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22 一触即発でござる



「あれ、団長?」


 騎士団舎の廊下を歩いていると、ノージェスは第三騎士分隊長に声をかけられた。


「うん?」

「ヒナト様と一緒じゃなかったんですか?」

「いや何。どうも情勢が怪しくなってたからね。ようやく姫様のお目付け役から本来の役割に戻れたというところだよ」

「ははあ、なるほど」


 となると、と第三分隊長は声を潜めて、


「じゃあ今、ヒナト様は何にも縛られていないということで……」

「…………やめなさい。不穏な風に言うのは。いつものことでしょう」


 何も起こらないことを祈ります、と第三分隊長は去っていった。

 どいつもこいつも他人事、とノージェスは心の中で溜息を吐いた。実際、大抵の人間にとってはヒナトの素行なんて他人事なので仕方がない。自分も他人事で見ていたかった。


 気を取り直してノージェスは『副団長室』と書かれた扉をノックする。


「どうぞ」

「失礼するよ」


 中にいた男は、ノージェスの顔を見るや慌てて立ち上がり、


「団長。こちらから団長室に伺いましたのに」

「いやいや、いいよ。あっちに寄ると先に書類を片付けたくなるからね」


 さっさと済ませてしまおう、とノージェスは対話用のソファに座り、同じく副団長もその対面に座る。


「教会の出方はどうなってる?」

「穴籠りですね。理由は不明。文官も首を傾げてるようです」

「ふうん、」


 ノージェスは眉間に皺を寄せる。


 つい最近のことだった。

 ヒナトとともにデイルヴェスタ家を訪ねたあと、ふたりはその足でライトタウン――メイドから手渡されたメモに記されていた場所――には向かわず、一応は、と教会にも立ち寄った。


『聖女』イリア=パーマルがいるとすればここだろうと、あたりをつけて。


 しかしそれも空振り。

 教会は、デイルヴェスタ家と同じように、ヒナトたちを門前払いした。


 そこまではともかくとして。


「それじゃあ、これで連絡が途絶えて一週間ってわけか」

「そうなりますね。一応、クーデターの可能性を見ておきましょうか?」

「特任騎士の仕事だろうけどね。うちでもやれることはやっておこう。第二分隊あたりをいつでも配備できるようにしておいた方がいいな」

「……あいつら、周辺被害に対する意識が低いからあんまり好みじゃないんですがね」

「なら副案でも切り札でもいいさ。ただ、ああいう破壊魔みたいな連中がいるかいないかで、最後の決定力はまるで変わるよ」


 胃のあたりを押さえながら副団長は「あとで編成案をお持ちします」と溜息交じりに言った。ノージェスはこの副団長に親近感を抱いている。


 連絡が途絶えて一週間というのは、そのままの意味だった。

 教会が、国との接触を拒絶している。


 例のないことではない。宗教行事の前後になると決定権者たちが軒並み瞑想だか礼拝だかで俗世との連絡を断ち切ることがある。


 しかし、今回もそうかと言えば、そうとも言い切れない。

 この時期にやる宗教行事の心当たりは何もなかったし、何より通常、そうなる前に教会から国に向けて送られてくるはずの通知が、今回はない。


 だから、きな臭い。

 どうも怪しい。そう思った首脳部は、騎士団長に王女のお守りをさせるより、緊急時のために椅子に座らせておく方が状況に対して有効だと、そう判断した。


 いつもそうしろ、とノージェスは心の奥でちょっぴり思っている。


「それから……特任騎士絡みの案件も抱えてるんだって?」

「ええ。といっても、うちから手出しするようなことは特にありません」

「特任案件はいつもそうだね。ま、そのへんは縄張りの問題だから何も文句はないけど……。うちで関係者の拘束をやってるんだろう?」


 ええ、と副団長は頷く。


「凶悪犯罪者用の独房に入れておいてくれって。あいつら、うちを金庫か何かだと思ってるんですかね」

「まあそう言うな。同じ公務員同士、助け合わなくちゃな」

「と言われても。頭の上で色々やり取りされて、警備に第一分隊まで駆り出されてるんです。ちょっとくらいは愚痴を言ってもいいでしょう」


 ノージェスの目が、すう、と細められて、


「それ。そんなに危険なやつなのかい」

「本来の配置の第八分隊は、新入りが気当てで意識を飛ばしました」

「気当てって……。殺気を飛ばされて気を失ったって? おいおい、そんなまさか……」

「事実ですよ。ちょうど、私がそいつの様子を見にいったときのことなんですから」


 ふーっ、と副団長は息を吐く。

 自分の心を落ち着けるように。


「現場を離れてよかったですよ。あんなのと殴り合えるの、第一分隊にだって何人いるか」

「……民間協力者によって、両腕を斬り飛ばされてると聞いたんだけどね」

「それでもなお、です。化け物ですよ。正直、団長が戻ってきてくれてホッとしています。……万全の状態のアレを難なく倒したっていう民間協力者の存在も意味不明ですがね。第八分隊は『ライトタウンはドラゴンを飼ってる』って噂でもちきりですよ」


 ノージェスは腕組みをして、天井を仰ぐと、はあ、と溜息。


「どこもかしこも厄介な……。安息の地はないな」

「退職して冒険者になるならお供しますよ」

「この年で新しいキャリアっていうのもぞっとしないな」


 そのまま、首をぐるり、と回して、ノージェスは、


「仕方ない。安息の地で、私たちは飯を食えないわけだしな」





「…………よくものうのうと顔を出せたものでござるな」


 地の底を這うような声だった。

 決してがなり立てているわけでもないのに、びりびりと壁が震えるような錯覚まで起こる、そんな重たい声。


「はあ?」

「一方的に人を切り捨てて、よくもまあそこまで悪びれもせず顔を見せられたものだ、と言ったのでござる」


 ぐぐぐ、と。

 押さえつけられていたザンマの頭が、上がってくる。


 首筋には血管が浮かんで、いかにヒナトが力強くその首を倒してやろうとしているのかがわかるというものである。


 ぴたり、ときっちり直立の角度に戻ると、今度はザンマがヒナトの顔に手を伸ばした。


 激しい動きはない。

 ゆっくりと、大きな手でヒナトの顔を掴むと、


 爪が白くなる。


 脳天締め。鉄の爪。ブレーンクロー。

 あるいは、アイアンクローと呼ばれる、力技だった。


 ぎりぎりぎり、とものすごい力がかかっているらしいことが、傍目にもわかる。

 一方でヒナトも顔色ひとつ変えないままザンマに同じことをしているらしく、そちらでもぎりぎりぎり、と音が聞こえてくる。


 ふたりとも、何も言わない。瞬きもせず、瞳もまるで揺らさないまま、お互いを見つめている。


 目が完全に据わっている。

 怖すぎて、誰も何も言えなかった。


 しかしそれでも、ヒナトの頭からみしみしみし、と頭蓋骨の軋む音がし始めて、すわ脳髄散乱大パーティの開幕かと観衆が腰を浮かしかけたところで、


「あ、あのっ! お店の迷惑なんですけど!」


 勇気を出した、オタクがひとり。


 ザンマはすぐに、ぐっと両拳を握ったよっちゃんを見た。

 ヒナトは構わない。そのままザンマの頭に力を入れ続けている。


 ザンマは、まるで目の前のヒナトを完全に無視するような態度で、


「む……。確かにその通りでござるな。すまぬ。拙者、我を失っていたでござる」


 そう言って、ヒナトの頭から手を外した。

 それから、周囲にも見えるように頭を下げて、


「皆様方も、楽しい食事時に騒がしくして申し訳ござらんかった。何卒、ご寛恕願うでござる」


 お、おお……と控えめな反応が返ってくる。

 その間もヒナトはずうっとザンマの頭を締め付けている。


「お、おいっ!」


 今度は、近くにいた酔っぱらいが勇気を出した。

 びしーっ、とヒナトを指差して言う。


「あんたが誰だか知らねえが……、店の中でやることじゃねえだろう!」


 それを皮切りに、そうだそうだと周囲からも声が上がり始めて、


「『ひかラブ』の兄ちゃんに何の恨みがあんだよ!」

「殺人鬼捕まえてくれた、この街の用心棒だぞ!」

「そんなおっかないナリして陰じゃ犬撫でてるような優しい兄ちゃんだぞ!」


 ザンマは感動した。


 この数ヶ月、自分を見る人々の目線が変わってきているとは思っていた。

 特に冒険者ギルド以外の、こういう普通の食事処や、街をぐるぐる巡回して会釈を交わし合うときなんかに。


 とうとうこの街にも馴染みつつあるのかと、心がじんわり温かくなったこともあった。

 が、これはその比ではない。


 いま、そうだそうだ、と食堂の中の空気はザンマに傾いている。

 身内をかばうような、そういう雰囲気が満ちている。


「皆……」


 ちょっぴり涙ぐみそうになりながら、ザンマは周りを見渡す。誰も彼も、目が合うや「任せろ」「わかってるぜ」と言いたげな顔をして――



 よっちゃんだけは顔面を蒼白にしている。



「? どうしたでござるか」

「いや、ちょ、だって――」

「――ああ、そうかよ」


 パッ、とザンマの頭から五指が離れた。


「あたしが悪者ってわけだ。よーくわかった」


 ぎいいぃっ、とヒナトはザンマを睨みつけ、




「次に会ったらぶっ殺す」

「やってみろ、たわけ」




 大股でヒナトは歩いて、ばたん、と食堂の扉を閉じて、去っていく。


 ザンマがもう一度頭を下げると、客たちは思い思いのジェスチャーを返して、やがて喧騒へと戻っていく。


 はああ、とよっちゃんが大きく息を吐いた。


「し、心臓に悪い……」

「すまなかったでござるな、よっちゃん殿。目の前で随分荒っぽいところをお見せした」

「いや、それはいいですけど……。ザッくん、大物ですよねえ。あの人に噛みつくなんて」

「む?」


 ザンマは首を傾げて、


「大したことではござらん。元はぱーてぃのりーだーだったとはいえ、互いの関係は対等でござったからな。……向こうはどう思っていたのだかわからぬが」

「ははあ……。姫様相手でもそう言えちゃうんですねえ……」


 きょとん、とザンマは目を丸めて、


「よっちゃん殿、まさか金髪なら誰でもいいというわけではあるまい?」

「はい?」

「いや、あの者にまで『やっと見つけたお姫様』という感じなのかと……」

「…………」


 まさか、とよっちゃんは呟いた。


「ザッくん、知らないんですか?」

「何を?」

「あの人、本当にお姫様ですよ」


 今度こそ、ザンマは完全に困惑した顔になって、こう言った。



「なんのことでござるか?」




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