28 夏の赤裸々告白大会でござる
午後二時。
もっとも夏の匂いの濃くなる時間でも、まだ彼は旋棍を振るっていた。
身体を動かす。信じられないような速さ、正確さ、そして力強さで。風を切る音のひとつひとつが暑気を引き裂くような鋭さで、汗の跳ね散る温度すらも一瞬のうちに冷めていく。そんな研ぎ澄まされた套路を、彼は続けていた。日が昇るよりも、ずっと前から。
その動きが、気配を感じてピタリと止まる。
視線の先には、東洋風の衣装の男。
「済まぬ。邪魔をしたでござるな」
「……いい。達人に……恥ずかしいものを見せた」
そんなことはござらんよ、と言うザンマの元へ、シェロが歩いていく。『イストワール商会』敷地内。関係者専用の、天井のない修練場。ベンチに置かれたタオルで汗を拭くと、シェロは水を一気に煽った。
「東方武術でござるな。シェロ殿も、そちらの生まれでござるか?」
「いや……。ただ、師匠筋から……受け継いだだけ」
ちらり、とシェロはザンマの腰に提げた太刀を見て、
「ザンマくんは……東方の?」
「極東の生まれにござる。シェロ殿の武術の発祥地より、もっと東の国でござるな」
「そこから……旅を」
「うむ。十四のときに国を出て、以来はこうして風来坊でござる」
「……そうか」
もう一口、水を飲もうとして、それが空だということにシェロが気付く。すると「ん」とザンマが満杯まで水の入った容器を差し出して、だからシェロは礼を言って、それを受け取った。
一口、飲んで。
修練場の、夏日に立ち込める蜃気楼を見つめながら、ぼそりと零す。
「すごいな……ザンマくんは。……私は、どこにも行けてない……」
誰にだって、生きていれば事情というものがある。
シェロの事情。
彼の言葉は、それを思わせるような、切実な響きを孕んでいた。
「……ところで。今日は……何か私に?」
「あ、いや」
急に話を戻されれば、少しザンマも慌てて、
「……シェロ殿。もう、しばらく家に帰ってこんでござるな」
「……カイトくんのところに……泊めてもらっている。心配なら、いらない……」
「心配、というか、」
バツが悪そうに、ザンマは頬をかいて、
「その、拙者、あまりこれまで友人というものがござらんかった。ゆえ少し、否かなり、変なことを言ってしまうかもしれんのでござるが」
「…………?」
不思議そうに、シェロがザンマを見る。
本当に、自分で自分に呆れ果てる、というような顔で、ザンマは言った。
「シェロ殿がいないと、寂しいのでござる」
ぽっかりと。
シェロは、マフラーの下で、口を開けている。
「……さび、しい……?」
「やはり、変な言い方でござったか?」
「いや……少し、驚いただけ。思っても……なかったから……」
そうか、と。
シェロは、目を見開きながら。
「私は……君の……。そうか……」
その、とザンマは勇気をさらに出して、立て続けにこんなことを言う。
「正直に言うと、拙者もシェロ殿に会いに来るのは控えていたでござる。例の通り魔……シェロ殿にとっては、何か重要な相手だったのでござろう?」
「……うん」
「拙者、あの場では街のために動いたつもりでござる。けれど、シェロ殿のためにはなっていなかったのではないかと、恐れていたのでござる」
「……恐れる?」
その言葉を、シェロは不思議そうに、
「ザンマくんが……?」
「拙者、怖いものだらけでござるよ」
ふにゃり、と情けない顔で、ザンマは笑った。
この街に来るまでは、国を出て以来一度もしたことのなかったような、顔。
「せっかくできた友人でござる。なくすのが怖かった。ほとぼりが冷めるのを待っていた。アーガン殿が『一緒に行くか』と訊いてくれたときにも、首を横に振って答えてござった。……けれど先日、古い友人と、仲直りをしたでござる」
「……ヒナト、さん」
「知ってござったか」
「アーガンくんから……聞いた。今は……あの家に住んでると」
「おかげで毎日うるさくて敵わんでござる」
ふ、とシェロは微笑む。
アーガンからも聞いていた。意外にもふたり、喧嘩ばかりの日々だ、と。
「しかし、な。拙者少しばかり、贅沢になったようでござる」
「……贅沢?」
「うむ。これほど恵まれながら……まだ、幸せになりたいと、そう思うようになったでござる」
さらり、と風にザンマの髪が揺れた。
「友もできた。あいどるという好きな物もできた。……それだけでも十分なはずが、まだ求めたいものができた」
「……それは、」
「もちろん、シェロ殿でござる。……『いつか』『そのうち』そんな言葉を後生大事に取っておいて、本当に大切なものを手放すのは御免だ。……話してくれぬか。何か、事情があるというのなら」
もうあれから、数月が経った。
ライトタウンを騒がせた通り魔事件。それをザンマ=ジンが解決してから。
シェロ=テトラが解決できずに終わってから。
寝食を惜しんで棍を振り続けた。長い空白を埋めるために、必死で武技を練り直した。
それでもシェロには、わかる。
今、あの日に戻ってクド=クルガゼリオと対峙したとして、自分は決して勝利できない。
その理由は明らかで。
隠している、力があるから。
見せられない、力があるから。
自分の過去から、本当は、逃げているから。
でも、今なら。
今、ふたりでいるなら。
「……聞いて、くれるか……」
身体が震える。
あれほどかいていたはずの汗が、氷のように冷たくなる。頭が石に変わったかのように、固く、重くなる。
それでも。
それでも、誰かに。
誰かに――――言いたかった。
「私は…………かつて、テロリストだった」
それは罪と、裏切りの記憶。




