18 決闘でござる
「『変身者』――?」
カイトがうち呟いたのは、もうこの王国では古くなりつつなる名前だった。
『変身者』と呼ばれるジョブがある。
あった、と言う方が、正確かもしれない。
その名のとおり、自身の姿形を変える系統の能力だ。戦士系や魔法士系といった大分類の外に存在する特殊な区分で、その能力の強度は個人個人によって違う。
そして中でも高い強度を誇る〈変身〉は、使用者をほとんど悪魔と見紛うほどに強化する。
ある時期を境にぱったりと見なくなった、ほとんど幻と化したジョブだと思われていたが――。
「生き残っていたのか――!」
「カイト」
アーガンが、声をかける。
「『変身者』ってのが何かわかんねえんだけどさ、あれって、悪魔とは違うのか?」
「ああ」
とカイトは頷く。
「本来なら単なるジョブの一種だ。悪魔と違って、俺たちと同じ人間だよ。だから――」
そうか、と小さく呟くアーガンの横で、カイトは考えている。
シェロの、あの口元の鱗。
裏切り者、という呼び名。
ひょっとすると、というより。
きっとそうだろう、という言葉を、カイトは持っている。
「シェロくん、このままじゃ負けるぞ! 君も使うんだ――〈変身〉を!」
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「おいおい、お友達が心配してくれてんじゃねえか。使ったらいいんじゃねえの。お前も――よッ!」
「ぐッ――」
状況は、どんどん悪くなりつつある。
まるで歯が、立っていない。
右腕の折れたのが、あまりにもきついハンデになっていた。
四肢を獣のそれに変形させたクド。その黒い脚が下段を滑る。シェロが右の足でそれを踏みつけて止めると、勢い、向こうは力でそれを持ち上げてくる。左の足でたたらを踏めば、身体は右前になるように開いてしまい、死角から右腕が襲い来るのを手先で捌かねばやりきれなくなる。
衝突が骨まで響く。
受け流せない。芯に罅を入れられるような、強烈な衝撃。息つく間もなく膝はあばらに向かって放たれて、避けられない。
め、と鈍い音がして、その奥の臓腑から、喉にまで血が上った。
ぺしゃ、と地面にコップ半分ほどの血が吐き散らされる。
「ぎ――!」
奥歯を砕くように噛みしめて、シェロが上段蹴りを繰り出す。
踏みしめる骨も筋も、もう無事ではない。だから、全身の連動を用いた、最大の攻撃を、
「んだよ、これ」
簡単に、つかんで止められる。
「お前さっき、俺には負けたことがねえとか言ってなかったっけ」
みしみしと、その指に力が込められて、
「間違いだろ――『負けそうになったから逃げ回ってました』の」
バキン、と圧し折れる音。
絶叫が響いた。
クドは、シェロを冷たい目で見下す。
「〈変身〉しろよ。今のお前じゃ相手にならねえ。――まさか、できねえのか?」
「はあッ、はアッ――」
シェロはそれに答えもせず、顔面を蒼白に、脂汗にまみれて喘いでいる。
チッ、とクドは舌打つと、
「つまんねえ――おい、そっちのやつ!」
クド=クルガゼリオは、這いつくばるシェロから目線を外すと、ザンマに向けて、
「お前は? 聞いてるぜ。強えって。ありゃマジか?」
ザンマは、シェロを見る。
そしてシェロが何も自分に言ってこないのを見ると――鞘ごと、刀を抜いて、
「そうでござるな。お主よりは」
「――へえ。まんざら嘘じゃあなさそうだ」
構える。
正眼。クドはその鞘を一目、じろりと睨みつけ、
「怖えのか? 人を殺すのが」
「多少な」
「そうかい」
夜風が吹いた。
それが肌を撫でるよりも先に、爪は突きつけられている。
ピュウ、とクドは口笛を吹いて、
「この速度についてこれんのか――」
その爪は、鞘がぴたりと止めていた。
両者とも、まるで体幹にぶれはない。クドの黒腕は肘にまだ余裕があり、次の攻撃手も繰り出しやすい。一方でザンマの刀も正中線――身体の真芯から幾分も外れず、つい先ほどの正眼の構えといかほども変わらない。
「やるじゃねえの。俺がやってきた中でもお前、五指に入る腕だぜ」
「左様でござるか――では、その指」
クドが後方に大きく跳んだ。
カイトにも、シェロにも見えない、途轍もない速さで。
しかしそれが咄嗟の防御手であったことがわかるのは――この場ではただ二人のみ。
「何本折れるか、試してみるとしよう」
「――いいねえ。大物だ」
それは、瞬きの間に羽虫が動く程度の、たったそれだけの細かな動きだった。
ザンマがしたのは、手首を少し、返しただけ。ただそれだけで、鞘にクドの腕を巻きこんで計12箇所の骨を圧し折ろうとした、れっきとした攻撃手だった。
「それなら、こいつは――ッ!」
クドの言葉は、途中で遮られた。
呼吸の間を狙われた。技を繰り出そうと、息を少し多めに肺に含もうとした、その隙をすでにザンマは詰めている。
大きく吸う前、息は大きく吐き出されている。肺が空の状態では当然、動きが鈍る。
馬鹿げた話だが、それがこの二人の攻防だった。
正中線をまっすぐ、突きが飛んでくる。
クドは半足のサイドステップでそれを避けるが、それを追うように横薙ぎ。後方に飛び去るだけの力を出すには間が短く、仕方なく腕を盾にしてそれを受ける。
「お――!」
どん、と突風が戸を叩くような音がして、クドが転がっていく。
なるほど、とザンマは首を振った。
「跳び避けでござるか。衝突の瞬間に、力を逃がす受け技。……あまり上手くはないようでござるが」
「へへっ、言ってくれんねえ」
そしてクドは、何事もなかったかのように立ち上がる。
「こちとら十人も二十人もいたはずの師匠筋が全員討ち死にでね。今じゃほとんど独学さ、あんたと違って」
す、とそれを聞いてザンマは、刀を下げた。
「……どういうつもりだ?」
「先ほど、お主が言っていたことでもあろう。ことが終わればもはや口も利けまい。なれば、訊けることは訊いておかなければ損、というものにござる」
「……ハッ」
大きく、クドは声を上げて笑った。
おかしくてたまらない、というように黒い手で顔を押さえて、
「いいぜ。何を訊きたい? そこの無様な野郎の過去とかか?」
「否。拙者、人の過去には拘らん。……拘られたくないでござるからな」
呼吸をかろうじて正常に戻しつつあったシェロは、二人の会話に、ふがいない、と唇を噛んでいる。
ザンマも、あえてそのことには触れなかった。
「お主は何者か。ケチな快楽殺人者ではあるまい。『ブラックパレード』の手の者か?」
訊きたいことは、初めから予測していた、そのこと。
クドは、首を横に振って、
「悪いが、それに『うん』とは言えねえな。ま、好きに想像してくれや」
「答える気はない、と」
「答えるまでもない、ってとこだな」
それはそれで、ひとつの答え合わせ。
「何のためにこんなことをしているのでござるか」
「個人の目的か? 組織の目的か?」
「組織でござる」
大げさにクドは肩を竦めた。
「寂しいねえ。強敵から興味を持たれねえってのは」
「臓器を持ち去るなど、何か目的がなくばせんでござろう。見せしめか? それとも……」
「実験だよ」
「実験?」
とん、とクドが足の位置を変えた。
それで、ザンマも刀を構え直す。
「悪いがここまでだ。今のはあんたの強さに敬意を表した、大サービス。これ以上知りたいんだったら、もっと頭でっかちなやつらがいるところを叩きな。まあ、正義の味方やってたら、そんなことできやしねえのかもしれねえけどよ」
少しずつ。
夜に紛れて、クドの手足の黒が、広がりつつあった。
初め肘ほどの場所までだったのが、今は肩まで侵食している。脚も、今は付け根から。
獣の身体が、全身を覆おうとしている。
「シェロ殿!」
大きく、ザンマが声を出した。
びくり、と震えたのも束の間、シェロも覚悟を決めた顔になって、
「私も……加勢、」
「シア殿を連れ出してほしいでござる」
「な――」
ひとりでやる気なのか、という言葉が出てくるのを待たない。
ザンマの手は鞘と柄にそれぞれ置かれ、今にも抜き放とうとしている。
「……すまない!」
シェロが走る。シアたちのいるところへ。そしてカイトと、アーガンとともに、この三番街から姿を消していく。
その間、クドはひとつも手を出さなかった。
「……いいのでござるか?」
「人から命令されたことと、自分がやりたいこと、どっちを優先すべきだと思う?」
虎に似た、四つ足の黒い獣。
クドは、完全に〈変身〉を終えている。
「俺は力が好きだ。改めて訊くぜ、強敵。名は?」
「ザンマ=ジン」
「俺はクド=クルガゼリオ。――弱えやつに興味はねえ。ザンマ=ジン、」
――真剣勝負だ。
その瞬間、夜が最も濃くなった。
ザンマは、黒い風の匂いを嗅いだ。
高速。音速。大陸の端から端へと突き抜ける激流のような、圧倒的な力の奔流。
小細工も何もない。
シェロの踏み込みなど、比べ物にもならない。
地殻を丸ごと蹴り飛ばして、世界のすべてを後ろ脚に追いやるような、魔の域に踏み込んだ一撃。
武練の果てに現れるたった一撃が、クドの繰り出したすべてだった。
「――かかっ」
「――見事」
そして、その言葉が放たれたときには、二人はすれ違い、決着を終えている。
クドは、ザンマの背後遥かに四つ足で立っていて。
ザンマは、その場から一歩も動いていなかった。
刀身は、月が銀色に染めて。
「峰打ちのままでは、危うかったかもしれぬ」
ボトリ、と両の黒腕が地面に落ちる。
それ以上言葉もなく、クドは崩れ落ち、鮮血が石畳を染める。
「話の続きは――騎士団にでも任せるとしよう」
血払い、納刀。
キン、と寂しく鍔が鳴った。




