に

  言いたいことがあるんだよ

   やっぱりシアシアかわいいよ

    好き好き大好きやっぱ好き

 やっと見つけたお姫様

  俺が生まれてきた理由

   それはお前に出会うため

    俺と一緒に人生歩もう

 世界で一番愛してる

  ア・イ・シ・テ・ルー!!!(字余り)



「誰がこんな句を詠むかーーーーーーっ!!!! ……はっ、雑念……!」


 集中がぶちぎれたところで、ザンマの目は開いていた。

 気付くと、すっかり夜が来ている。眼下に見下ろすライトタウンには、その名のとおり星明かりすら霞ますほどの人火が灯り、華やいでいる。


 その中でも、一際輝く場所があった。


「あれは……、すてぃじ、にござるか?」


 風から聞こえてきたと思しき句は、当然のことであるが風の声ではなかった。

 風に乗ってきた、オタクの雄たけびだったのだ。ザンマはその時点で、その声がオタクのものだったことを知らなかったが。なんならオタクという存在そのものすら知らなかったが。


 ふう、と溜息を吐いたザンマが、その日の腹切りを諦めたこと。

 そして、何をするでもないからと、そのステージへと吸い寄せられるように進んでいったこと。

 そういうのを、運命と呼ぶのかもしれない。


 飛んで火にいる夏の虫、とも言うかもしれない。





 ものすごい歓声と熱気に、ザンマは気圧されていた。


 ステージは間近で見ると巨大だった。幾人かの冒険者が警備に当たり、仕切りを作ってその入場を制限している。これは中には入れまい、と距離を取って眺めていたザンマだったが、ふと思い出して少女から貰っていたチケットを見ていると、その内容を改める前に『スタッフ』と書かれた腕章の男が現れ、「中入っちゃってくださーい」と強引に人ごみをかきわけて、仕切りの中に入れてくれた。


 仕切りの外で見るよりも、数倍の熱量がそこにはあった。

 オタクの歓声。オタクの汗。オタクの流す、世界でいちばん綺麗な涙――。


 さしもの元Aランク冒険者も、これほどのダンジョンに潜ったことはなかった。


「な、なんでござるか、これは……」

「おいおい、お前。まさか棒立ちか?」


 困惑するザンマに、話しかけてきた男がいる。

 長身のザンマですら見上げるような禿頭の巨漢だった。ザンマの立ち場所の左隣に陣取り、『モリア♡ 生きててくれてありがとう♡』と書かれた黒いTシャツがはちきれんばかりに張っていて、二の腕の丸太のように太い男だった。


「ぼ、棒立ち?」

「チッ……! 地蔵かよ、おめーは。予習もしてきてねえのか? 何のために現場来てんだ? 演者のモチベが下がるようなことしてんじゃねーよ、このケツの青いひよっこが!」

「じ、地蔵……?」


 わけのわからない単語を浴びせかけられ混乱を来すザンマに、大男が掴みかかろうとしたそのとき、


「おい。あんまりみっともない真似すんなよ」


 口を挟んだのは、ザンマの右隣にいた青年だった。

 肩くらいまでの少し傷んだ赤い髪で、一方で顔立ちは力強い釣り目を中心に整っている。『シア♡ グッズ出して♡』と書かれたはっぴを着ていた。


「大型のフェスなんだから右も左もわかんねえ新規が来るのなんか当たり前だろ。そうやって古参の常識を頭っから押し付けようとする態度が、業界を先細りさせるんだぜ」

「な、なんだと……!?」

「だいたいアンタ、推しの名前背負った服着て新規威圧してさ、それでいいのか?」


 青年の一言に、大男はぐ、と言葉に詰まって、


「チッ……!」


 とステージに集中を戻した。

 それを見届けると、青年はザンマに顔を寄せて、こう語り掛ける。


「やー、災難だったな。お兄さん」

「いや……」


 そしてザンマも、話の成り行きがようやく読めていた。


 茶の湯のようなものなのだ。

 おそらくこの場には、この場なりの洗練された作法がある。そして自分はそれを知らずにずかずかと入り込んできた無礼者なのだ。


 恥、という言葉が脳裏に浮かぶ。


「庇っていただき、かたじけのうござる。拙者、作法も知らず申し訳のないことをした。これ以上の無礼を重ねる前に、失礼させてもらうでござる」

「おいおい、ちょっと待てって」


 そそくさと踵を返そうとするザンマの手を、青年がつかむ。


「何も帰ることはねえさ。ライブの楽しみ方、オレが教えてやるよ」

「いや、しかし」

「何もそんなに怖がることはないって。ほら、これ」


 青年は、ごそごそとはっぴの中に手を入れると、奇妙な光る棒を取り出して、ザンマに手渡した。


「これは……?」

「ライトニング・オタク・ブレイド……。ペンライトだ」

「なにゆえ光ってござるのか」

「オタクはぴかぴか光ってるもんが好きなのさ。ほら、そんなに難しくはないぜ。周りの動きに合わせてその棒、振ってみな」


 オタクとは一体何か。その疑問を口にするより先、ザンマは青年の言葉どおり、周りの動き、それからステージから流れてくる音楽に合わせて、そのペンライトを振った。


 サムライたるもの、楽器の嗜みのひとつくらいはある。ザンマは横笛をいくらか吹くが、その経験を活かしてそれほど間を置かずに、場の空気に慣れ始めた。音に合わせて、身体を動かす。ゆったりとしたものではあったが、なるほどこれは楽しかった。ザンマの様子を見つつ青年が「次のところで周りに合わせて『ハイ、ハイ、ハイ』って声を上げるんだ」などと助言をしてくれて、それに従って声を上げるのも、凝り固まった淀みが発散されるような、そうした心地よさがある。そのうち青年の助言がなくとも、周りで声を上げるタイミングがわかるようにすらなった。


「あんた、本当にライブ初めてか? コールが上手いな」

「こぉる、でござるか?」

「ああ。音楽に合わせて、歌に合いの手を入れるのをコールって言うんだ」


 コールのやり方がわかれば、今度はステージのことが気になり始めるのが道理である。

 代わる代わる可愛らしい衣装に身を包んだ少女たちが出たり入ったり、歌ったり踊ったりする様をザンマは不思議に思い、小休止の間に、青年に尋ねた。


「その……この場は、いったいどういう場なのでござるか?」


 青年はさすがに驚いて、


「あんた、何も知らずに来たのか? チケットはどうしたんだ?」

「てぃけっとは、人から貰ったのでござるよ。ちょっとした縁があって……」

「なるほどな。ずいぶん太っ腹なやつだぜ、そいつ。このステージは『ライトタウン所属アイドル合同・大型フェス』さ」

「あいどる……合同……大型……ふぇす?」

「フェスっていうのは、お祭りってことだよ。色んなアイドルを、グループとか事務所に関係なく呼んで入れ替わり立ち代わりライブをすんのさ」

「らいゔ……」

「なんでちょっとネイティブっぽい発音に直した? ライブってのは……、まあ、歌ったり踊ったりってこと。で、その歌ったり踊ったりする人っていうのがアイドルさ」

「つまり……歌い手や、踊り手を合わせたのが、そのあいどる、にござるか」

「うーん……」


 言葉に詰まった青年に、ザンマは首を傾げた。


「そういうわけじゃないんだよな。歌い手とか踊り手っていうのは、あくまで歌とか踊りを評価するものだろ? アイドルっていうのは人そのもの、その人の人生とか物語を魅せるものっていうか……。あ、わりい。ちょっとペンラ貸してもらえるか?」


 貸すも何も借りているものである。ザンマがぴかぴか光る棒を手渡すと、青年はそれを手元でかちゃかちゃと弄くる。すると、光の色が青白く変わった。


 なんと、とザンマが驚いていると、


「次に出てくるシアって子が、オレの推しだからさ。色合わせてほしかったんだよ」

「推し、とは」

「贔屓のアイドルってこと。今日は別のグループの穴埋めでもう一回出てるから、二回目はマジで盛り上がると思うぜ。……そうだ。もしかしたらあんたもシアちゃんを見れば、アイドルって何かがわかるかもしれないな。なんせ……」


 すげえアイドルだからさ。


 その言葉は、休憩が終わったことを示す暗転と、それに伴う音楽の始まりと、彼女の第一声。

 そして、大歓声に、かき消された。


 ザンマは目を見張った。ステージに上がってきたのは、馬車で同乗した、自分にチケットを渡してきた、あの少女だった。ただ平地に見てすら麗しかった顔立ちは、白く強い照明の下で、この世のものとも思えないほど際立って美しかった。


 ただ容色ばかりではない。

 つい先ほどまで出ていたアイドルたちも間違いなくレベルが高かった。高かったのに、この少女が出てきた途端、世界が変わった。


 声は、いまだ存在しない季節のように切実だった。

 言葉は、誰も知らなかった意味をそこにあらしめるように真っすぐだった。

 指先は神秘の輪郭をなぞるようにひそやかで、足取りは好奇の扉をくすぐるように淡く。



 その瞳は、そのときその場にいた観客のすべてを、ぞっとするほど真芯で捉え、惹きこんだ。



 なんだこれは、とザンマは思う。

 東の国からやってきた。冒険奇譚も数多く、秘境と呼ばれる地にも幾度か足を踏み入れた。けれどこんな、こんなものに出会ったことは――。


(あ、)


 そのとき、ふっと見えた。


(いや、これは)


 いつの間にか、会場の色が変わっていた。

 ザンマの手の中にあるのと同じ。彼女のイメージカラーなのだろう青白色に、いくつものペンライトが色を変え、振られている。



 それは、真っ青な海が揺れているようだった。



(見たことがある。これは、拙者が。拙者が東国を出て、海を渡る小舟の上に見た、あの、初めての、春の日の――)



 その海の真ん中で、彼女は青い夜明けの陽のように、微笑っていた。



(光り、輝く、)



 茫然とする意識の中で、ザンマは青年の言葉を思い出している。



――オタクはぴかぴか光ってるもんが好きなのさ。



 齢十九。

 追放者。


 己がオタクであることを、初めて知った。





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