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20 特任騎士でござる



「――――!」


『イストワール商会』敷地内。

 関係者専用の、天井のない修練場。


 死角から飛んできた物体を、シェロは気配だけで察知して、掴み取った。

 冷たい。透明な容器に入っているのは、どう見たってただの水。


 それを投げた張本人、釣り目に赤髪の青少年は、緊張感のない笑顔で佇んでいた。


「水分取れよ。熱中症になるぜ」

「……アーガンくん」


 少し迷ってから、シェロは容器の蓋を外して、その水を呷った。

 今は、マフラーをしていない。剥き出しの白い喉を日に晒して、ごくごくと、一気に飲み干した。


 ぷはっ、と口を離して、息を吐く。


「ありがとう……思ったより、渇いてた」

「いいよ。そのへんで汲んできただけの水だし」

「……水溜まり?」

「井戸だよ、井戸! オレのこと舐めてるな?」


 冗談、とシェロは言う。

 それからシェロは容器をアーガンのところまで歩いて返すと、すぐにまた、旋棍を構え直して鍛練に戻ってしまう。


 構わず、アーガンは声をかけ続けた。


「もう動いて大丈夫なのか?」

「もうずっと……前のこと」

「いや、骨折に内臓破裂だろ? 年スパンで見た方がいいと思うけど」

「カイトくんに回復職を紹介してもらったから……このくらいなら問題ない」


 ふうん、と言ってアーガンはその場に座り込み、自分も水を飲みながら、シェロが動くのをじっと見つめていた。

 さすがにシェロも気が散って、自分から声をかけてしまう。


「……何?」

「シェロさあ。うち、帰ってこないの?」

「……合わせる顔が……ない」


 シェロが目を伏せるようにして言うと、アーガンはすかさず、


「ザンマは気にしてないって。あいつ、飯のとき毎回四人分皿出してそのあと落ち込んでるもん。むしろシェロが帰ってこない方がへこんでるよ」

「じゃあ……」


 言いにくそうにした後、それでもシェロは、


「プライドの……問題」


 きっぱりと、言い切った。


 左の旋棍を握りこんだ拳が、夏風を切り裂いて、宙に止まる。


「手も足も……出なかった。あまりにも……情けない」

「つったってさあ」


 アーガンは呆れたような声色で、


「いいじゃんか。戦って勝ったとか負けたとか、そんなの結局、」

「よくない……」


 言葉を遮られたアーガンは口を尖らせる。頑固者、と言いたげに。


 シェロは言う。


「私が……弱かった。身体も……心も」


 ぎりり、と旋棍が強く、強く握られる。


 ふう、とアーガンは頭に手をやって、仕方ないな、と言いたげな溜息を吐いた。


「そういうアーガンくんは……どうなんだ」

「オレ?」

「随分……『イストワール商会』に協力的。最近は……ほとんどカイトくんの秘書」

「……まあ、確かにそう思うか」


 アーガンは、どこを強く握ることもない。

 力むこともなく、ただ、空を見上げた。


 夏の空。

 息苦しいほど、真っ青な。


「オレにだって、話してないことのひとつやふたつはあるよ。やらなきゃいけないことだって、ちゃんとある。……嫌でもさ」

「…………」


 何事かを口にしようと、シェロが口を開けようとした瞬間。

 にっ、とアーガンは目線をシェロに向けて、笑った。


「隠し事してるオレが、シェロにどうこう言える立場じゃなかったよな。わり」


 そう言って、踵を返してしまう。

 シェロも何も言えなくなって、


「まあ、気が済むまでやればいいと思うけどさ。あんま無理して倒れるなよ。みんな、心配するからさ」


 じゃ、と片手を上げてアーガンが立ち去れば、ひとり、残される。

 夏草の匂いが立ち込めていた。





「っと、わり。来客だったか」


 第八会議室、と書かれた小部屋を開けたアーガンは、その中にいるのがカイト=イストワールひとりだけではないことを見つけると、またその扉を閉じようとして、


「いや、大丈夫。入ってくれ」

「……ああ。なるほどね」


 頷いて、中に入る。

 カイトの対面に座っていたのは、男とも女とも知れない、特徴のない顔の人物だった。


 アーガンはパチン、と指を鳴らすと、


「盗聴、盗視チェック。1、2……問題なし」


 そして、カイトの隣の椅子に腰を下ろす。


「なんだよ。ドン=ベルスか。紛らわしいな」

「申し訳ございません。来るたびに顔が違いまして」


 その特徴のない人物に向かって、アーガンは『ドン=ベルス』と呼びかけた。


「捜査に進展があったのか?」

「はい。ちょうど今、カイト=イストワール様にご説明差し上げていたところでございます」


 言いながら『ドン=ベルス』はアーガンにも資料を手渡す。

 

「そちらは今回の会合後、自分の手で処理させていただきますので、何卒ご容赦くださいますようお願い申し上げます」

「はいよ。ま、特任騎士サマに言われちゃ仕方ない」

「恐縮です」


 ぴったり30度。

 人間味のない動きで、『ドン=ベルス』は頭を下げた。


 この人物――『漆黒☆セキュリティガーヅ』所属の四番手『ドン=ベルス』を名乗っていた人物が、王の直属の部下である『特任騎士』であり、『ブラックパレード』に潜入調査を行っているスパイであると知ったのは、ザンマがクド=クルガゼリオを倒した直後のことだった。


 両腕を切断された状態のクドを見たカイトは一瞬絶句したが、しかしすぐに考えたのは、この恐るべき戦士をどのようにして扱うか、ということだった。


 命を取るのは容易い。

 ザンマに斬り伏せられたクドはほとんど虫の息で、その気になればアーガンの手でだって殺せただろう。


 しかし彼は『ブラックパレード』の暗部に間違いなく繋がる、重要な手掛かりのひとつでもあるのだ。

 これほどの戦闘力を誇る男がただの使い捨てということもないだろう――カイトはそう見込んで、この国の治安機構への引き渡しと、事件の全容解明への協力要請を思いついた。


『イストワール家』のコネクションを使って、数ある騎士団内の部署でも最も高い実力を誇る『騎士団第一分隊』へと連絡を取ろうとしたとき。


 この『ドン=ベルス』が現れた。


『特任騎士』という身分が嘘でないことは、ふたつの方面から知れた。


 ひとつは、以前からシェロが『ドン=ベルス』の正体を知っていたと語ったこと。

 カイトはそのシェロが、いつどのようにしてこの人物と出会ったのかを語らないことに不信感を抱いたが、その話を聞いた今回の事件解決最大の立役者、ザンマ=ジンがそれを頭から信じ込んでしまったがために、深くは追求できずにいた。


 そしてふたつめの方は、さらに決定的だった。

『ドン=ベルス』は『特任騎士』としての証であるとして、王から与えられた徽章を提示した。


 その形を『イストワール家』が貴族であったころの古き時代を知る、カイトの祖父母が知っていた。

 この人物が間違いなく『特任騎士』であることを保証したのである。


 そこまで言われては、もうカイトも否とは言えない。


「ご協力いただいたおかげで、おおむねの『ブラックパレード』の拠点は掴めてきてございます」


 元々、特任騎士というのはクーデターに関する捜査を行う騎士である。

 その存在は誰もが知っているが、誰がそれをしているかは誰にも知られていない――そういう存在だった。


 ドン=ベルスは語った。

『ブラックパレード』には七年前に国家転覆をもくろんだ『変身者(シェイプ・シフター)』の一団との繋がりが見える。今回の任務はその繋がりの調査だったが、どうもそれ以上のことがあるようだ、と。


 カイトたちは『変身者(シェイプ・シフター)』が国家転覆を企んでいたこと、そして七年前にそれが特任騎士によって鎮圧されたことすら全くの初耳だったのだが、当の『変身者(シェイプ・シフター)』の一人であるシェロがまたもそれを肯定したことで、事実として受け入れざるを得なくなる。


「クド=クルガゼリオが語った実験と称される行為――これは、ライトタウンのみでなく、西方学術都市でも行われていると思われます。こちらでも臓器のない死体が発見されました。ライトタウンと比べて隠蔽が甘く、こちらに他の特任騎士を派遣して調査を行っているところであります。今の段階では一体何を目的とした、どういう実験なのかはわかりかねますが」


 ふうん、とアーガンは資料を見て、


「今日はその進捗報告だけか?」

「いいえ。あなたへの聞き込みも兼ねています。アーガン様」


 じっと、揺れない瞳でドン=ベルスはアーガンを見つめた。


「あなた様の協力を、我々は求めております」

「…………」

「勾留中のクド=クルガゼリオは何も語りません。これ以上の調査の進展は、このまま進めば牛歩のそれとなる見込みでございます。ゆえに『ブラックパレード』と繋がりがあると見られるあなた様に――」

「またその話か」


 ドン=ベルスの言葉を、カイトが途中で断ち切った。


「何度も言わせないでくれ。何の根拠があってアーガンにそんなことを訊くんだ?」

「度々申し上げているところでございますが、アーガン様に関しましてはこのライトタウン以前の生活履歴が追えておりません。特任騎士が追えない情報というのは、基本的にはこの国内に存在いたしません。それゆえ、アーガン様には何か特殊なご事情があると推察するところです」

「その話のいったいどこで、アーガンの過去と『ブラックパレード』の間に繋がりを見出せるんだ?」


 カイトは資料を置いて、


「鳥に向かって空の成り立ちを訊くようなものだ。鳥は空に近いところにいるように見えるかもしれないが、空から生まれてきたわけじゃない。知らない場所から来たからと言って、それが僕たちの知らない場所のすべてを把握してるってことにはならないだろう」


 ドン=ベルスは、今度はじっとカイトを見る。

 カイトも、ひとつだって瞳を揺らさないのを見て取ると、また頭を下げた。


「仰ること、ごもっともでございます。しかし勘違いしないでいただきたいのは、自分の目的がアーガン様への追及ではなく、保護にあるということです。確かに、自分たちが把握する限りのアーガン様の行動履歴において、『ブラックパレード』関係者との接触は、通常のこの街の住人が行うそれよりもなお頻度が低いもので、『ブラックパレード』との内通の疑いはほとんどございません」


 ゆえに、とドン=ベルスは言う。


「繋がりがあるとすれば、加害と被害の関係であると考えております。アーガン様がもし何か過去に『ブラックパレード』との関わりを持っていたのであれば、自分たちはその情報を調査に役立て、また同時に、アーガン様の身体の保護についても行わせていただきたく考えているところです」

「それさ、」


 アーガンが、静かにドン=ベルスを見据えて言う。


「シェロとザンマを、あのめちゃくちゃなヤツに突っ込ませといて言える台詞か?」


 責める口調ではなかった。

 ただ、淡々と。


 買い物の釣銭の計算が合ってないと、店員に教えるような、それだけの穏やかな声。


 ドン=ベルスは何も答えない。


「カイト、ありがとな。でも、もう庇わなくていいよ」

「は?」

「確かにオレには秘密がある。でも、特任騎士には教えない。信用できないから」


 ドン=ベルスの眼が、僅かに開く。

 その対面の、カイトのものはもっと。


「なん――」

「いつかカイトには話すかもしれない。みんなにも。でも、ごめん。まだ準備ができてない」


 口を噤んだカイトに、アーガンは笑う。

 泣いているような顔をして。



「まだ、怖いんだ」



 どうしてか、カイトまで泣きそうな顔をした。

 アーガンは、それにも小さく笑って、


「でも、この街のことも好きだから。オレの立場で言えることは、ちゃんと言うよ」


 アーガンは、ドン=ベルスに向けて、それでも穏やかな声で、こう言った。




「クド=クルガゼリオくらいで終わると思わない方がいい。あんなのじゃ相手にならないようなのが『ブラックパレード』にはいるぜ」





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