27 仲直りと夏の星、でござる
「それでボク、家を出ちゃったんです」
「え……えぇっ!?」
話の途中で、思わずザンマは大きく声を上げてしまった。
「なんだか色々、飛ばしてござらんか?」
「ふふ、ぶっ飛ばしちゃいました。その先も、本当は色々あったから」
夜。
まだ静かな、夏の月の下で。りーりーと虫の鳴く声を聞きながら。
「その後はボクが姫様を見習って、自分の人生を自分で生きる決心をしたりとか、諸々の部分があるんですけど……、いちばん伝えたいことはそこだったから」
橋の下をするすると水路は流れて、ぽつり、とヨルフェリアはその水に零すように言う。
「ボク、姫様が好きです」
「…………」
「好きなんです。誰に、何と言われても」
「……そうか」
蒸し暑い空気の中、声はさざ波のように届く。
「だから、姫様贔屓の説得になっちゃうんですけど――、ザッくんには、姫様と仲直りしてほしいんです」
ここまでまっすぐな言葉を向けられれば、ザンマも何も言えなかった。
「……今の言い方、逃げ場がなくて卑怯ですかね」
「いや――、本当のことを言うのを、卑怯とは呼ばぬでござろう」
苦笑するヨルフェリアに、ザンマは言う。
「拙者もわかっているのでござる。ヒナトが、よっちゃん殿が好きになるような人間であることは」
「わ」
「む?」
「その言い方、ちょっと恥ずかしい……」
自分で言っておいてでござるか、とザンマが呆れたように言うと、えへへ、と照れ笑いをした。
まったく、とザンマも笑って、それから目を瞑って、
「信じられないのは、自分自身なのでござる」
「自分を?」
「あのとき――『夜明けの誓い』を追い出されたとき、拙者はヒナトすら信じ切れなかった」
ザンマは、心を決める。
よっちゃんが自分の過去を見せてくれたのだから、自分も、と。
「拙者、兄と母に裏切られたことがござる」
「え――」
「よっちゃん殿も、家族には恵まれなかったようでござるが――。拙者もでござる」
ええっと、とヨルフェリアは慌てた様子で、
「じゃあ、えっと、仲間ですね。家出仲間っていうか――」
「否」
ザンマは、しかし首を横に振る。
「拙者は家出とは少し違うでござる。もう、家自体がないでござるからな」
「それって、どういう……」
「兄も母も、この手で斬り申した」
ヨルフェリアが言葉を失う。
ぎゅう、とザンマの手が、何かを堪えるように拳を作る。
「信じていたのでござる。兄も、母も。自分が愛されていると信じていた。それが――」
「ザッくん」
その手に、ヨルフェリアが触れた。
強張ったそれに、恐る恐る。
「……ザッくん」
そしてもう一度、名前を呼んだ。
ザンマは、涙が溢れそうになるのを抑えて、それでもその先を続ける。
「拙者は、自分が情けない」
「うん」
「怖いのでござる。大切なものを作って、またそれをこの手で壊すことになるのが」
「うん」
「拙者は――」
一筋。
「――――人を殺すのが、怖い」
涙。
「……きっと、誰だってそうですよ」
ヨルフェリアが、ザンマの拳を、自分の指でなぞった。
「だから、何かを大切だって、思うんじゃないかなあ」
ね、とヨルフェリアは、ザンマに訊く。
「姫様のこと――ヒナトさんのこと、大切だっていうなら、仲直りしてくれませんか?」
きっと、と。
ヨルフェリアは。信じている声で。
「ヒナトさんも、ザッくんと仲直りしたいって、思ってますよ」
空を見れば、淡い星々、月明かり。
流れ星、ひとつ。
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がちゃり、と扉の開く音が聞こえればヒナトが慌てだす。
「お、おいっ! どーすんだ、まだ練習終わってねーぞ!」
「そりゃ、もうぶっつけ本番でやるしかないだろ……」
「できると思ってんのかっ」
「なんだか賑やかですねえ。アーくん、早速仲良しですか?」
ただいま、とヨルフェリアがリビングに続く扉を開ければ、アーガンの胸倉を掴むヒナトの姿がある。
ヒナトはヨルフェリアを見てまず固まって、次にはその後ろ、背の高いサムライ男の姿に目を留めて。
ぴったり、五秒。
見つめ合って。
「…………おかえり」
「…………ただいま」
ヒナトは口を尖らせて。
ザンマはどこか、居心地悪そうに。
また沈黙が、少しだけ続いて。
ぐぅう、とヨルフェリアのお腹が鳴った。
全員がヨルフェリアを見る。「あ、」と間抜けた声を上げてお腹を押さえたヨルフェリアが恥ずかしそうにはにかむのに、アーガンが笑って、
「だと思ったよ。飯、作っといたから食べようぜ」
「ほんとですか? よかったー! さっきザッくんに買い物していこうって言うか言わまいか迷ってたんですよ」
「お、じゃあ予想してた?」
「いやー。お金ないからなあ……と思って。ほら、真面目な話した後にいきなり『お金貸ーして!』っていうのほら、なんか、問題があるじゃないですか。人格に……」
「貯金しろ!」
あはは、と笑ってアーガンがキッチンに引っ込んでいく。ヨルフェリアも、手伝いますよ、とそれに続いていく。
取り残されたのは、ザンマとヒナトのふたり。
ヒナトから、言った。
「……なんかさ、元気にやってたんだな」
少しだけ、寂しそうに。
「あいつら、いいやつらじゃん」
「うむ。友人に恵まれたでござる」
「なんかその……悪かったな。いきなり押しかけてきて、邪魔してさ。その、本当のこと言うとさ、」
ぱっ、とヒナトが顔を上げる。一瞬、ザンマの顔を正面から、まともに見つめる。そして、それでもすぐに、逸らしてしまって。
「……あたし、お前がいなくなって、寂しかったんだ……」
十回も、百回も、千回も。
アーガンと一緒に練習した台詞を。掠れた声で、ヒナトは口にした。
ザンマは、練習なんてひとつもしてこなかったけれど。
でも本当は、生来結構、素直な性質の人間だから。
まっすぐ投げられたら、まっすぐ受け止めて。
「――拙者もでござる」
まっすぐ投げ返すだけのことは、できる。
「この街で過ごした日々は楽しかった……。しかし、お主のことを忘れたことは片時たりともござらん」
不器用に、微笑みかけるくらいのことだって。
「お主に会いたかった――我が友、ヒナト」
ものすごく頑張って、一瞬くらいのことだけど。
一滴、ヒナトの瞳から涙が零れて。
「――へへっ」
それを拭うのを最後に、表情は、これ以上ないくらいの笑顔に変わる。
「早く言えよ……。素直じゃねーやつっ」
「む。お主にだけはそれを言われとうないでござるな」
「はあ? あたしのどこが素直じゃねーってんだよ」
「そういうところにござる、そういうところ」
「おーい。扉開けてくれー」
言い争いが始まりかけたところで、キッチンの方からアーガンの声。む、と一瞬だけザンマとヒナトは睨み合って、そのあと同時に動き出す。
「真似すんなっ」
「こっちの台詞にござる」
競い合うようにしてどたどたと扉を開ける。思わぬ剣幕に「なんだなんだ」とアーガンが目を丸くして、その後ろのヨルフェリアは「早く進んでくださいー」と呆れた顔で、それでも笑っていて。
ふと、ザンマは思った。
(嗚呼、拙者は今――)
夏の星の、瞬く息遣いが、この部屋まで届いている。
宇宙そのものみたいなきらめきの中で、はっきりと。
はっきりと、ザンマは思った。
(――――幸せなので、ござるな)
もしも。
もしも、その星の瞬きにすら、終わりがあるとするのなら。
どうして、生きることはこんなに儚いのだろう。
@
深夜。
街外れ。
旋棍の先が、獣の頭を潰した。
傍らには、疲労困憊のカイト=イストワール。
旋棍の主は、シェロ=テトラ。
「すまない、助かったよ……」
「仕事の……うち。構わない……」
けれど、とシェロは、露わになった鱗の口元を隠すようにマフラーを上げ直して、ぼそり、と呟く。
「どうして……街の中に悪魔が――?」
答えられるものは、誰もいない。




