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17 黒獣でござる




「ど……どういうことだ!?」

「わからんけどマズイってこったろ! とりあえずシアちゃんを助けるぜ!」

「うむ!」

「ちょ――作戦とかないのかい!?」


 困惑するカイトをよそに、ザンマとアーガンが飛び出す。


 突如現れたふたりに、その場にいた全員が例外なく驚いたが、アーガンはそれに微塵も関心を寄せない。

 一直線にシアにだけ向かっていって、手首をつかんで、「ごめん!」と叫ぶと引きずるようにして連れ去ろうとして、


「おっと!」


 かきん、と今度はザンマが弾く。


 黒衣のまだら金髪――クド=クルガゼリオと呼ばれた男が、懐から取り出した小刀を、シアとアーガンに向けて投擲していた。


 嗜虐的な笑みを浮かべて、男は言う。


「悪いが、そいつを逃がす気はねえ。俺がこいつらを片付けるまで、そこで待っててもらおうか」

「んな――!」

「勝手なことを……」


 抜かすでない、とザンマが前に出ようとするのを、シェロが手で制した。


 ザンマはじっとシェロを見て、


「因縁がおありか」

「……黙っていてすまない」

「構わぬ。拙者も人のことをとやかく言えるような生き方はしてござらんからな」


 シェロが、代わりに前に出て、


「私が……ケリをつける」

「お、おいおい!」


 声を上げたのはカイト。


「無茶を言うなよ! そいつ、さっきの投げナイフを見ただけでも只者じゃないぞ! Bランク最上位、下手したらAランクにだって――」

「大丈夫……」


 シェロの声に、震えはない。




「生まれてこの方……私はこいつに負けたことがない」




 クドが動いた。


 シアとアーガンには見えていない。どころかカイトにだって見えていない。

 見えたのは、ザンマとシェロにだけ。


 右の一刀が腕を振り抜くようにして投げ飛ばされてくる。

 それをシェロが左の旋棍で受け流して弾くと、その奥にすでにクドの姿が隠れている。


「――ハッハァ!」

「……無駄」


 弾かれた一刀をクドが空中で掴む間に、左の一刀はシェロの喉元を突いている。シェロは右の旋棍でその刀の峰を削るように軌道を逸らす。ギリリリリ、と火花が散って、右の一刀が肩に滑ってくる前に、左の旋棍はクドの鳩尾に押し当てられている。


 シェロの左足が踏み込みの体勢に入る。


「〈流滴――」


 力が籠もり、


「――乱月〉」


 発散。


 地面がたわんだ。


「がッ――――」


 轟音。

 クドが勢いよく吹き飛んで、建物に突っ込んでいく。


 ほう、とザンマは小さく呟くが、他の三人は声も上げられない。


 シェロが左の足を上げると、そこには人差し指くらいの深さの足形が、石畳にくっきりと残っている。

 あたりの地面は踏み込みの衝撃で、液体が揺られたときのように波打った形に止まっている。


 それを見ていた四人のうち、特にカイトの内心について語ると、こんなことを考えていた。


 格が違う。


 Bランク冒険者とAランク冒険者を比べる際に、よく使われる言葉である。あるいは、上級ジョブと最上級ジョブを比べるときに。


 どうやったらそこまで至ることができるのか。

 それすら想像できないほどの高み。


 そこにシェロはいると、カイトは感じている。


「す……」

「くだらない真似は……やめろ」


 だから、すごい、と声を上げて素直に称賛しようとしたところを。

 闘気を切らさないままのシェロが、クドの吹き飛んだ方向に声を飛ばす。


「この程度でお前を仕留められるとは……思っていない。不意打ち狙いなら……見下げ果てた」

「……かかっ。手厳しいねえ」


 がら、と瓦礫をのけて、クドが立ち上がる。


「それなりにできるやつとやるのは久しぶりだったから、火の入れ方を思い出してただけさ……。そう怒んな。準備運動くらいでよ」

「な――」


 カイトは目を丸くする。


 無傷だった。

 纏わりついた埃をはたき落とせば、黒衣の破れ以外には、ついさっきの大地を揺らすほどの一撃の痕跡は、ひとつも見当たらなくなる。


 ここに来て、カイトは自分のすべきことがわかった。


「ザンマくん」


 耳打ちをして、


「すまないが、僕ごときじゃこの戦い、虫の役にも立たなそうだ。アーガンと協力してシアさんを避難させる。君は――」

「問題ない。この場に残って、いざというときには後詰めを果たそう」

「……すまない」


 カイトの目には、悔しさが滲んでいる。


 自負があった。この街の若き星としての。第二勢力の跡継ぎとしての。そして何より、自分の力でパーティをBランクまで押し上げた、冒険者としての。


 それが、何一つとして保てない。

 それどころか自分の頼みを聞いてくれたザンマのことすら、置いていこうとしている。あの、Aランクにも相当するだろう一撃がまるで通用しない戦いだ。元Aランクとはいえ、ザンマだって危ないだろうに――。


 けれど、この場に残ったとして、自分にできることは何もないのだ。


 カイトはシアとアーガンの近くに移動して、小さく囁く。


「いいかい。あのふたりの戦闘中に、僕がどうにか隙を見て脱出の糸口を作る。なんとかしてシアさんを逃がすぞ」

「……ああ」


 アーガンも小さく、うなずいて答える。


「だ、大丈夫なの……?」


 シアがかろうじて訊けたのは、それだけ。

 何とも答えられず、カイトは口を噤んだ。





「お前、いつからこの街にいたんだ? 全然気付かなかったぜ」

「戦闘中に……無駄口か?」

「無駄じゃねえよ。どうせこれが終わったら、お前は二度と口も利けなくなるんだ。だったら、ここで訊けること訊いとかなきゃ損だろ?」

「よく言う……」


 フォン、とシェロは旋棍を構え直して、


「お前が私に勝てたことは……一度もない」

「確かにそうだなァ。だけどよ、忘れてねえか?」


 ひゅん、とシェロの顔の横を、ナイフが通っていった。

 それは逃げ出そうとしていたカイトたちを牽制するように、彼らの近くの地面に突き刺さる。


「お前が俺に勝てたのも最初だけ。別れの前は、お前は負けないだけの男だった」

「それでも……十分」

「いいや」


 右の一刀を、クドはシェロに向かって投げつけた。

 それだけでBランク冒険者が相手であれば首を刈り取れるような技ではあったが――、シェロには通じない。くるり、と旋棍を回すと、その杖先で叩き落とした。


「どういう……つもりだ?」

「つまりよ、力の伸びで言やあ、俺はお前を凌駕してるってこった。当然だよなァ? 負けから引き分けを引き出せるようになるんだったら、もう七年だ。引き分けから勝ちに結果が変わるのに、何の不思議がある?」


 次には、左の一刀も投げつけられる。

 これも問題にならず、簡単に無力化できる。


 が、


「お前、まさか――」


 シェロの危機感は、むしろ増し、



「力があるのに使わねえなんて、馬鹿のすることだと思わねえか?」



 次の瞬間、クド=クルガゼリオの姿が完全に消えた。


 ほとんど奇跡と言っていい。シェロは咄嗟に、反射的に、右の拳を振り上げた。


 だから、その右腕がへし折れるくらいで済んだ。


「が――ッ!」

「シェロ!!」

「かかッ――!」


 クドの脚が、その防御腕がなければシェロの身体を引き裂いていただろうという勢いで、一閃、薙いだ。


 見せつけるように、クドはその場で止まっている。

 折れた旋棍。シェロの腕から飛び出た尺骨が、闇夜に白く、赤くぬらめく。


 クド=クルガゼリオが言う。


「足踏みは楽しかったかよ。俺は――強くなったぜ」

「〈変身(シェイプ・シフト)〉か――!」



 漆黒の獣の脚が、また闇夜を裂く。




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