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19 夏、開幕でござる



「あ」

「む?」


 ぽへーっとしていた。


 夏。

 ミンミンと蝉が鳴いていて、中庭にはひまわりが咲いて、縁側に腰を下ろして、ザンマはぽへーっと呆けていた。


 袴の裾はまくり上げ、襟元から覗く肌には玉の汗が浮かぶ。


 それに後ろから声をかけたのが、鞄を引っさげたよっちゃん。

 同じく汗をかいていて、今ちょうど家に帰ってきたらしかった。


「ザッくんだけですか?」

「そうでござるな」

「そこ、暑いでしょうに。ボク、部屋冷やしますよ」

「なかなか日に当たるというのも心地いいものでござるよ」

「うへえ。オタクにはあんまりない属性ですね……。クッキー超安売りしてたから大量買いしてきちゃったんですよ。ザッくんもどうです?」


 そう言われれば、もうそれ以上は拘らない。

 ザンマも縁側から部屋の中に戻って、からからと窓を閉める。


「茶は拙者が入れよう」

「出た、ザッくんスペシャル」

「なんでござるか、それは」

「謎の緑色」


 美味しいですけどね、とメガネの奥でよっちゃんは笑った。


「アーくんはまたカイちゃんのところですか?」

「らしいでござるな」

「アーくんは随分『イストワール商会』に入れ込みましたねえ」


 やかんに湯を沸かそうとして、近くに火元がないなと探していると、よっちゃんが簡単に魔法で火を点けてくれる。


 すまぬな、と言ってザンマは戸棚から茶葉を取り出して、ティーポットの準備を始める。


「ザッくんはいいんですか? カイちゃんから熱烈ラブコール受けてたじゃないですか」


 よっちゃんはわざと大げさに、片手を胸に当て、もう片方を大きく広げて、


「『君はライトタウン……いや世界最強だ! 僕と一緒に人生歩まないか!』って」


 ふっ、とザンマは笑う。

 なんかカイちゃんって語彙だけはちょっとオタクっぽいんですよねえ、と言いながらよっちゃんは、スープに使うのと同じ深皿にクッキーを移し替える。


 ふつふつと気泡の音がするのに、ザンマは耳を澄ませながら、


「少々……拙者は疲れ申した」

「まあそうですよねえ。来て早々、あんな大捕り物。ここ何十年もこの街じゃなかったんじゃないですか? ちょっとくらい休んだって、罰は当たりませんよ」


 なんせボクなんて年中休みまくりですから、とよっちゃんは明るい声で。


「シェロっちも退院したらしいですしね。何はともあれ、よかったよかった」

「そうでござるな」


 湯をティーポットに移し替えている途中で、ザンマは「あ」と声を上げた。


「いつもの癖で、熱い茶を入れてしまったでござるな」

「え? それ、あえてじゃなかったんですか?」

「いや、ぼーっとしてござった」

「なんですかー、もう」


 言いながらも、よっちゃんの口調は優しかった。

 たはは、とザンマも困ったように苦笑する。その表情は、柔らかい。


「じゃあ、いつもどおりに淹れてもらえればボクが冷やしますよ。任せてください」

「いやかたじけない。よっちゃん殿には世話になりっぱなしでござるな」

「いやいや。それほどでもございやせんよ」


 とぽぽ、とザンマが茶をコップに注ぐ。

 よっちゃんが呪文を唱えれば、涼しい風がふたりを包む。


 それに、とよっちゃんは言った。


「ザッくんがいてくれないと、この家は、一人じゃ広すぎますから」


 夏風が街をわたる。

 ちりん、と軒下の風鈴が鳴った。





「よ、よっちゃん! 爆れすされておるのではないか!?」

「やっぱり!? やっぱりザッくんもそう思います!?」


 久しぶりのライブに、ザンマとよっちゃんは肩を並べてはしゃいでいた。


 四方八方六方どこを見てもオタク。オタクがキラキラ光る棒を振りながらはしゃいでいる。その景色の中に、ふたりは同化していた。


「うわー! ローちゃんがボクを見てる! ボクをめちゃくちゃ見てるぞ! ……いや、やっぱり勘違いかな。じゃあ一体誰を……」

「じ、自信を持つでござる! 明らかにロー殿はよっちゃん殿を見ているでござるよ!」

「わーい!!」

「あっ、シア殿が拙者を見ているでござる!」


 普段の小さな会場だったら、ここまで言葉を交わしたりはしなかったと思う。


 それができた理由は簡単で、今は大きな会場でやっているから。


「いやあ、正直なところを申すと、大きな箱でやることになると聞いたときは、こう、距離を感じてしまったのでござるが……」

「わかりますー。あれですよね、あの、インディーズがメジャーデビュー決めると急に自分が惨めになるみたいな」

「うむ。……いや、よくわからんが」

「そういう感情ですよ。間違いありません」


 そんなものでござるか?とザンマが尋ねると、そういうものなんです、とよっちゃんは笑う。


「でも、いいことですよね。すごくステージも豪華になりましたし」

「全くでござる。それに、こんなに多くのふぁんが『光のはじまり』についているというのも、なんだか誇らしく感じるでござるよ」

「おっ。一端の古参みたいなこと言っちゃって~」

「ふふ、ちょっと調子乗りでござったな」


 そんな他愛無いことを話している間に、ステージの上は動き出して、次の曲のイントロが流れ始める。


「この曲は……!」

「『スリーピース・カラフル』でござるな!」


 オタクがふぉおおおと声を上げるのに合わせて、ザンマもよっちゃんも、大きな声援で曲の始まりを彩る。


 本当に、幸せそうな顔で。


 夏。

 もう、ザンマがこの街に来てから、数月が経っていた。




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